上智大学2021年度春学期・法学部「経済法」のページ

ようこそ! 法学部「経済法」のページへ!

このページに授業に関連するさまざまな情報を載せていきます。時間がある人は私のコラムのページ、あるいは独り言のページを訪問して見てください。

コラム1 経済法と経済統制法 2021.2.20

日本史を勉強した人は重要産業統制法とか、満州産業開発五カ年計画とか戦前の統制経済立法、計画を勉強した記憶があると思います(ついこの間のことですね)。世界史選択の方は、ソ連やナチスの経済統制立法・計画を勉強したはずです。国家主義者岸信介が官僚時代にドイツ型、ソ連型の統制経済を参考に、日本の経済発展の立法上の基礎を画策したという知識がある方もいるかもしれません。経済に対する立法(法制)の基本的考え方の違いを知ることは、法学を勉強する上で非常に重要です。ドイツと日本は統制型ですね、19世紀の段階で経済的には後進国だったので、自由市場に全幅の信頼をおくことはできなかった。一方、英国や米国は契約の自由を出発点に、これを規律する法原理をコモン・ローの世界で発展させる歴史的経緯を辿ります。日本の場合、第二次世界大戦までドイツ型の統制立法による経済的規律を推進してきましたが、戦後になって急に「経済民主化」という考えが「上から」降ってきます。財閥解体とともにGHQの政策として知られる「独占禁止法の制定」がそれですね。いきなり「競争こそが経済の基調だ」となるわけです。それまでそんな考え方は浸透してなかったので、日本の法学会は混乱します。当初は独占禁止法も経済統制立法だとか、独占禁止法は一つの手段に過ぎないといった反応が主流でした。実際に、朝鮮戦争の後、独占禁止法はほとんど適用されなくなります。サンフランシスコ講和条約によって独立した日本はGHQの政策に従う必要がなくなったからです。また統制色の強い経済復興が模索されます。国民生活緊急安定措置法は石油ショックの時期にできた法律ですが、生活必需品に特定標準価格を設定しこれを超える価格で販売した事業者に課徴金を課すなど、非常に価格統制色の強い立法です(今はマスクの転売禁止で知られていますが)。独占禁止法よりもはるかにDas Wirtschaftsrecht (経済法)という思想に近い立法です。こういう歴史的観点から眺める法学研究というのも面白いですよ。世の中の全体像が鳥瞰できて、立法の本質がよく理解できます。ちなみに、本学法学部の松本尚子先生がナチス期の Wirtschaftsrecht について論文を書かれています。https://ssl.shiseido-shoten.co.jp/category/NEW/9784326449828.html 興味ある人はどこかで入手して読んでみてください。松本先生は西洋法制史の研究者です。ローマ時代の法(もっと前)から始まり、教会法、コモンロー・近代フランス法・ドイツ法に至るまで、世界史好きの人にはもってこいの分野です。教会法といえば、イタリア・グレゴリアン大学の菅原先生が集中講義で上智で教えています(年によりますが)。せっかく上智に入ったのだから、ここでしかできない勉強をするのも手だと思いますね。

コラム2 出発点としての「契約の自由」 2021.2.21

一つの論文を紹介したいと思います。Jamal Greeneが書いたTHE ANTICANON という、Harvard Law Review掲載の2011年の論文です。

で読めます。ANTICANON とは「正義の規範に反する(反模範)」のような意味です。

アメリカ史上、正当化が許されない最高裁判決があって、

  1. Dred Scott v. Sandford
  2. Plessy v. Ferguson
  3. Lochner v. New York
  4. Korematsu v. United States

がワースト4といわれています。黒人には市民権がないといってみたり、公共施設の人種分離はOKといってみたり、一日の労働時間の制限は違憲といってみたり、WW2での日系人の強制収容はOKといってみたり、アメリカの黒歴史といわれるものばかりです。しかし、一方でアメリカの歴史はこういったことに正面から向き合い、克服する歴史でもあるのです。この論文は、再びこれらの最悪の判例に向き合い、歴史的再定位を行い、憲法の議論へとフィードバックさせようとするものです。これらの判例の紹介だけでも読んでおくとためになります。

このうちLochner v. New Yorkはアメリカ連邦憲法で「契約の自由」がどう扱われるか、についての重要判例です。1905年ですからもう115年も前のものです。簡単にいえば、州による(ある産業の)労働時間の制限は違憲だという結論が連邦最高裁で下されたのですが、そもそも「契約の自由」が憲法で保障される人権なのか、そしてそうだとしても州のそういった規制が違憲になるのか、といった本質的な論点となり、今でもこの議論はこの判決とともに何度もどこかで再燃している状態です(判例法理としては約30年後のWest Coast Hotel Co.v. Parrish(1937)で同種の州規制が合憲と判断されたことで一応の終結を見ています)。

