公取委の「注意」について:黒か白か

前回のブログ記事(「公取委がジャニーズ事務所を注意 〜「圧力」とは何か?」)では、芸能分野にあるだろう独禁法違反のシナリオについての若干の考察と、そこには十分な証拠をもって明確な違反として捉え難い側面があるということを指摘した。その後、一連の報道やネット上の反応をみてみると、公取委の「注意」があったということは「圧力」があったのだ、という意見が多くみられることに気が付いた。一部には、「注意」にとどまったのだから「圧力」はなかったのだ、という意見も見受けられる。

「圧力」とは具体的に何なのかが分からない以上、独禁法の適用の可否も論じられないが、一つだけ分かっているのは、違反の可能性を疑って調査しただろう公取委が「注意」という結論に至ったことである。

公取委のウェブ・サイトに「よくある質問コーナー(独占禁止法)」というコーナーがあり、そのQ27で次のような回答がなされている。

Q27 排除措置命令ではどのようなことが命じられるのですか。 法的措置ではない警告や注意とはどのようなものですか。
A. 排除措置命令では、例えば、価格カルテルの場合には、価格引上げ等の決定の破棄とその周知、再発防止のための対策(例えば、独占禁止法遵守のための行動指針の作成、営業担当者に対する研修)などを命じます。
また、排除措置命令等の法的措置を採るに足る証拠が得られなかった場合であっても、違反するおそれがある行為があるときは、関係事業者等に対して「警告」を行い、その行為を取りやめること等を指示しています。
さらに、違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られないが、違反につながるおそれがある行為がみられたときには、未然防止を図る観点から「注意」を行っています。

排除措置命令が下された場合とは、公取委によって法的措置の前提として違反の認定がなされた場合である。警告がなされた場合とは、法的措置を採るに足る証拠が得られなかった場合であっても,違反するおそれがある行為が認められた場合である。そして注意は、違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られないけれども,違反につながるおそれは認められ、未然防止を図る観点からその必要性が認められた場合になされるものである。それすらなければ公取委は何もしない。

少なくとも公取委側の説明によるならば、注意がなされたということは、(1)排除措置命令、警告とは異なり、「違反」も「違反するおそれ」も認められない、(2)違反行為の存在を疑うに足る証拠もない(あればワンランク上の警告になろう)、ということを前提にものを考えなければならない。

公取委は何も疑いがないところに調査はしない。それはその通りである。ただ、調査の結果どうなったか。違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られなかったのである。つまり入り口である「違反行為の存在を疑うこと」それ自体の証拠がなかった、といっているのである。

冒頭の話に関連していうならば、「圧力」があったなかったと盛んに報じられているが、その「圧力なるもの」の証拠がなかったので公取委が「注意」に止めたのか、「圧力なるもの」の証拠を公取委が握っていても「注意」に止めたのか分からなければ話が先に進まない。後者ならば、その「圧力」とやらは「違反行為の存在を疑うこと」それ自体の証拠にもならなかったということになってしまう(それは一連の報道との整合性に疑義が生じる)。一部報道によれば、元メンバーの番組起用を妨げるような働きかけがあった場合は独禁法違反につながる恐れがある、といった認定のようで、とするならば、「圧力」それ自体の証拠はなかった、ということなのだろうか(前回のブログ記事で指摘したような「空気」「局側の忖度」ということだったのか)。

ジャニーズ事務所は一連の報道を受けて次の通りコメントしている(「2019年7月17日報道に関するご報告」)。

弊社がテレビ局に圧力などをかけた事実はなく、公正取引委員会からも独占禁止法違反行為があったとして行政処分や警告を受けたものでもありません。とはいえ、このような当局からの調査を受けたことは重く受け止め、今後は誤解を受けないように留意したいと思います。

繰り返すが、公取委が報道されているような「圧力」を認定しなかったのか、認定した上で「注意」に止めたのか分からない(どうやら前者のようだが)。また、そこでいう「圧力」の中身がはっきりしない以上、「した」、「しない」は「自分の定義」で論じることになり、ほぼ意味のない話になる。ただ、「圧力=独禁法違反行為の存在を疑わせるかそれ以上の行為」を前提にするならば、上記のコメントと公取委の判断は整合的ということになる。ただ、コンプライアンスのあり方として以上のような文章での対応が妥当だったかについては色々な意見があるだろう。「違反につながるおそれ」が指摘されたのならば、「そういった指摘を真摯に受け止めて」「公正な競争秩序を乱さぬようしっかりとコンプライアンス対応を図っていく」程度の表現があってもよかったのではないだろうか。

公取委に注意されたジャニーズ事務所

ジャニーズ事務所が公取委に注意された。ジャニーズ事務所から独立した元SMAPの3名を出演させないよう、テレビ局に対し圧力をかけたという。注意なので違反が認められ、処分された訳ではない。違反の恐れが認められた場合の警告が発せられたのでもない。あくまでも違反につながる恐れに止まるものである。しかし大ニュースとなったジャニー喜多川氏の死去の直後ということもあって、この情報にメディア各局が挙って飛びついた。

注意の場合は公取委はプレスリリースはしない。非公式な対応だ。報道では「関係者が明らかにした」とあるが、元SMAPの3名に近い者によるリークだろうか、あるいは事務所内部から出た情報か。

独占禁止法には芸能事務所によるメディアへの圧力を違反にする規定が多くある。不公正な取引方法の禁止(19条)は、違反行為が細かく類型化されており、例えば、「取引拒絶」「抱き合わせ」「拘束条件付き取引」「優越的地位濫用」「取引妨害」などが適用の候補となるだろう(筆者は、過去の論考(「存在感を増す独禁法の優越的地位濫用規制:芸能人からGAFAまで」)で「芸能界への優越的地位濫用規定の適用」について触れたので参照いただきたい)。

芸能事務所とメディアの関係は、メーカーと流通業者の関係に置き換えることができる。メーカーからすれば、自社の製品を他社の製品よりも優遇して扱ってもらいたい。流通業者が自社製品を欲しがれば欲しがるほど自社に有利な条件、競争他社に不利な条件での取引を行おうとするだろう。芸能の場合、自分のところで抱えているアイドルグループと競合するタレントを番組から排除する、同じ事務所の複数のグループをセットで出演させることで番組の「枠」を埋めてしまうといったやり方が考えられる。

この元SMAPの3人組の場合はどうなのだろうか。もちろん元SMAPのメンバーは、ジャニーズ事務所にとって少なからぬ脅威となる競争相手ではある。彼らをテレビ番組に出演させないことで、競争に悪影響を与える形で自らの支配的地位を維持しようとした、という説明もなくはない。ただ、排除されそうになった相手の範囲があまりにも「限定的」過ぎる。不公正な取引方法の効果に係る要件である「公正な競争を阻害するおそれ」を認定するには競争への影響が足りないようにも見える。問題となる市場も狭く、独占禁止法の射程としては小さすぎる。

