<書評>
Reid Hoffman, Ben Casnocha and Chris Yeh, The Alliance: Managing Talent in the Networked Age, Harvard Business Review Press (2014). 邦訳:リード・ホフマン=ベン・カスノーカ=クリス・イェ(篠田真貴子監訳)『ALLIANCE:人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』ダイヤモンド社(2015)。
1 「alliance連携、提携」という言葉を聞くと、反射的に競争制限の問題に結び付けようとするのは経済法学者の悪い習性だ。「corporation協力」「collaboration協働」も同様だ。そこに何か「反競争」の臭いを嗅ぎ取ろうとする。一方、経営戦略やマーケティングの世界では、これらの言葉は中立か、肯定的な言葉として用いられることがほとんどだ。それらが経営資源の充実化や有効なマーケティングの手法を語る文脈で登場する言葉だからだ。
独占禁止法の世界と経営戦略やマーケティングの世界との間に存在する距離感というか、関係性は面白い。1970年代と80年代にブームとなったマイケル・ポーター(Michael Porter)の(豊富なケース分析を踏まえた)競争優位戦略は、後から振り返ってみると、80年代からしばらくの間、経済法学者が好んで言及した産業組織論で見かける「相手のコストを引き上げる戦略」として説明される競争制限行為を論じていたようにも見える。独占禁止法はいつでも後追いである。一番先に現場が試行錯誤しながらビジネスのプラクティスを開拓し、それを経営学、商業学の世界がキャッチ・アップし、経済学が(大抵の場合)後知恵的に理論化と実証を進め、その後に独占禁止法が周回遅れで駆け込んでくる。ビジネス界で競争優位の「決定打」が出てくるとしばらく称賛されるが、独占禁止法という鬼が出てきて「積み重ねた石」を壊しにやってくる。
それも米欧の流れを後追いするから、ビジネスのフロンティアから見れば「先頭から2周遅れ」となる。この国における独占禁止法学者としての評価は、この2週遅れを1周半遅れにできるかどうかにかかっているという残念な状況にあるのが現実である。それはビジネスに関連する法分野に共通する話なのかもしれない。
Ⅱ 『ALLIANCE』と題された著作が2014年に出版された。著者は3名で、その中心はリード・ホフマン(Reid Hoffman)だ。ホフマンは、LinkedInの創業者として知られており、その前はPay Palの創業者として知られていた、シリコンバレーを象徴する起業家の一人だ。2016年にLinkedInはMicrosoftに買収されたが、その価格は日本円で約3兆だった。LinkedInの創業は2002年であり、15年間でそこまで大きくしたということになる。莫大な資本を背景として、ホフマンは投資家としても大きな影響をシリコンバレーに与えている。
『ALLIANCE』は、シリコンバレーにおける働き方、人と人との関わり方を論じるもので、その名の通り、allianceという発想がシリコンバレーの成長の源泉になっていることを説く。企業は(米国でも)かつては終身雇用をスタンダードとしていたが、少し前のトレンドは自由意思によるドライな契約関係として捉え直されるようになった。雇用主は「家族」として迎えるといいつつ、都合が悪くなれば容易に従業員を「切り捨て要員」として扱い、従業員側としても「忠誠を誓う」フリをしておきながら、常に転職の機会を伺うという、緊張関係が形成されてしまっている。
『ALLIANCE』は、終身雇用がスタンダードだった時代の、雇用主、従業員間の「家族・忠誠」のような関係でもなく、その後のドライな「取引」のような関係でもない、allianceの関係を新機軸として打ち立てようとする。企業を退職した従業員はただの「退職者」ではなく、チームを組むべき新たなパートナー候補である。そのためには働き方のヴィジョンを、闇雲なコミットメントではない、プロジェクトベースのコミットメントとして捉え直すことが必要であり、その期間もそれに応じたものとして規定されるべきという。そうすることで退職した人材は、退職によって得られた活動の自由とその企業において培ったスキルと経験をその企業に再び活かせる効用の両方を獲得することができるし、企業側は退職に伴う人材の流出のデメリットを最小限にすることができる。
