最近、どこぞのタレントや元知事がツイッターでどう言った、こう言ったというニュースが多くないだろうか。誰かが何かをつぶやいたことをそのまま引っ張ってきてニュースにするのは「手抜き」以外のなにものでもないが、こんな記事ばかりに接していると正直うんざりする。
どうして、専門家でもなんでもないつぶやきがニュースになるのか。ファッションをはじめとする生活面ではインフルエンサーなる人がいるのだが、言論でもそういった人々はインフルエンサーだというのだろうか。インフルエンサーは日々努力して、人々に影響を与える存在になっているはずである。あるいは研ぎ澄まされたセンスが備わってのインフルエンサーだ。
しかし、ツイッター上での発言がニュースになる人々の多くに、そうした研鑽の積み重ねを感じない。芸能人としてのプロフェッショナリズムや知事としての貴重な知識や経験に裏打ちされた「何か」を、ニュースで取り上げられるつぶやきの多くに感じないのである。知名度があるという理由だけでメディアがニュースにしてしまうものだから、こうした人々は安直に色々、尖った発言をするようになる。知名度が維持できれば何かの仕事に繋がるからだ。
言論とはそういうものであってよいのだろうか。もちろんつぶやくのは自由だ。好き勝手言ってもらえばよい。だが、こうした取材コストの回避の姿勢が、言論の質の低下を(ますます)もたらす大きな要因になるのではないか、と私は危惧している。