上智大学2021年度春学期・法科大学院「経済法I」「経済法II」のページ

法科大学院「経済法I」「経済法II」については、各回の授業に係る事項はMoodleを通じて情報提供します。このサイトは、特に「経済法」に係る研究・実務の動向についての備忘録、情報の整理ボックス的に利用します。参照するときは授業中、あるいはMoodleで指示を出します。このサイトはURLをダイレクトに知らないと入れない(リンクがない)状況になっています。このサイトは授業の「メモランダム」として記録していきたいと思います(次年度以降にも有用です)。漏れがあれば、文章をください。こちらで加工し、アップロードします。

4/5 経済法II 初回 

経済法の「解き方」を解説。

・ある程度の短期間でゴールマウスにシュートするのは可能(ただし条文選択ミスのような致命的なリスクは少なくない)。一通り勉強してからの「慣れ」が重要。ケースブック、百選はミニマム(試験的には関連性の薄いものもあるが)、公取委指針の類、相談事例ぐらいまでは上級者はフォローアップ。何よりも練習問題を多く解くこと(過去問15年分、30問、その他予備校の類、研究者作成のそれを集めて実践)。自分で問題が作れるようになれば「圏内」。

・「意味不明なもの」を積極的に覚えればよい。政策的介入は専門的なので裁判官はわかりません→いやいや人権の侵害と規制の必要性からすれば、逆でしょ。

・独禁法は憲法上の「営業の自由」(=職業選択の自由)問題として議論されるが、浴場規制のような立地問題ならわかるが企業の事業活動全般(=独占化の懸念)を扱う独禁法の存在を問うのは果たして職業選択の自由の問題でよいのか? 財産権の問題ではないのか?→二つの条文の性格の違いに起因か? 

・連邦憲法修正14条1項: “All persons born or naturalized in the United States, and subject to the jurisdiction thereof, are citizens of the United States and of the state wherein they reside. No state shall make or enforce any law which shall abridge the privileges or immunities of citizens of the United States; nor shall any state deprive any person of life, liberty, or property, without due process of law; nor deny to any person within its jurisdiction the equal protection of the laws.” 一方、憲法31条:「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」・・・「財産」についてのデュー・プロセスがない!(自由には読み込めるが・・・)→自由に対する権利は経済的なものも重要なのに、憲法は「経済」的なそれを軽視か?

・経済法は勉強してて「消化不良」が多い。理屈が詰めきれていない話が非常に多い(法律論はしょぼい→むしろ割り切って(真剣にならず)頭に入れていいレベル)。裏を返せば法律論的には薄っぺらい分野。むしろ「競い合い、競争制限」のシナリオ作りが精緻にできている(とは言え、実務レベルではあまり科学的ではないが)。→産業組織論の知見がバックグラウンドにある。

・無駄な解釈論を書くのは下策、しかしあれっと思いながらも書かねばならぬ時もある。

4/8 追加

なぜ憲法31条では財産権への配慮がないのか? それは29条の構造と関係があるのか?1)29条1項が財産権の(公権力等による)不可侵性を概括的に規定、2)同3項が公共の福祉に正当な補償があれば用いてもよい(e.g.収容・没収)としつつ、3)同2項で、法律という国民代表によって民主的プロセスを踏んで定められる規定により、公共の福祉に用いられる財産権の内容が決められ、財産が好き勝手に収用・没収されないよう直接的ではないが担保される(上記法律により定められる段階で民主的な必要プロセスを踏む)制度になっている。

日本国憲法では修正14条の様に明確に財産をdepriveするためには、生命・自由と異なり、due process of lawを必要とすると31条に規定されていない。これはもしかしたら、1946、47年の段階で「経済復興」のために、財産権のあり方については「国家のコントロール」を強く及ぼしたいという思惑が憲法の側(?)にあったからではないか? つまり、生命、身体(+精神的自由)への解放は絶対的なものと位置付けつつ、経済(財産)については自由にできない(すると混乱する)=資本主義国でありながら社会主義的な国家運営をしたい、という戦後ビジョンがあったのではないか、という「仮説」をおきたくなる。

一方で、1906年のLochner判決(州の労働時間制限を連邦憲法違反にした)は20年後に覆されることにになりますが(ニューディール期の入り口)、そこでは連邦憲法上「契約の自由」が保障されるのか、という論点として、経済に対する介入の実体的Due Process違反が問題になった。これはホームズ判事のいう「精神的自由>経済的自由」の(20世紀前半の)二重の基準の憲法上の性格を基礎付けるものといえ、もしかしたら、こういったアメリカの時代状況を受けて日本では資本主義の制度的保障にとどめ、資本主義=財産権+契約の自由への介入を曖昧なものにした(逆に精神的自由については戦後民主主義の潮流で聖域化した)という説明も可能ではないか? 