こうした人材が退職後に獲得し、伸張する情報ネットワークを新規に利用することが可能になるのであるから、損失の減少ではなく、利益の増大として「退職」を捉えることもできる。つまり、人材を「チームの一員」と理解することにより、現職の、そして退職後の人材を有効に活用することが可能になる。重要なことはその人材を見極めることである。そしてその人材がもつ価値観や目標を自社のもつ価値観や目標と整合的な範囲で、どのようなプロジェクトを遂行できるかを理解することである。そのためには自社のことを知らなければならない。何よりも対話が重要である。
人材のネットワークとは情報のネットワークである。人材の魅力は情報へのアンテナの感度であり、情報へのアクセシビリティーである。どれだけのリンクを持っているか、がその人材のポテンシャルであり、それを如何につなぎ、自社のプロジェクトに還元するかが、企業経営者の腕の見せ所だ。シリコンバレーが成長したのは、そういった人材のクラスターが、幾重にも連なり、それが縦横に張り巡らされているからだ、というのは、確かに本質をついている。
退職者は離職者ではなく卒業生だ。卒業生がOB・OG会を通じてネットワークができるように、シリコンバレーでは、退職者はallianceのための新たな人材バンクとなる。もちろん無能な人材は淘汰されるが、生き残った人材は(優れた人材ネットワークという)ブランドの形成に貢献し、さらに魅力ある人材を引きつける。これがシリコンバレーの力の源泉だ、とこの著書は強調する。ビジネスのネットワークとは何らかの意味での「卒業生のネットワーク(alumni network)」だ。日本での(ウェブ系の)青年実業家たちの情報網も似たようなものがあるのかもしれない。
Ⅲ 経営学者の楠木建は『ALL REVIEW』掲載の、この著の書評において次のように述べている(https://allreviews.jp/review/1232)。
経営という「人の世の営み」では、大切なことほど「言われてみれば当たり前」のことが多い。本書にしても、一見新しい提案のように早えるが、その実、古今東西の人間にとつて最も自然な「仕事の姿」をストレートに描いている。子供のころに遊んだ「お店屋さんごっこ」を思い出してほしい。そこで(暗黙のうちに)想定されていた「雇用」はここに描かれていたアライアンスの関係そのものではなかっただろうか。人間の本性を直視した、真っ当過ぎるぐらい真っ当な主張。原点回帰の書である。
「お店屋さんごっこ」は「原点回帰」過ぎだが、「古今東西の人間にとつて最も自然な『仕事の姿』」である点には素直に賛成したい。流動化し過ぎたバラバラな働き方こそ歴史的には異質なものだ。
『ALLIANCE』が描く、退職後の当該企業との関わり方については、終身雇用、家族的企業観が通常視されていた時代においてもある程度見られたのではないか。バブル崩壊までの日本は、単一の企業に定年まで勤め上げる労働者が多数いる一方で、独立して事業を立ち上げる人も少なくなかった。そのうち少なくない数の人は、元いた企業と何らかの関わりを持つ事業を展開した。例えばある製造業者のセールスマンが、その独立後、この製造業者の商品の流通業者になったり、販売代理店になったり、あるいは技術系従業員がその独立後、下請工場を経営したり、といった具合に、である。ただ、これらは『ALLIANCE』が描く働き方よりも、コミットメントが強くかつ長期に渡るものである。資本関係はなくとも実質、グループ化された事業活動である。資本関係がないので切り捨て対象になり易いようにも見えるが、独占禁止法上の優越的地位濫用規制や下請法の出る幕のあまりない、「出世組の同期」が面倒を見てくれる「半分家族」の提携、連携だ。