どちらかというとこのケースは、独立したメンバーに対するサンクションとして理解する方がしっくりくる。独立したタレントが売れてしまうと独立の連鎖を止めることができない。だから独立したタレントの出演を阻止しようとした、そんな話なのかもしれない。この場合、独占禁止法上は「取引妨害規制」の適用が考えられる。この場合の「公正な競争を阻害するおそれ」は、「やり方がひどい」という手段の不公正さで説明されることがある。

何故、公取委の対応が「注意」にとどまったのであろうか。産経新聞の2019年7月17日付記事に考えるヒントがある。

ある民放の関係者は「全く現場レベルにはそのような話は伝わっておらず、びっくりした。確かに『新しい地図』の3人の出演はSMAP時代に比べれば減ってはいたが…」と驚く。

 

 別の関係者は、「民放各局ともに、3人を起用する番組はそれぞれにあったと思うし、全く3人を起用しないということでもなかった」と同調する。

 さらに別の関係者は「少なくともそんな指示があったなどという話は聞いたことがないが、ジャニーズ事務所に対し、いわゆる“忖度(そんたく)”のようなものが働いていたといわれれば、3人の出演が減っていることなどを考えると、それは否定できないのかもしれない」と指摘した。

このケースは、事務所から明らかな妨害の指示があったのではなく、元SMAPのメンバーを使いづらい、そんな空気があったケースだったのかもしれない。空気なので、はっきりと誰がどのように指示したかは明確ではない。ジャニーズ事務所ぐらいの超大手になればコンプライアンスにも敏感だろうから、法令違反の言質を取られるような真似はしないだろう。そのような空気の醸成に事務所が関与したとしても、公取委は明確な証拠をもって違反を認定するのには躊躇するだろう。違反の疑いありともいえず、せいぜい違反につながる恐れあり、ということになるのはうなずける。

さらに問題なのは、メディア側が「忖度」したという場合である。メディア側がジャニーズ事務所に忖度するのは、事務所との良好な関係を築きたい、維持したいからである。そうであればそれは何が問題なのか。そうするように圧力をかけたのであればそれは忖度ではなく、圧力である。最後の関係者の発言は明確な指示に基づく圧力の結果ではなく、ジャニーズ事務所がこれまで築いてきた地位による「存在という圧力」の結果であることをいわんとしている。しかし、それをもって「違反」とされてしまったらたまったものではない。公取委は、もしこの状態で明確な指示があれば違反の疑いが生じ、あるいは違反が認定されますよ、ということを「注意」しただけかもしれない。そうであれば、その時点ではジャニーズ事務所の対応は「白」ということになる。ジャニーズ事務所が、この問題について抑制的な動きをしているというのであれば、それは批判すべきことではなく、評価されるべきことなのかもしれない。

しかし報道では「圧力」とある。

公取委が調べるだけ調べて出てきた結果が、「違反を認定し処分した」のではなく「注意に止まった」ことに興味が湧く。圧力をかけたといっても、具体的に何をしたというのだろうか。そしてそれは何故、注意に止まったのだろうか。

独占禁止法と入札談合:「競争の体裁」は不幸を生む

前回の論考は談合罪に関するものだったが、今回は独占禁止法を取り上げる。1941年の刑法改正で創設された談合罪に対し、独占禁止法は戦後の1947年の制定である。高校の日本史教科書にも載っているように、独占禁止法はGHQの経済民主化政策の一環として導入されたもので、財閥解体などとセットで語られてきた。

独占禁止法はその名の通り市場における企業の独占化を問題視するものであるが、よく知られる違反はカルテルや入札談合といった、業者間でなされる競争をしないことの合意である。競争制限の合意は独占と同じような弊害を市場に生み出す。それも単なる独占であればそれ自体競争の結果(効率性の反映)である可能性もあるが、業者間の合意にはそれがない。

それを禁止するのが「不当な取引制限」規制である。独占禁止法3条は「事業者は、私的独占又は不当な取引制限をしてはならない。」と定め、その定義規定である2条6項は以下の通り定める。

この法律において「不当な取引制限」とは、事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう。

この規定の射程に入札談合が含まれることは容易に理解できよう。母法である米国反トラスト法も同様の取り扱いをしているので、日本の独占禁止法が入札談合をその射程とすることは当然視された。これにより入札談合に対する法的規律は刑法の談合罪と独占禁止法の「二重規制」の形をとることになった。

ではどうやって両者は棲み分けているのか。上記の条文から分かる通り、独占禁止法には「一定の取引分野」という要件がある。この「分野」という言葉から、独占禁止法は単発の入札における談合は射程としないものだと理解され(もちろんそうでないとも理解できる)、単発の談合は談合罪、連続する(複数の)それについては独占禁止法というだいたいの実務が定着している。談合罪には対象となる入札の回数の制限をかける文言はないので、論理上、複数回の談合に対し談合罪の適用が妨げられるものでは決してない。

複数回にわたる受注調整を扱う独占禁止法では事業者に対する行政処分が中心であり刑事制裁は例外的な扱いであることから、談合罪との不均衡の問題は無視できない。法人処罰の有無等、両者を単純に比較することもできない。(敗戦を挟んだ)「接木的」な立法の整理が戦後三四半世紀経ってもできていないのが現状である。

独占禁止法においては、違反事実は「基本合意」と「個別調整」とに分けて認定されることが多い(一緒にまとめてなされることもある)。複数回にわたる受注調整の場合、各々が独立して(相互に切り離されて)なされることは珍しく、大抵の場合、事前に全体に係る基本的な合意がなされて、その後にその基本的な合意に従って、個別案件において受注の調整がなされる。例えば、公共工事であれば、現場に近い業者が落札するとか、工事の規模に応じて応札する業者を分けるとか、落札の順番を決めるとか、そういった取り決めを事前にしておくことが多い(曖昧な形での合意も少なくない)。

戦後の経済民主化政策の目玉として華々しくデビューした独占禁止法ではあるが、制定後数年経ったあたりからその存在感が薄れ、1960年前後にはほとんど適用されない年もあった。それは朝鮮戦争あたりから経済復興を競争ではなく国家主導の計画あるいは業者間の協調によって実現しようという考え方が支配的になったからである。カルテルを合法化する立法が相次ぎ、あるいは行政指導によって業者間の競争は骨抜きにされ、独占禁止法のプレゼンスは著しく低下した。独占禁止法は戦後復興と高度成長時代の主役ではなかった。いまでも独占禁止法にアレルギーを持つ人々の思想は、こうした昭和の記憶に支えられている。