独禁法が営業の自由の問題にされ、それが職業選択の自由の問題として議論されたのは、29条の性格が「鵺」のようなものだったからか? 私は実は、今でも29条のポジションがよくわかりません。第一、日本の憲法で「契約の自由」が正面から議論されることがないのがなぜなのか、よくわからない。

4/8の授業を踏まえて(4/9更新

授業進行がまずく中途半端になってしまったので、ここでフォローを。

p.1 競争か、自由な競争か、公正な競争か、さらには民主的な競争か? 独禁法は「鵺」のような存在。現代では、競争を機能させるために「自由」と「公正」を保護するという考え方が支配的。競争が機能する=支配的事業者が競争機能を歪めない=(そういった意味で公平、公正という意味で)民主的、という理解がコンセンサスといえる。しかし、かつてはマルクス主義(的)なドグマが強くて「大企業性悪説」を前提としたかのような独禁法の理解がまかり通っていた。

実はアメリカでもそうで、マルクス主義ではないが穏健な社会主義的な発想はあって、new deal期は政治的な色彩が強かったし、もっと前の反トラスト法創成期(19世紀終わり)では経済的効率云々ではない「支配・独占への攻撃」という社会的、政治的な背景は否定できない。いまGAFAの脅威を前に、19世紀から20世紀前半のドグマを復活させようという傾向がアメリカにはある。少し前まではシェアが高くても効率性を反映していればOKという考え方(競争はその手段に過ぎない)が強かった(これはしばしばシカゴ学派と呼ばれたりする)が、20世紀前半の政治的意図を反トラスト法に持ち込んだ象徴的な判事の名前を使用して「新ブランダイス主義」などと呼ばれることがある。*その潮流で登場したリナ・カーンという当時イエール法科大学院の学生だった人物によるAmazon’s Antitrust Paradoxという論文が非常に有名(価格低下によって独占を強めるAmazonに対しては、効率性による正当化をすべきでないし、反トラスト法はこの種の独占に断固として戦うべき=ネットワーク効果を考えれば誰でもいえる話だが・・・)。

p.2最後のパラグラフ:

わざわざこんなことをいう(基本法だとか、国際的課題だとか・・)背景は? 裏を返せば、日本は制定後半世紀にわたって「放置状態」だったということ。

p.4 「事業者」の定義:そのまま覚えて、必要な時に利用する(もちろん条文が最初にある)。それだけ。ついでに「事業者団体」の定義も覚えておこう。「〇〇協会」とか出てきたときは8条の問題になることが多い(自ら事業活動をしていれば3条とか19条=ここ実は大事)ので、この条文を引けるようにする(試験に出るくらいだから「当てはまる」というイメージで・・・。当てはまらなかったらそこで解答が終了してしまう)。

p.5 「競争」の定義:実はあまり意味がない(意味があると思っているのは白石さんくらい)=競争過程(機能)が阻害されていることを問題にするのか、個別の競争者が排除されても問題にするのか、はこの定義は何も伝えていない(マルエツ・ハローマート 事件を想起せよ)。

p.5後半で需要者云々に拘った記述があるが、要は「何事も実質的に考えて」ということ。独禁法は結局、これに尽きる。基本的な発想を固めたら、あとは実質的に考える、だけ。

p.6 規制手段:個々の類型のイメージを持つこと(やり方は違うが全部競争に悪影響を与える類型として説明。そうでないものは例外として覚える)。試験的には「競争」が全て。

p.8 色々「ガイドライン」に言及があるが、これらは必須のものばかり。

p.9 囲み記事は「厳密」ではないが、こういった問題意識は重要。切り分けは「理屈」ではなく「経験」。

p.10-16 法執行(エンフォースメント)は「気合」で覚える。といっても試験では条文を見れるので、頭には「引き出し」の整理がされていればよい(=条文はぐちゃぐちゃなので、整理は必要)。