日本の場合、「契約の自由」の概念は憲法上あまり出てきません。代わりに「営業の自由」という概念が出てきます。判例、通説ではこれは職業選択の自由(憲法22条)の問題として扱われます。しかし、これは営業開始(どこで起業するか)の制限に関わるもので、独占禁止法のようなどのような競争活動をするのか、についての制限を問題にするのは相応しくない気がしますが、学説ではほぼ当たり前のように職業選択の自由の問題にします。資本主義の基本は私的所有権とその自由な処分にある(=市場と競争が生まれる)ことを考えれば29条の財産権の問題であるようにも思えます。さて、どうなのでしょうか。この問題、非常に面白いので、別項目でまとめます。

コラム3 独占禁止法と刑事法 2021.2.21

私の専門は経済法(独占禁止法)なのですが、独占禁止法には刑事罰規定もあって刑法の議論もたまにやります。

刑法は法律学の中でも一番「理屈っぽい」分野と思われていて、確かに「違法性」だとか「責任論」だとか「相当因果関係」(今で古臭い概念のようですが)とか面倒くさい概念が出てきます。ただ、基本はそれほど難しくはなく、刑罰を科す根拠としての犯罪の成立のためには、法に規定された要件を満たし(行為と結果との間に因果関係があり)、それが違法であり、有責性が必要だということで、違法とは行為を客観的に見て「悪い」という評価が下せるもの、責任とは行為者個人が備える属性として責めることができるもの、ということを指します。例えば、刑事未成年の行為は、悪いといえば悪いのですが、本人の年齢を考えれば刑罰として非難するには足りないという観点から責任が問えないとして、犯罪の成立を否定します。もう一つ責任の要素として重要なのが故意とか過失といった「主観」にかかわる要素で、過失責任の規定がない以上、故意のない行為は有罪にはできません。何故ならば犯罪であることを認識しない、できない状態に置かれているその人には刑罰としての非難を科すには足りないからです。

独占禁止法違反で刑事事件になった有名なものとして、石油元売会社による価格カルテル事件があります。これは今から50年ほど前の石油ショックの際に、原油の価格が急上昇して石油(ガソリン、灯油等)業界がパニックになった時に当時の通商産業省が、石油元売会社にカルテルを組むように行政指導したことを受けて、企業間でカルテルを行ったことが公正取引委員会に摘発されて刑事事件になったものでした。

石油元売会社は省庁の指導があったのだから「違法性を認識しなかった」として、責任がない(=故意がない)と主張しました。独占禁止法には過失犯規定がないので、そうすると無罪になりそうですが、有罪となりました。最高裁は「違法性を認識しなかった」では足りず「違法性を認識する可能性がなかった」場合にのみ故意の不存在(責任の阻却)を認めると判示しました(結果的に有罪)。

「違法性の認識=責任の問題?」と考えただけでも嫌になりますが、刑法は一度「ものの考え方」を身に付けてしまうと面白くて仕方がないそうです(私はその域には達していませんが)。

構成要件、違法、責任・・・この三つの言葉は覚えておきましょう。

そして「責任」に関連して、さらに悩ましい問題が独占禁止法にはあります。それは独占禁止法違反については企業に対する刑事罰規定が存在することです。何が問題か一瞬わからないでしょうけど、責任とは違反行為者の主観に係ることといいましたが、企業に故意とか過失とか概念できるのでしょうか。できないのであれば、故意責任も過失責任も問えないので、企業には必然的に刑罰を科すことができないという結論になりそうですが、独占禁止法という立法は企業に対する刑事責任を定めています。一方、皆さんが学部で勉強する刑法典には企業に対する刑事罰は存在しません。それは「責任」の考え方を徹底する責任主義が貫かれているからです。自然人(生身の人間)にのみ主観的属性が概念できる、という発想がそこにあります。

つまり法律の間で齟齬が生じているように見えるのです。これはしばしば刑法典はドイツ法学の伝統を受け継いだものなのに対して、独占禁止法はアメリカ由来のものであるという母法の違いとしてよく説明されます。この二つの法継受をどう整合的に説明するか、いまだに学術的に結論が出ていない問題なのです。