入札談合も同様である。日本は「談合天国」などと揶揄されるが、昭和の中頃、談合は「必要悪」などといわれ、世の中をうまくやりくりするための「大人の知恵」と考えられた。調達対象の内容とは無関係に、例外なく価格だけで競争させる入札を実施し続けた。その一方、法令上の原則である一般競争入札ではなく、例外的な指名競争入札を多用し、談合の常態化を招いた。それでも確実な調達が可能になるという前提で、この状況を受け入れ続けてきた。業者側には不透明な金銭のプールが生まれ、これがトラブル解決の潤滑油にもなったが、政治家が巣食う利権にもなった。「天の声」が政治家やその秘書筋から発せられてきたのは、競争的な仕組みの体裁を繕いつつ、その実、非競争的な実態を見直さず、指名に係る発注者の裁量を多く残したからである。旧来的な政官財の相互利用の構造を支えてきたのが、公共調達の分野であった。公共工事はその象徴的な例である。

時代は変わった。1990年代のゼネコン汚職事件はその大きな転換点だった。その前の日米構造協議を受けた独占禁止法の強化とゼネコン汚職事件後急速に進む入札改革は、談合的な業界構造の変化を迫った。2005年の大手ゼネコンによる「談合決別宣言」は、それまでに定着してきた談合を含む「旧来のしきたり」の存在を認め、それからの脱却を誓うものだった。その後も、談合事件が生じる度に「旧態依然とした」と批判され続けて今に至る。独占禁止法も数次にわたり改正され、その強化が図られてきた。指名競争入札や随意契約は法令の規定通りに例外的なものとなり、一般競争入札が当たり前になった。一方で、2005年の公共工事品質確保法の影響で公共工事については総合評価方式が原則的な方式と位置付けられることで、発注者にとって現実的な対応が可能となった。

これまで独占禁止法は「適用しない」ことで、上記の「大人の事情」に対応してきた。しかし、平成に入った頃から公正取引委員会は容赦無く入札談合にメスを入れてきたし、今後もそうするだろう。独占禁止法には「公共の利益」というエクスキューズが用意されているが、独占禁止法の適用に当たっては実際上、通用しない。それは何故か。

それは発注者が競争入札を採用している以上、その競争の手続きに反する行為は発注者の利益に反するものだという理解があるからだ。そもそも発注者自身、自ら採用した競争入札の効用を否定する訳がなく、入札談合がなされたならばほぼ確実に、徹底して「被害者」として振る舞うであろう。非を認めれば責任が自分にくるからだ(もちろんそうでないレアなケースの存在は否定しない)。「競争の体裁」がある以上、競争しない業者は疑われる。そうであれば公正取引委員会も裁判所もそのような前提で考えるだろう。発注者が競争の体裁を作った以上、その体裁に反する行為は独占禁止法の網にかかる。かつてのように独占禁止法が「大人の事情」を考慮することは期待できない。

考えるための格好の素材が、リニア談合事件である。一年に一件あるかないかの独占禁止法の刑事事件だ。リニア工事は民間工事であるが官公需の性格を持ち合わせてもおり、公共発注に通じるものがある。事件の真相は裁判の過程で明らかになるだろうが、その断片はすでに雑誌等で報じられている。例えば『東洋経済』の記事、「混迷「リニア談合」、JR東海に責任はないのか:ゼネコン4社が起訴されたが、どこかちぐはぐ」では次のように述べられている(「同社」とはJR東海を指す)。

都心の大深部や南アルプスを掘削するリニアは難工事とされ、同社もそれを察してか、事前に地質調査やトンネル掘削の研究開発をゼネコンに依頼していた。

難工事の連続、かつ時間的制約が厳しいというのであれば、競争よりも計画あるいは協調の方がうまく行くかもしれない。協調的関係がなかったとしても業者側にとって得意分野を選択し、そこに資源を集中させる方が効率的であり、そのような棲み分けが競争制限の基本合意なしに形成されることも十分あり得る。そのような事情があり、それを発注者が理解しているのであれば、公共調達でいう特命随意契約を各社と結べば足りるものだったのではないか、という疑問が残る。少しでも安くしたいというプレッシャーがJR東海側に強くかかったのか。あるいはWTO政府調達協定の対象であった時代の感覚がどこかにあったのか。財務部門と技術部門の連携は十分に図られていたか。もし非競争的な状況のきっかけを作ったのが発注者であるJR東海だというならば、この事件は果たして刑事事件になるようなものだったのか。

公正取引委員会委員長の発言が上記『東洋経済』誌で紹介されている。

 (各社の技術力や手繰りなど)事前に工事を割り振らざるを得ない事情があったとしても、価格競争をルールに設けた以上、受注者同士で価格を話し合うのは独禁法違反だ。初めから(特定のゼネコンと直接契約を結ぶ)随意契約なら問題はなかった。

随意契約だったらよかった。公正取引委員会の本音が垣間見られる。何故、大成と鹿島は否認しているのか。事件の本質はその理由が何なのかに見出されよう。独占禁止法が今、試されている。

一連の競争入札改革は一般競争入札の徹底を発注者に求め、発注者は競争という体裁を繕うことに躍起になった。競争を信頼していない発注者が競争の体裁を繕うだけで、旧来的なやり方での業者側の柔軟な対応を期待するのであれば、業者側は独占禁止法違反という大きなリスクを負うことになってしまう。市場原理に基づく自然な棲み分けであっても、独占禁止法はあれこれ理由を探して牙をむくかもしれない。一方、業者側がコンプライアンスに拘れば(それは過剰反応の場合もある)、リスクは発注者側に移ることになる。「談合決別宣言」の少し後に、建設業界のトップに宣言後の公共工事の展望について話を聞いたことがある。「これからは困るのは私たちではなく発注者だよ。」と答えてくれたことを今でも鮮明に覚えている。

談合をめぐる環境変化と談合罪の再確認

令和元年の現在、「良い談合」「悪い談合」が堂々と議論されていた昭和の時代は遠い過去のものとなり、「必要悪」といわれていた入札談合を擁護する主張はほぼ皆無となった。平成に入り、いわゆる「ゼネコン汚職」をきっかけに急速に進められた競争入札改革や、日米構造協議を受けた独占禁止法強化の流れの中で、入札談合の余地は狭められていった。その決定打となったのは、2005年に大手ゼネコンが共同で行った「談合決別宣言」であった。独占禁止法の制裁は数次にわたり強化され、指名停止期間も拡大、談合発覚時の違約金特約も契約金額の20%程度が当たり前になった。入札談合に対するメディアの取り上げ方も大きくなり、その批判も強烈なものとなった。