4/11更新

第2章:質問を受ける形でメモを作ります。

  Q1.  (テキストp.20「相互拘束と共同遂行」)相互拘束の要件として「共同して」行われること挙げられ、具体的には「意思の連絡」が必要とあります。尤も、p.21では「相互に他の事業者の対価の引上げ行為を認識して、暗黙のうちに認容」でもよいとされています。「暗黙の認容」は非常に主観的行為であるも、暗黙であるから客観的判断になじまず、認定の実際は公取委や裁判所の主観によるとの印象を受けました。p.21では東芝ケミカルの事案では、高裁判断では「価格引上げについて情報交換」のみにより「意思の連絡あり」と評価されています。これは認識はともかく、認容まで認定するのは無理ではないか、よって2条6項では読めない極めて主観的判断ではないかと思えるのですが、どう読めば上記高裁の事実認定になるのかご教示頂ければありがたいです。

A1. 認識・認容をもって「合意」となるので、明示の合意と同じようなコミットメントを導けないといけないということなのですが、「相手の出方を読んで競争しないという行動をお互いに承認する心理」などという主観を、客観的に導くのには無理があるという直感はその通りですが、しかしそうすると「情報交換を巧みにやって何も決めない」というカルテルのスタイル(空気を読む)が横行することになりますので、これは避けたい・・・ではどのような条件をもって明示の合意と同視できるような状況があったといえるか、ということで「暗黙の了解」タイプの意思の連絡の議論が出てきました。試験的には「そうなのだ」と割り切るところです。

心理という主観を客観面で導くポイントは「推定です」。情報交換という客観的事実があるので、推定として心理を認定する、ということです。推定すらできない、と考えるのも筋ですが、確かに狭い業界でカルテル体質があれば、情報交換=空気を読もうという「推定」はいけそうな感じがします。東芝ケミカルの事実ではやや物足りないかもしれません。そもそもカルテル体質があるなどの追加的情報が欲しいのはその通りです。

後で出てくる郵便区分機の事件は、そもそも競争しないという慣行が先行しているので、暗黙の了解タイプの意思の連絡がいいやすいケースだったのだと思います。

 Q2.  上記1との関連で、価格カルテルが業界トップ数社で行われ、その結果、左記カルテル当事者のみならず、それ以外のマーケットシェアの低い数社も価格引上げに追随した場合、上記カルテルが不当な取引制限とされれば、独禁法違反に問われるのは上記カルテルの当事者のみでしょうか(意思の連絡は当事者のみという理由で)。仮に課徴金の対象になった場合、追随した数社がその対象にならないとすれば、所謂フリーライダーで不当な利益を得ているにもかかわらず処罰対象でないことは問題で、対象とすべきと思うのですが、「意思の連絡」がないことからその対応は無理でしょうか。

A2.
1)カルテルの情報を得て、それに追随した場合と
2)値上げを知って追随した場合で分けた方がよいと思います。2)は違反にできないでしょう。
1)の場合、最初の当事者が、カルテルの情報を他に流して「追随するだろう」と期待し、その期待通りの行動をした場合には、
やや片面的ですが意思の連絡がいえそうなケースですね。そういう問題(後から参加したケース)は試験的には出そうなところです。あるいは最初に参加したが実行前に離脱した、あるいは権限のない担当者が参加した・・・そういうバリエーションは3条後段シリーズの問題のヴァリエーションとして用意しておく必要があります。

 Q3.  上記2との関係で、石油価格協定刑事事件では、何らかの経済的メリットがあるから従うだろう、という関係があれば「不当な取引制限」に当たるとされます。これではもはや一方的推測によっても「意思の連絡」を認めることとなり、条文の文言と離れすぎではないかとすら思います。この点、百選(29番)では不当な取引制限は、拘束すべき合意をした時点で既遂とすると述べていますが、これだと上記(一方的推測)と矛盾するのではないかと思われます。一方的推測でも、結局従う蓋然性が高いとすれば、実質的な「意思の連絡」認めるという整理でしょうか。