Ⅳ 『ALLIANCE』の描写は確かに、少し単純過ぎるかもしれない。ただ、『ALLIANCE』の表現したい世界は、その関係を引き剥がすことができない家族的なコミットメントと(相互不信を伴う)不安定なぶつ切りのコミットメント(それは非コミットメントといってもよいかもしれない)の間にある何か、というだけではない。
「情報ネットワーク」としての人材間の連携というシリコンバレー特有の特徴を描写しようとしていることには注意を要する。シリコンバレーは情報産業の「メッカ」だ。それだけに人材のネットワークにアクセスが容易で、各々が有する情報をマッチングさせるコミュニケーション力に長けた人々をチームとして迎え容れ、プロジェクトを遂行する、そういうビジネスが展開される。アイデアをつなぎ合わせることで成り立つネット系、ウェブ系のビジネスの多くはそういう互恵関係にある限りでのコミットメントに馴染み易い。強調していうならば、一人一人が有能なアントレプレナーであって、あるいは有能なフリーランサーであって、彼女ら、彼らは、相互に有能と認めた限りにおいて、チームを形成する。そのブランドが新しい有能な人材の参入を促進する。どのチームにも貢献できない人材は容赦なく退出させられる。シリコンバレーとは、ブランド化された情報とスキルのネットワークなのである。
Ⅴ 「チーム」とか「信頼」のような言葉を聞くと、「血の通った温かいコミュニティー」を想起してしまうが、そうではない。チームに入るための信頼の基礎はその人材のスキルにかかっている。シリコンバレーでは情報へのアクセシビリティ、外部人材のネットワーク力にかかっている。スキルがない人材はお呼びではない、のである。シリコンバレーはチームに入れない人材を「効率的に無用化」する仕組みがうまくできている世界、というところに本質がある。
チームに入れない人材を無用化するというのは、別にシリコンバレーに始まったものでもあるまい。コンサルティング・ファームや大手弁護士事務所でもチームで行動する。能力をアピールできない人材にはチームに招かれないので、居場所がなく、給与が低く抑えられたり、契約更新の機会が与えられなかったりする。シリコンバレーで見られる現象は、各々の人材の独立性が高いそういった世界ではしばしば見られるものである。
『ALLIANCE』の邦訳の副題にあるように、allianceを形成する基礎は「信頼」にある。しかしその信頼は闇雲なそれではなく、個々の人材の能力(情報へのアクセシビリティー、有能な人材のネットワーク力)に裏打ちされたそれである。
互恵関係に参画できない人材は「信頼」がない。「信頼」は互いに認め合った仲にのみ限定されたもの。つまり共同体主義とは程遠い、ドライ過ぎるぐらいの実力主義がその前提にある。「チーム」というと聞こえはよいが、その実、「チームに入れない人材」から見れば極めて排他的なものなのである。
シリコンバレーは、有能な人材が居場所を作りやすく、さらに高いスキルを身につけ、大きな創造を生み出す場所である。参入障壁は低くない。
Ⅵ シリコンバレーというとGAFAのような情報産業における巨大企業のイメージが先行して、その結果としての脅威ばかりが強調される傾向にあるが、どうしてこのような世界における先進的な企業が出現するのか、という過程にはあまり着目されてこなかった。この本はビジネスに関心がある人々全ての大きな示唆を与える本だと言える。
『ALLIANCE』の主張は、人材を取引の対象として扱う、流動性が重視されたポスト終身雇用の労働観に対するアンチテーゼとして提示された、人材間の関係性を重視するものの見方なのであるが、コミットメントの対象とその期間に限定された互恵性を上手に利用する限りにおいて成り立つ関係である。Win-Win関係であることを前提としていることについては「冷たい」関係だが、有能な人間の間では「情熱的」で「充実」した「働き方」であり続けるのである。関係性を重視するといっても、それは契約の自由の範疇で語られるものであり、むしろ契約の自由の世界における淘汰の結果としての(働き方に係る)ビジネスモデルである。それが楠木のいうような原点回帰という点が興味深いのであって、同時に資本主義の進化形であるともいえるのだ。