コラム4 「押し紙」について 2021.2.21

「押し紙」というのは何か。簡単にいえば、新聞発行社が新聞販売店に対して、販売部数の維持・拡大(「拡販」と言います)を要求し、ノルマを課し、そのノルマを達成できなかった場合には、その販売店が購読料を負担するという「押し付け行為」のことを言います。例えば、ある販売店が300部のノルマがあり、その月は解約者数が多く、280部に止まった場合には、達成できていない20部(1部一月4000円だとするならば8万円分)を販売店が購入する(実際には販売手数料を減額される)という仕組みです。新聞の販売所は、その新聞社の新聞を販売、配達することによって生計を立てていますので、簡単には断れません。「あなたの所とは契約を解消して近隣の所に依頼する」とされたらおしまいです。結局、厳しいノルマと「押し紙」に耐えられず、その販売店は潰れてしまい、損害賠償を求めて訴えました。

佐賀地裁は(元)販売店の請求を一部認めて新聞社に1000万円近い賠償を命令し、その後、高裁で和解が成立しています。*ニュースサイト

「押し紙」は「独占禁止法」違反になるということでしたが、通常、この手の問題は不公正な取引方法(19条)規制のうちの「優越的地位濫用」という規制の問題として扱われます(2条9項5号にあります)。条文を見てみましょう。

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五 自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、次のいずれかに該当する行為をすること。

イ 継続して取引する相手方(新たに継続して取引しようとする相手方を含む。ロにおいて同じ。)に対して、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること。

ロ 継続して取引する相手方に対して、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。

ハ 取引の相手方からの取引に係る商品の受領を拒み、取引の相手方から取引に係る商品を受領した後当該商品を当該取引の相手方に引き取らせ、取引の相手方に対して取引の対価の支払を遅らせ、若しくはその額を減じ、その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること。

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 長い文章ですが、簡単にいえば「優越的な地位」を「濫用」してはダメだということです。違反が認められると売上の1%の金額を制裁として国に支払う義務が生じます(今回は損害賠償請求だったので、損害額が被害者に支払われることになります)。優越的地位とは「取引関係上強い立場にある」ことを言い、濫用とは不利益の押し付けを言います。

この規制は最近頻繁に用いられています。例えば「楽天の送料無料問題」「コンビニの24時間営業押し付け問題」等々です。最近では芸能界のいわゆる「不当契約」でもこの規制が注目されています。私の書いたコラムのいつくかがこれを扱っている(例えばhttp://agora-web.jp/archives/2044564.html)ので、ぜひみてください。

ただ、新聞業には公正取引委員会は不公正な取引方法規制に係る「特殊な告示」を行なっており(特殊指定と言います)、本件はそちらの問題とされたようです。以下の3ですね。

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新聞業における特定の不公正な取引方法:

1 日刊新聞(以下「新聞」という。)の発行を業とする者(以下「発行業者」という。)が、直接であると間接であるとを問わず、地域又は相手方により、異なる定価を付し、又は定価を割り引いて新聞を販売すること。ただし、学校教育教材用であること、大量一括購読者向けであることその他正当かつ合理的な理由をもってするこれらの行為については、この限りでない。

2 新聞を戸別配達の方法により販売することを業とする者(以下「販売業者」という。)が、直接であると間接であるとを問わず、地域又は相手方により、定価を割り引いて新聞を販売すること。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

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「押し紙」については、この地方新聞社だけではなく、全国紙でもしばしば取り上げられています。しかし、新聞で報道されることはほとんどありません。それは自分のことだからです。新聞社はあくまでも協力関係の一環だとしており、それは自発的な取り組みだと主張します。今回のケースでも新聞社は控訴するそうです。

新聞社のケースではこれはひどいと思われる人が多いと思いますが、例えば楽天ではどうでしょう、楽天はAmazonとの対抗上、無料化の選択肢しかないと考えていました。コンビニではどうでしょう。コンビニのビジネスモデルは「いつでもあいている」です。困るからやめてくれというのであれば、普通のビジネスの感覚からすると「では契約を解消しましょう」となりますが、立場の強弱があるとなぜ救われるのでしょうか。(楽天でもコンビニでも)店舗は労働者ではなく事業者なのに。その価値判断は大きく割れることになります。優越的地位濫用規制は「不当」な行為に対して及びます。では何が不当で何が不当でないのか、簡単な問題ではないのです。