競争入札は、競争という手続きを用いることによって、最適な契約者と契約条件とを発見することを可能にする仕組みである。価格面でいうならば、競争入札は競争価格を実現してくれることにその効用がある。禁止される入札談合とは受注調整なので受注調整に至らない「話し合い」は本来射程外だが、入札談合に対する激しい攻撃に晒された企業は「少しでも疑われる」ことに過剰に反応するようになった。その典型例が、リニア談合事件における大林組の対応である。大林組は事件の摘発を受けて、大学の同窓会なども含めて他のゼネコンが出席する会合や飲み会に役員や社員が参加するのを原則禁止する、というコンプライアンス対策を発表した(日経XTECH記事「なめてませんか?コンプライアンス:ささいなルール破りが倒産や懲戒処分に」参照)。ライバル社と競争制限につながる情報交換がなされるのを防ごうという狙いだが、過剰反応だという批判が相次いだ。

そのような過剰反応の背景には、入札談合の犯罪としての要件について少なくない誤解があるのかもしれない。ある業者が他の業者に応札の意欲があるかどうかを聞いただけで刑法の談合罪が成立するかのように考えている捜査当局の職員がいるとも聞く。疑いのきっかけになる事実と犯罪を構成する事実とを混同しているとしかいいようがないが、当局でさえそうなのだから、一般にはもっと誤解されているかもしれない。

以下では、談合罪に係る基本事項、具体的には「条文」「『談合』の意味」「『公正な価格』の意味」について触れることとしよう。一週間ほど前に筆者は官製談合防止法違反の罪についても解説したところであり(「官製談合防止法のリアル:“金星”目当ての捜査の危険性」参照)、こちらも併せて参照いただきたい。独占禁止法については、日を改めて別稿で論じることとする。

 

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条文

刑法96条の6第1項(公契約関係競売等妨害罪)は「偽計又は威力を用いて、公の競売又は入札で契約を締結するためのものの公正を害すべき行為をした者は、3年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と定め、同第2項(談合罪)は「公正な価格を害し又は不正な利益を得る目的で、談合した者も、前項と同様とする。」と定める。談合罪は昭和16年の刑法改正において創設された。

 

「談合」とは

「談合」とは辞書的にいえば「談じ合うこと」あるいは「話し意を合わせること」である。談合罪には「何についての談合か」は明記されていないが、前項の公契約関係競売等妨害罪を受けてのものなので、入札(あるいは競売)における談合(以下「入札談合」のことを意味するのは明らかである。入札談合とは、入札において応札者等が通謀して、特定の者を契約者にさせるべく各々の応札行動を決めるように協定することを意味する。最低価格自動落札方式の場合、しばしば「チャンピオン」と呼ばれる受注予定者を受注者とするため他の談合業者はチャンピオンの応札価格よりも高い価格を入れる、あるいは他の業者が応募しない、応札しない形で実現される。一言でいえば「受注調整」である。

昭和16年の刑法改正の当時、政府は「談合」を「入札者又ハ競売ノ申込者ガ互ヒニ通謀ノ上或ル特定人ヲシテ、契約締結者タラシムル為メ、他ノ者ハ一定ノ価格以下又ハ以上ニテハ、入札又ハ付値ヲナサザルベキコト協定スル行為ヲ云フ」(*1)と説明しており、制定後に形成された裁判例においても「公の競売又は入札において・・・競争者が通謀して或る特定の者をして契約者たらしめるため他の者は一定の価格以下又は以上に入札しないことを協定する」(*2)ことを指すものとされた(*3)。

なお談合罪の成立のためには応札可能業者(あるいは被指名業者)全員が当該協定に参加することまでは要しないが、競争入札の手続に影響を与えないくらいに少数の者による協定、あるいは他に十分に対抗し得る業者が存在し、そもそもの実効性に欠けるならば、談合罪の成立が否定されることになる。

 

「公正な価格」:立法者意思と判例

談合罪の構成要件である「公正な価格を害し又は不正な利益を得る目的」をどう理解するかについてはその保護法益論に関連して従来から見解が分かれてきた。ここでは「公正な価格」に絞って考察する。

「談合(すること)」(=競争を制限することを合意すること)と「公正な価格」とが並列しているので、何らかの制限があったとしても「公正な価格」の阻害に向けられたものでなければ犯罪が成立しない、と考えるのが自然な見方である。昭和16年に談合罪が刑法典に盛り込まれた際の、立法者意思はまさにそのようなものであった。

帝国議会衆議院における牧野良三議員の「適正価格ト云フモノハ、二、三年前マデハ大変不明瞭ナモノノヤウニナツテ居リマシタガ、 昨年以来統制経済ニナリマシテカラ、適正価格ト云フコトハ大変明瞭ナ観念ニナツタ」(*4)という発言からもわかる通り、当時の統制経済下では、公定価格等を前提として予定価格が定められている故に「適正価格」も一定範囲に収まることが当然の前提となり、それを破る目的でなされる談合にこそ可罰性がある、という理解になる。つまり、そこでは「公正な価格」と競争的な価格とは必ずしも一致する訳ではなかったのである。

「公正な価格」の理解について最高裁判例は「競争価格説」に立っているといわれている(*5)。すなわち「公正な価格」とは「当該入札において、公正な自由競争によつて形成せられたであろう落札価格」のことであり、競争制限によって競争によって本来形成されただろう価格が引き上げられた以上、それはすなわち「公正な価格」を害することになるのである。そのような理解は戦後になって導かれたものである。

これに対抗する適正利潤説、すなわち「当該工事等に関し、実費に適正な利潤を上積みした価格」とする考えは、下級審判決(*6)でしばしば見られてきたものであり、昭和時代の警察、検察実務のスタンダードとして理解されてきたものだった「競争価格説」では不良工事の回避といった公共調達の要請に合わないことから、最高裁判決とは異なる下級審判決が出て、それが確定するといった事態が生じるに至った経緯がある(*7)。

 