関係性を重視する労働観というと、フリーランス人材と企業と間の労務提供契約を規律する優越的地位濫用規制と整合的であるように考えるべきではない。 Alex Rosenblatの『ウーバランド(Uberland)』が描写したテクノロジー企業たるプラットフォーマーと(実際上はそうではない)アントレプレナーであるフリーランサーとの緊張関係のようなものは、そこには存在しない。そのサークル内に存在するのは、一人一人が「ウーバー」になり得る知的人材であり、それが「チーム」なのであって、日本でいえば「ウーバーイーツ」の配達員は「チーム」ではなく、「ギグエコノミー」の世界の中でプラットフォーマーと緊張関係にある「働く人」なのである。シリコンバレーの「チーム」にいるのは、「ウーバーのなり手」なのであって、「ウーバーでの働き手」ではない。グーグルやFacebookのユーザーやAmazonの出品者は、これらの企業の利益の源泉であるが、シリコンバレー的世界の一員ではない。
また、関係性が重要だといっても、90年代に話題となった関係性から契約の解釈を行おうという私法観を想起すべきではない。関係が契約を決めるのではなく、関係を重視した契約を結ぶのである。チームへの貢献がなければ契約は解消する。だからプロジェクトがベースになるのである。ギグエコノミーのように小刻みではないが、将来の成長に結び付かない過去の関係は無意味となる。経営資源としての意味を有する限りにおいて、allianceが成り立つのである。
Ⅶ 『ALLIANCE』では、シリコンバレーの世界を構成する人材は重要な情報源として語られている。そしてシリコンバレーが展開するビジネスのユーザーもまた情報源となっている。しかし、両者には決定的な違いがある。それは前者が経営資源としての情報の源泉であるのに対して、後者はビジネスのためのデータベース(ビッグ・データ)そのものである。
シリコンバレーの成長の鍵が「情報」との向き合い方にある一方、シリコンバレーの市場支配の鍵も「情報」との向き合い方にある。独占禁止法が警戒するのは後者である。前者は確かに排他的ではあるものの、市場における競争制限をもたらすものではない限り、独占禁止法は手を出せない。日本の場合、優越的地位濫用という伝家の宝刀があるが、それを抜くシーンもおそらくないだろう。一人一人が有能で独立性の高いフリーランサーは、独占禁止法の関心の射程外である。ある企業に優越的地位に立たれるような人材は、そもそもシリコンバレーには招かれていないのだ。
Ⅷ セオドア・レビット(Theodore Levitt)が「マーケティング・マイオピア(Marketing Myopia)」をHarvard Business Reviewに発表してから60年が経つ。環境の変化に適応できない経営は淘汰される。人材へのアプローチも同様だ。『ALLIANCE』の描写する「働き方」はもちろん、世の中に存在するあらゆる産業や組織にぴったり当てはまるものではないけれども、あらゆる産業や組織を取り巻く技術の変化のスピードが加速し、人々の生きる環境が変化すれば、人材、働き方の発想も従来の常識が通用しなくなるのも当然だ。近い将来、『ALLIANCE』の世界が常識となり、やがてそれが古めかしい、時代遅れのものになる日が到来するのかもしれない。この本の中でホフマンらがジャック・ウェルチ(Jack Welch)を批判したように、私たちの知らない次世代ビジネスのフロントランナーたちがシリコンバレーの住人を「過去の人々」と揶揄することだって、十分にあり得るのだ(そうなるのが運命ともいえる)。ウェルチだって、ベストセラーとなったCarol Dweckの『マインドセット(Mindset)』の中で、柔軟で、変化によく適応できるお手本のような経営者だと絶賛されていた。
そう考えると、変わりゆく世の中において新しいものは何かを探る作業よりも、それでも変わらないものは何かを探る作業の方が興味深いものともいえる。それが時代の変化に疎い、法学者的なものの見方だといわれるとしても、決して否定はしない。