A3. 31pの記述ですね。ここは「拘束」は裏切りのサンクションがあるような強いタイプの制約ではなく、自分にとってメリットがあるからしたがっておこう程度の「約束」で足りる、という話なので、「一方的推測」の話とは切り離して理解するところか、と思います。

 Q4.  (同p.22)多摩談合事件における「本件基本合意」の内容は手段の認識程度、甘めに見ても、せいぜい協力する程度の内容と判例にある事案の内容から考えられるのですが、これをどう考えれば「互いに認識し認容して歩調を合わせるという意思の連絡」があったという認定を最高裁がしたのかにつき、理解できませんでした(一方的推測の事案ではないと思われます)。講義で「法の解釈の法の解釈の精緻さが」と仰られていたことの表れの様な気がします。意思の連絡の有無の境界についてご教示頂ければありがたいです。

A.4  
このあたりになると異論が多くありそうなケースですね。だからこそ業者は最後まで争ったのだと思います。単純な基本合意で単純に違反というのは実態としてはあまりなく、「じわじわ」と競争制限の認識・認容に至るというのが実態だと思います。あえて言えば、繰り返しのコミュニケーションを通じた「明示の合意+暗黙の了解」のハイブリッド型意思の連絡という感じですね。これを断片的な事実から証明しようというのですから無理が出てくるのでしょう。

その際用いられるのが、遅くとも〇〇日までに合意に至った、というフレームワーク的な認定です。よくわからないけれども総合するとこんな感じ・・・という認定手法です。刑事事件だったら耐えられない感じもします。

談合事件は多くの場合、間接事実からの要件に係る事実の推定→要件認定というプロセスを経ます。その間接事実が、明示の合意を導くものなのか、暗黙の了解を導くものなのか、悩むことが多いです。間接事実から暗黙の了解型の事実を推定して、そこから意思の連絡を推定するという推定の推定がどこまで許されるのか・・・行政事件なのでOKという感覚はあるかもしれません。これを刑事事件にしようとして公取委が検察に告発したら検事は困ってしまうかもしれません。


 5.  (同p.29)協和エクシオ事件と福岡市造園工事談合事件で、受注実績のない協力会社に相互拘束を認めるか否かにつき、将来における貸し借り清算の期待の有無で「相互拘束」の認否を判断しているように思われます。テキストにもありますが、一般に入札参加者は受注する意思・能力があるので、上記福岡の事案が極めて特殊な例外(意欲も能力もない)で、まずは協和エクシオの判断プロセスを相互拘束の有無について考えておけばよろしいでしょうか。

A5.その通りと思います。造園事件は将来の見返り型の相互拘束を拾い始めると、際限のない違反者数が出てくるという危惧があったのかもしれません。一定額以上の契約金額で市場をとる合理性が疑われますので、その範囲の中で業者数を絞りたかったという思惑が感じとれます。地方の事件(中小企業が多数存在する公共工事)では、場合によっては100者とかになりますね。



 4/14更新:前回の授業(4/12)のコメント

<共同性>共同性と相互拘束性の切り分けが簡単ではない。暗黙の了解タイプの合意の場合、意思の連絡に「相互の認容」まで入るので、ほぼ拘束まで認定しているのではないか?そうすると事実認定のどの部分をどちらに使うのか、という悩ましさが生じる。公取委の認定の場合、事実を全般的に認めた上で「共同性あり」「相互拘束あり」となるので、明確に切り分けていないのが実態。

多摩談合事件最高裁を前提にすると相互は共同にリンクするので、拘束だけの認定になるが、暗黙の了解で共同性まで認めた場合の拘束はどうするのか?同じ事実を重複して使うが、要件の違いに合わせる形で言い方を変えるというやり方になるだろう。

そもそも拘束は「相互性」の論点が大半を占めていたので、それが飛ぶという前提になると、議論されること自体がなくなるのではないか(制裁の有無論程度だろうか?)

<事業者性か相互性か?>

カルテルの当事者を競争者に限定するかという論点については、元々4条の問題だったので「事業者」の問題として判例も議論したが、なぜかそれが3条問題にまで及んだので、歪んだ議論になってしまった。学説は「相互性」で議論しようとする傾向。ここは予め、自分の「スタイル」を決めておいた方がよい。