競争的価格と「公正な価格」の距離

確かに戦後、統制経済は解かれ自由競争を中心とする体制に移行したので、戦前の議論がそのまま現在に通用する訳ではない。しかし会計法令上、「予定価格は、契約の目的となる物件又は役務について、取引の実例価格、需給の状況、履行の難易、数量の多寡、履行期間の長短等を考慮して適正に定めなければならない。」(予算決算及び会計令80条1項)という規定の下、各発注機関に共有されているその時々にスタンダードとされている積算単価を根拠に予定価格が定められているのであり、予定価格を暫定的な適正価格として位置付け、どこまでの乖離を「公正な価格」とするのか、という課題は残されたままなのである。とりわけ公共工事においては、総合評価方式を原則化する理念法として平成17年に制定された公共工事品質確保法は平成26年の改正で、「公共工事を施工する者が、公共工事の品質確保の担い手が中長期的に育成され及び確保されるための適正な利潤を確保することができるよう、適切に作成された仕様書及び設計書に基づき、経済社会情勢の変化を勘案し、市場における労務及び資材等の取引価格、施工の実態等を的確に反映した積算を行うことにより、予定価格を適正に定めること。」(7条1号)と定めるなど、公共工事おける価格の適切さの理解については、従来の考えとは相当異なる環境となっていることは見逃せない。また、価格競争といってもそれが過剰になれば独占禁止法の不当廉売規制に抵触する恐れが生じることになるのであるから、競争的価格=(法的に見て)公正な価格であるという単純な図式は成り立たない。刑法96条の6第2項の規定が、現在でも「談合」と「公正な価格」とを並列させている以上、競争的価格では言い尽くせない「公正な価格の侵害」とは何か、という論点は存在し続けるのである(*8)。

 

施行者にとって利益になる場合

ここで注目しなければならないのは、昭和40年9月28日の東京高裁判決である(*9)。談合罪における「公正なる価格」が問題になった事案において東京高裁は以下のように判示している(同判決はその後、上告受理申立がなされたが棄却決定されている)。

 

果して然らば、公正なる価格を害する目的をもつてする談合罪とは、公正にして自由な競争入札が担保されている限り、その結果として形成された落札価格はこれを適正な価格と認めるべきであり、この価格を入札施行者の不利益に変更することを目的としながらなされた談合であると解釈すべきものであるといわなければならない。

 

同判決は、裏を返せば、入札施行者の「利益」になるような変更は「公正なる価格」の侵害にはならないことを述べている。例えば、公共工事において現場条件等が不利である等の事情から予定価格では割りが合わないと思われるケースでは通常入札不調が予想されるが、「地域のために」と地元業者が話し合ってどこかが責任をもって(赤字)受注するような場面があったとする(そのような話は決して稀有なものではない)。この場合、競争的な価格は予定価格超のそれとなるが、話し合いの結果は予定価格以下となる。そのような行為は上記の「公正な価格」についての判例の理解(「競争価格説」)に立ったとしても、これを害することにはならないことになる。そういった趣旨の話し合いには「公正な価格を害する目的」は認められない、というのが過去の判例から導かれる結論なのである。

 

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以上、談合罪に係る基本的事項を確認してきた。競争入札に際して応札業者同士で何かを話し合えば、それで即、談合罪が成立するというものではないということは、ここからも容易に分かるだろう。競争入札が所期の効果を達成する、すなわち複数の受注希望者が現れてそれらが競い合う結果、競争的な価格が競争入札において実現され、それが発注機関の利益、延いては納税者の利益に叶うという認識が、談合罪の基礎にある。それは言い換えれば、競争入札が機能する前提を欠くような場合、調達を確実ならしめるために業者間で話し合うことは談合罪の射程外であることを意味する。何故ならばそれは落札価格を発注機関にとって不利益に変更するものではないので「公正な価格を害する」ことにならないからである。発注機関の怠慢あるいはミスを業者側が話し合ってフォローする実務を筆者は数多く見聞きしてきた。無謬性の体裁に拘る行政はこのような実態を認めようとしないだろうが、この現実に正面から向き合うことができなければ、公共調達実務の真の改革は望めない。談合罪の法実務は、そのための有益な材料を与えてくれるだろう。それだけに公共調達の制度と実務に詳しい法曹の養成が求められるのである。

 

*1 第76回帝国議会・衆議院借地法中改正法律案他一件委員会議事録(速記) 第4回(昭和16年2月24日)25 頁。

*2 最高裁昭和28年12月10日判決刑集7巻12号2418頁。

*3 他の者に受注意欲のないことを前提に受注予定者自らのみが予定価格を割り込む形で(魅力のない工事を請け負う)コンセンサスを取り付ける行為が「談合」になるかどうか、それ自体が重要な論点となる。

*4 第76回帝国議会・衆議院借地法中改正法律案他一件委員会議事録(速記)第4回(昭和16年2月24日)21頁。

*5 最高裁昭和28年12月10日決定刑集7巻12号2418頁、最判昭32年1月22日刑集11巻1号435頁等。

*6 東京高裁昭32年5月24日判決高刑集10巻4号361頁等。

*7 いわゆる「大津判決」(大津地裁昭和43年8月27日判決下刑集10巻8号866頁)である。

*8 次注の高裁判決でも、市場独占の目的での採算無視の入札の存在に触れながら、「いわゆるダンピング価格・・・も公正にして自由な競争入札によって得られた落札価格であるか否かに疑問があるから、公正な価格といい得るか否かは疑わしい」と述べている。

*9 東京高裁昭和40年9月28日判決高裁判決時報(刑事)16巻9・10号192頁。

 

楠茂樹 上智大学法学部国際関係法学科・法科大学院教授

京都大学博士(法学)。京都大学大学院法学研究科・法学部助手、京都産業大学法学部専任講師等を経て現職。専門は公共調達制度、独占禁止法、経済刑法等。主著として、『公共調達と競争政策の法的構造(第2版)』上智大学出版/ぎょうせい(2017)。近著として、「談合、入札不正への官側の関与と刑法(特集 刑法と独占禁止法)」公正取引777号12頁以下(2015)、「最近における入札談合事件をめぐって(特集 最近における入札談合事件をめぐって)」公正取809号 2頁以下(2018)等。これまでに、国土交通大学校講師、総務省参与、東京都入札監視委員会委員長、京都府参与、奈良市入札制度等改革検討委員会委員長、京都府入札制度等評価検討委員会委員長、総務省行政事業レビュー推進チーム(外部有識者)構成員、内閣官房行政改革推進会議歳出改革WG構成員(法務省担当)、国土交通省関東地方整備局入札監視委員会委員長、財務省会計制度研究会委員、文部科学省・物品役務契約監視委員会委員等を歴任。

 

官製談合防止法のリアル

「日本は談合天国だ」などといわれて久しいが、最近は業者間でなされる通常の入札談合よりも、発注者が関与する「官製談合」の報道の方が目立っているような感がある。

贈収賄事件に発展した大阪市発注の電気工事をめぐる官製入札不正事件は、報道によれば、市の建設局の契約担当者が最低制限価格に関する非公開の情報を業者に漏洩し、当該業者がそれを自ら用い、最低制限価格付近で落札し、あるいは一部の契約ではその情報をある業者にさらに伝達し落札させ、自らは下請けに入ったという。大阪市では、過去に競争入札におけるこの下限価格、すなわちその額を下回った応札を失格にする最低制限価格の漏洩が問題になり、再発防止策を講じていた中での再発である。入札で情報漏洩の疑いが指摘されていたにも拘らず、違反を確認しなかった市の対応が批判され、吉村洋文市長(当時)は、新たな監視機関を設置するなど対応に追われた。