コラム5 企業の法:組織法 2021.2.21

独占禁止法は企業に係る法の中心的存在ですがその市場行動についての規制です、企業という組織に係る法の代表格は会社法です。

会社法は1年生で勉強することはないとは思うのですが、社会に出たらほぼ全ての人が関係する法領域です。簡単にいえば、会社(株式会社)という組織内部の構成(形成)、各役職の権限と義務、責任に係る法律です。会社というと社長とか副社長(これらの言葉は会社法上意味はないのですが)とか出てきますが、株式会社を知るためにはまず「株(stock)」「株主(stockholders)」を知らなければなりません。株とは会社が発行する「分割された所有権」みたいなもので、100株発行していたらそのうち51株を所有していたら過半数を握っているので実質的所有者ということになります。会社の意思決定は民主的に行われますので、半分を握っていれば「勝ち」ということになります。政治と異なるのは、一人一票ではなく、お金を払ってたくさんの株を所有することができるということです。

なぜ人は株を買って投資しようとするのか。しばしば株かって大儲け(倍になった)とか大損(半分になった)したとかいいますが、これは株投資の半分の側面しか言っていなくて、本当は会社が獲得した利益から経費等を差し引いて残った配分可能財産を配分(配当といいます)してもらうことが株を所有することの本当の意味なのです。つまり大儲けした会社は、その次の決算で株主に儲かった分を還元するという仕組みが「株」なのです。

さて、株主が会社の所有者(法律上はです。しばしばいや会社は労働者のものだとか、社会のものだとかいいますが、これは法的な議論ではありません。ただ、海外では労働者代表が会社の役員になるようなケースもあるようで、考え方は様々ですが、基本は株主=所有者です)なのですが、所有者である株主は会社の経営者を選びます。株主は投資はするけれども経営はしないのが通常です(小さな会社やオーナー会社は別です、多分アパホテルなどはあの社長夫妻が株をほぼ持っているのでしょう)。かつては所有者が自ら経営するのが一般でしたが、今では一定規模以上の会社は所有と経営が分離しています。20世紀前半に分離が定着したといわれています。このことを専門的に初めて論じた、Adolphe A. Barle, Jr. and Gardiner C. Means,, “The Modern Corporation and Private Property,” Macmillan (1932)はこの領域で世界でもっとも有名な著作の一つです。 

株主が選任するのが「取締役(directors)」です。その取締役が構成するのが「取締役会(board)」です。今では会社経営に係る様々な委員会が設置され(委員会設置会社の場合)、これらによってガバナンスをする形態も出てきているので、説明するのがややこしいのですが、何れにしても「取締役」という概念は重要です。かつては(いまでも多くの場合)取締役の中で代表権を持つ人(代表取締役)が「社長」といわれますが、法的にはリンクしてません。取締役はそれこそ取締るのであって、自ら経営を実施しないのが会社法の建前です(昔は取締役が経営をそのまましていました)。そこで出てくるのが執行役(executive officers)です。その最高責任者のことをCEO(chief executive officer)といいます。日本は中途半端で取締役が執行役を兼ねていたりします。アメリカでは CEOは敏腕経営者が招かれ莫大な報酬を得ます(GEのウェルチとかIBMのガースナーとか。新しい会社の場合は創立者がCEOとなりますね。ビル・ゲイツとか)。経営をするのであって、監督をするのではないのです。日本の場合は、従業員になって、幹部になって、執行役になって(取締役になって)、そして代表執行役(代表取締役)となってCEOを名乗ることが多いですね。だいたい取締役と執行役を兼ねること自体、組織形態として謎ですが、これは歴史的経緯によるものです(その辺の話をおそらく会社法の授業の最初の方にされます)。

そして監査役が出てきます。監査を行う人(auditor)です。そして一定数、取締役と監査役を社外の人にするというルールもあります。色々な人に対して色々な権限と義務があります。こうした組織形態について細かく定めているのが「会社法」です。取締役がヘマをして損害を生じさせた場合には、株主が会社への損害の塡補を訴える仕組みもあります。これを代表訴訟といいます(英語ではderivative actionといいます)。

会社が一定規模になったら上場するケースが多いです。上場とは株式公開のことで、証券取引所で自社の株を売買させることです(新規公開のことをIPO(Initial Public Offering)といいます)。例えば100万株を市場に放出して、一株5000円の値がついたとします。その瞬間にオーナーの所に(単純計算ですが)50億円の資金が入ってくることになります。ただ、その会社に一株5000円の価値があると市場が判断したという前提ですが。IPOに成功したベンチャー企業のオーナーはその瞬間に富豪となります。みんなそんなことを考えますが、実際にうまくいく人はほんのわずかですね。世の中そんなに甘くないです、、、。