長岡市発注の下水道工事をめぐる情報漏洩事件でも市の上級幹部が立件された。この幹部は事件の再発防止を検討する市の委員会の委員を務めていたとのことである。政治家との癒着も取り沙汰されたこの事件は、公共工事をめぐる不正への官側の関与の相変わらずの根深さを改めて国民に知らしめるものとなった。

いずれも適用されたのは「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」という長い名前の法律であり、一般に「官製談合防止法」と呼ばれている。

一つ注意を要するのが、上記のケースのように官製談合防止法の適用の多くは、独占禁止法や刑法の談合罪が対象とする、私たちが一般に「談合」として理解する業者間の競争制限に発注者側職員が関与(協力)したケースではなく、発注者側職員が特定の業者を有利にするために情報漏洩を行うような「非談合型の入札不正」だということである(大阪のケースはそれらのミックスのようにも読める)。官民間の癒着も広い意味では「談合」なので「官製談合」という言葉を用いることは不自然ではないが、正式名称に絡めていえば「入札談合等関与行為」以外の「職員による入札等の公正を害すべき行為」なのである。

官製談合防止法違反の罪(8条)は刑法でいう(威力、偽計による)公契約関係競売入札妨害罪(96条の6第1項)と談合罪(同2項)の(公共調達の発注者という)身分犯的な加重類型であると一般に理解されている。官製談合防止法に刑事罰が盛り込まれるまでは、官側の入札不正の関与であっても、刑法典のこれらの規定が適用されてきた(例外的に独占禁止法違反の罪が適用されたこともある。旧道路公団の最高幹部が摘発された橋梁談合事件がその例である)。

官製談合防止法と刑法、独占禁止法の間にはやや複雑な関係があり、ここでは割愛する(拙著『公共調達と競争政策の法的構造』上智大学出版(2017年)の該当箇所を参照してもらいたい)が、次の点は押さえておきたい。それは官製談合防止法違反の罪の要件が「入札等の公正を害すべき行為」と、極めて「幅のある」ものになっているということである。これはその基礎となった刑法における公契約関係競売入札妨害罪が「公の・・・入札で契約を締結するためのものの公正を害すべき行為」と規定していることに対応する。ここでいう「公正」をどのように捉えるかについては、そもそもこの罪が何を保護されるべき法益と考えているかに拠り、(公正な)公務と理解するか、(公正な)競争と捉えるか(あるいはそれ以外か)、諸説あるが、いずれの理解に拠ったとしても、その内容は曖昧である(論者毎の主観に依存しやすい)ことにはかわりはない。

都道府県警や検察が入札不正に官製談合防止法を適用するとき、大抵の場合、その先にある「贈収賄」をターゲットにする。この曖昧さと射程の広さを有する官製談合防止法はその「入口」として使い勝手のよいツールとなっている。確かに業者側には利益獲得という入札不正をするインセンティブはある。一方、世間的にみれば発注者側職員の入札不正に関わるインセンティブは「業者からの見返り」にある、というのはわかりやすい発想だ。

贈収賄事件に発展しなくても、入札不正事件として発注者側には官製談合防止法を適用し、業者側には刑法の公契約関係競売入札妨害罪を適用できるのであれば、事件は完結させられる。数年前まで、官製談合防止法が適用された刑事事件のうち収賄が絡まなかったケースのほとんどが略式命令で比較的小額の罰金刑として処理されてきたのは、司法のこの分野における態度をよく表しているといえよう。入札不正それ自体は軽くみられてきた、といわれても否定はできまい(最初から略式で終わるようなケースだと分かっていたならば躍起になって捜査するだろうか)。状況は変化し、最近では贈収賄が伴わない入札不正事件でも多くの場合、(執行猶予付きではあるが)懲役刑が科されている。入札不正は言い換えれば公金支出に係る不正行為なのであるから、その態様次第で厳罰となるのは当然といえば当然である。

しかしながら、警察、検察が尚も入札不正を贈収賄の入口にしか考えず、身柄拘束のきっかけ程度にしか考えていなかったとしたらどうだろうか。贈収賄事件の立件という「金星」の獲得に躍起になって、あれもこれも「入札等の公正を害すべき行為」に詰め込んでしまうという危険はないのだろうか。例えば、公告前に何らかの情報のやりとりが特定の業者となされていた、とする。既存の契約業者に対して次年度の発注に関連したヒアリングを行うのはよくある話であるが、それが情報の漏洩だといわれることはないのか。地域や経験等入札参加資格が厳しめに設定されることは、公共工事などでは通常だが、それによって特定の業者を排除した、といわれることはないのか。技術仕様をどのレベルで設定するかは調達目的の合理的実現の観点から決められるものであるが、それが特定の業者を有利にした、といわれることはないのか。重要なのはそういった競争に対する一定の制約が合目的的に適正に行われているかどうかなのであるが、そんなことはお構いなしに、事実の一部を切りとって評価し、「公正を害する」と一方的に決め付けてしまうことはないのか。独占禁止法の優越的地位濫用規制について論じたこと(「存在感を増す独禁法の優越的地位濫用規制:芸能人からGAFAまで」)でもあるが、「競争の公正さ」を規律するということは難しく、「市場の番犬」は「役立たず」にも「狂犬」にもなり得るのである。それは当局が公正取引委員会から警察、検察に交代しても同じだろう。むしろ「金星」獲得に躍起になっている警察、検察は、公正取引委員会とは比較にならないほどの「モンスター」になってしまうかもしれない。

競争入札が用いられる場合には、当然その競争性の確保が求められるのはいうまでもない。しかし受注希望者間の平等の取り扱いに拘るあまり、調達目的に支障を来してしまったら元も子もない。競争条件に係る一定の制約を競争入札の仕組みの中に盛り込むことは、それが公金支出の目的に資する限りにおいては正当なものであり、(会計法や地方自治法といった)法令も許容するものである。しかし、官製談合防止法はそういった正当な行為を萎縮させる危険を孕んでいる。

重要なのは、「公正を害する」という曖昧な要件に、この法律を運用する側がどう向き合うかである。当局側に正当な行為と不当な行為をきちんと見分けるスキルがあればよいのであるが、そのためには入札契約の法実務、行政実務に長けていなければならない。そういった専門性を有する人材は捜査当局に多くないし、裁判官にも弁護士にも多くない。

「金星」目当ての「見込み違い」の捜査の危険は十分にある。「見込み違い」であっても簡単には「引っ込みが付かない」のが刑事司法というものだ。引っ込みが付かなくなったとき、当局が放つエネルギーには凄まじいものがある。公共調達の分野にとって本当に不幸なことである。ただ、正当な行為を装って不正に手を染めるケースは確実に存在する。重要なのは「見極める」スキルである。公共調達に強い法曹が求められている。

スポーツ選手の移籍制限と独占禁止法

公正取引委員会は6月17日、「スポーツ事業分野における移籍制限ルールに関する独占禁止法上の考え方」を公表した(以下、「考え方」とする。なお本論考にける引用箇所はすべて「考え方」からのものである)。これは公正取引委員会開催の「人材と競争政策に関する検討会」の報告書(2018年2月15日公表)が人材の獲得をめぐる競争への独占禁止法の適用を示唆したことを受けて、その応用編として公正取引委員会がとりまとめたものである。同報告書の公表後、「独占禁止法上問題となり得る具体的行為や慣行が存在するかどうかについて実態把握」を行う中で「スポーツ事業分野では、スポーツ統括団体が移籍制限ルールを定めている事例があることが認められた」という。

この報告書は、人材としての芸能人(の活動に制限を課す芸能事務所や関連団体)への適用が示唆されたことで話題となったが、もう一つの注目の的はスポーツ選手とスポーツ界である。

独占禁止法の違反主体は主として事業者(あるいは事業者団体)であり、スポーツ事業分野における各チームやスポーツ統括団体はこれらに当たり得る。ではその活動が制限される選手側の属性に独占禁止法上の限定はあるか。不当な取引制限規制のように特に限定しないもの(複数事業者の合意に基づく競争制限)、取引拒絶規制のように「事業者」とする場合、(「考え方」の射程ではないだろうが)優越的地位濫用規制のように「継続して取引する相手方」(あるいは「取引の相手方」)とする場合、そして拘束条件付取引規制のように「相手方」としつつ拘束される対象を「その事業活動」とすることで実質「事業者」に限定するもの、さまざまである。ただ、スポーツ選手が事業活動をしている(すなわち事業者)と考えるならば、スポーツ統括団体によってなされる選手の活動の諸々の制限が、これらの規制の対象となると考えることについて然したる障壁はない(非事業者を事業者に読み込むことはできないが、相手方には事業者は当然に含まれる)。

問題は、スポーツ統括団体による選手への制限のうち、具体的にどのような行為が独占禁止法に違反するかである。「考え方」では「独占禁止法は、公正かつ自由な競争を維持・促進することにより、消費者利益の確保や経済の活性化を実現しようとするものであ」り、それはスポーツ事業分野についていえば「選手獲得におけるチームの自由な活動等が適切に確保されることによって、スポーツファンのみならず消費者全般の利益が達成されるということ」だとしつつ、以下の考え方を示している(一部省略)。

一般に、競争関係にある複数の事業者が、共同して、人材の移籍や転職を相互に制限・制約する旨を取り決めることは、原則として独占禁止法違反となる。また、事業者団体が当該取決めを設ける場合も同様である。

スポーツ事業分野において移籍制限ルールが取り決められる場合は、チーム間の選手獲得競争が停止・抑制され得るとともに、その結果、選手を活用したスポーツ活動を通じた事業活動における競争も停止・抑制され、また、事業活動に必要な選手を確保できず新規参入が阻害されるといった弊害が生じ得ることとなる。

 

他方、スポーツ事業分野において移籍制限ルールを設ける目的には、主に以下の2点があるとされている。

① 選手の育成費用の回収可能性を確保することにより、選手育成インセンティブを向上させること

② チームの戦力を均衡させることにより、競技(スポーツリーグ、競技会等)としての魅力を維持・向上させること

この点、スポーツ統括団体が(又はチームが共同して)定める移籍制限ルールは、上記①又は②の面で競争を促進する効果を有する場合もあり得る。

結論として、移籍制限ルールについては上記の弊害が生じるからといって直ちに独占禁止法違反と判断されるのではなく、「それによって達成しようとする目的が競争を促進する観点からみても合理的か、その目的を達成するための手段として相当かという観点から、様々な要素を総合的に考慮し、移籍制限ルールの合理性・必要性が個別に判断されることとなる」としている。

公正取引委員会がスポーツ事業分野における移籍制限にこれまで手を出せなかったのは、「移籍制限ルールの合理性・必要性」の壁があったからであり、結局、「具体的なルールの内容や実態に即して個別に判断されるものである」としてしまったのであれば、それは示唆的な指針にはならないようにも思われる(唯一提示されたのが、「移籍や転職を無期限に制限・制約するルール」の問題性のみである。ただ、この問題をめぐる「思考回路」を示しただけでも前進ではある)。具体的なケースの集積はこれからである。公正取引委員会は「独占禁止法に違反する行為が認められた場合には厳正に対処することとする」としているが、一方で「各スポーツ統括団体等において、現行又は検討中の移籍制限ルールについて自主的な見直しを行い、必要に応じて改定を行うなどの取組を期待する」ともしている。仮にメジャーなスポーツ団体による諸制限に公正取引委員会が法律のメスを入れるとなると、紛糾するのは必定であろう。「選手の育成費用の回収可能性を確保することにより、選手育成インセンティブを向上させること」「チームの戦力を均衡させることにより、競技(スポーツリーグ、競技会等)としての魅力を維持・向上させること」を諸制限の正当化要素として認め、問題をその「合理性・必要性(の有無)」に持ち込んでしまった(それは正しい)以上、その線引きに悩むであろう(それは独占禁止法違反が疑われる行為に対する正当化問題一般に通じるものである)。「考え方」では多少の考慮要素を示してはいる(下記「移籍制限ルールの合理性・必要性に係る考慮要素」参照)が、結局、「無期限の制限・制約」以外はグレーのままで放置されてしまうかもしれない。「考え方」を示しておきながら、それも「原則違反」を謳いながらも、問題がある実態に手を付けないとなると、それが規範として定着してしまうかもしれない。スポーツ選手に対するチームや団体による活動の制限はさまざまであり、候補となる違反類型も多岐にわたる。今後この「広がり」にも注目したい。

公正取引委員会は、芸能界への対応も併せて「結果にコミット」できるか。

<参考> 移籍制限ルールの合理性・必要性に係る考慮要素

コンビニの深夜営業と独占禁止法

2019年4月24日の公正取引委員会の事務総長定例記者会見で山田昭典氏は以下の通り述べている。

・・・24時間営業を本部が決めているからということで、一概に独占禁止法上の問題になるというものではないというふうに理解しておりますが、その一方で、契約期間中に事業環境が大きく変化したことに伴って、取引の相手方が、この場合には、オーナー側ということになると思いますけれども、優越的地位にある者に対して、契約内容の見直しを求めたにもかかわらず、その優越的地位にある者が見直しを一方的に拒絶することが、独占禁止法に規定します優越的地位の濫用の一つの形態であります「取引の相手方に不利益となるように取引を実施すること」、それに該当するというような場合には、独占禁止法上の優越的地位の濫用に当たるということになります。

この記者会見と同じ日、朝日新聞は次の通り報じている(「コンビニ24時間、見直し拒否で独禁法適用検討:公取委」)。

公取委の複数の幹部によると、バイトらの人件費の上昇で店が赤字になる場合などに店主が営業時間の見直しを求め、本部が一方的に拒んだ場合には、独禁法が禁じている「優越的地位の乱用」にあたり得る、との文書をまとめた。

コンビニの本部(フランチャイザー)と各コンビニ(フランチャイジー)との関係は、確かに優越的地位に立つ側と立たれる側になり易く、独占禁止法における優越的地位濫用規制の適用対象としてはイメージし易い業態の一つである。今から10年ほど前、セブン-イレブン・ジャパンが、独立事業者である加盟店主に対して消費期限直前の弁当等の値下げ販売を妨害していたとして、公正取引委員会は優越的地位濫用規制違反で排除措置命令を下している。また、フランチャイザーとフランチャイジーとの間の契約は、両者間に存在する情報格差から説明義務違反の問題が生じ易く法的紛争が絶えない。

深夜営業の強要の問題は、かつてからしばしば指摘されていたことではあるが、大阪府東大阪市でセブンの店舗が深夜営業取り止めたケースがきっかけとなって大々的に報じられるようになった。同店舗が、オーナーの判断で今年2月1日から深夜営業を止め19時間営業に変更したところ、本部から24時間営業に戻さなければ契約を解除し、違約金約1700万円を請求するとの通告があったとのことである。このケースが大きく報じられることにより、再び独占禁止法上の優越的地位濫用規制が注目されることとなった。

コンビニの深夜営業、24時間営業をめぐっては、過去に(光熱費の料金等の)収納代行の要請も併せて、セブン―イレブン・ジャパンを相手取ってなされた民事訴訟においてその優越的地位濫用規制違反の有無が争われている。そこでは原告(フランチャイジー)側の敗訴で終わっている。一審である東京地裁判決は、24時間営業や収納代行が提供されないと当該コンビニ(ブランド)のイメージが損なわれることは避けがたく、加盟店にはその提供義務があると認定した。二審である東京高裁判決もこれを支持した(最高裁が上告棄却決定し確定)。

今問題になっているケース(あるいは今後出てくるだろうケース)が、過去に争われたケースと前提条件が同じかどうかは分からない。拙速な評価は避けるべきだろう。ただ、フランチャイジー側の経営上の困難の原因が契約時におけるフランチャイジー側の見通しの甘さにあるのであれば、優越的地位濫用の問題にするべきではない、ということは指摘しておきたい。「濫用」の射程が過度に拡大されることになり、契約社会それ自体を危機に陥れてしまう。優越的地位濫用規制は契約の自由の重要な修正ではあるが、それが契約の自由の根幹を脅かすことになれば、本末転倒である。一方、フランチャイザー側の自己都合による一方的な不利益の押し付けなのであれば優越的地位濫用規制の発動の場面であることに異論はなかろう(立法論としての議論の余地はあるが)。

問題は外部環境の変化によってフランチャイジー側の業務に支障が生じたような場合である。冒頭の公正取引委員会事務総長の発言中、「契約期間中に事業環境が大きく変化したことに伴って」とあるのは、まさにどちらの責任でもない環境の変化が問題とされているのである。ただ、この発言は「見直しを一方的に拒絶すること」を問題にしており、何らかの協議の場を設けて討議し、その結果としての解除通告、違約金請求ということなのであれば、問題はないという読み方も不可能ではない。しかし、フランチャイザー側が自分にとって不利益な契約内容の変更に簡単に応じるとは考えにくい。「話し合いに応じた」(手続きを踏んだ)という「アリバイの有無」の問題なのであれば意味のある条件付けではない。

公正取引委員会がコンビニ業界の実態調査に乗り出すとの報道が数日前にあった(「コンビニの実態、公取委調査へ:24時間営業で店主疲弊」)。公正取引委員会がこの問題について具体的にどう判断するかは、今後注視しなければならないが、ここでは以下の点に留意しておきたい。

コンビニが直営ではなくフランチャイズの形で独立した事業者に経営させているのは、(その一定割合は)「リスクの外部化(分散)」のためにあるといえる。つまり失敗のリスクを自ら抱え込むのではなく、契約を通じてリスクコントロール(マネジメント)できるところにメリットがある。公正取引委員会の判断次第では、その形態に変化を生じさせることになるかもしれない。一気に直営化が進むとは思えないが、リスクを外部化できないと判断されたフランチャイズ契約はそもそもの契約締結が見送られ、あるいは既存のものについては(合法的な形で)既存の契約が解消の方向に向かうかもしれない。

コンビニの24時間営業、深夜営業はブランドとしての基本的属性であり、それを止めてしまえばビジネスの根幹に関わる、との見解がある。上記の裁判例もそのような発想を前提にしたものだ。それはブランドのマネジメントにも影響する。あるコンビニブランドの一部の店舗が24時間営業、深夜営業を行わないとなるのであれば、フランチャイザーは自らのブランド維持のために、意図的な差別化に打って出るかもしれない。つまり24時間組とそうでない組(サブ・ブランド、姉妹ブランド)の使い分けである(そもそも大手ブランドのコンビニも初期の段階では24時間営業ではなく、「朝から夜までやっている(それこそ朝7時から夜11時まで)」ということが売りだった)。当然、営業時間以外の契約諸条件も異なってくる。

ただ、この問題は労働環境の適正化の問題でもある。解決は簡単ではない。

(立法のみならず公正取引委員会のような行政による対応を含む)法的環境の変化は経営戦略やマーケティング戦略に重大な影響をもたらす。部分的に正しい(と思われる)対応をしたところ、思わぬ副作用が生じる可能性もある。ある特定の人々(業者)を救おうとして、却ってそうした人々(業者)の不利益になってしまうこともあるかもしれない。優越的地位濫用規制はその蓋然性が高い法的規制の一つであるということは、もっと強調されてよいと思う。