景品表示法を改めて考える。

官製談合や入札制度に関する論考がしばらく続いたが、今回は2年ほどご無沙汰になった景品表示法関係の話題を扱いたいと思う。直近の話題として、大幸薬品に対する消費者庁による措置命令とそれへの同社の対応は、多くの読者がメディア報道に接したことだろう。消費者庁は先月、「「空間に浮遊するウイルス・菌を除去」などとうたった商品には効果を裏付ける根拠がなく、景品表示法違反(優良誤認)にあたるとして、「大幸薬品」(大阪府吹田市)に対し、表示をやめることなどを求める措置命令を出した。」(朝日新聞デジタル2022年4月15日記事)。消費者庁によれば、限られた条件でのみ成り立つ効果がその他の条件でも期待できるかのような表示であったことが問題だったとのことである(消費者庁HP参照)。これに対して同社がどう対応するかが注目されたが、つい先日、同社は違反の事実を認め、問題となる表示を改めたという(各社報道参照)。コロナ禍で生活面での不安が高まり、少しでも安心を手に入れたいという人々の感情が深く絡んだ事情もあり、極めて注目度の高いケースとなったし、今後コンプライアンスの世界で長く語られるケースであり続けるだろう。

 広告は人々の消費行動に一定の影響を与える、言い換えれば広告される製品やサービスの購買意欲を高めるために用いられる(他社の製品やサービスに対するネガティブ効果を期待するものもあるかもしれない)。正確な情報を消費者に伝えるという趣旨も広告にはあるが、短い時間、小さい紙面で効果的に影響を与えるためには、細かい情報を丁寧に説明する訳にもいかない。短い言葉で端的に、そして購買意欲につながるような印象を相手に与える、そういう思惑で作られる広告は多かろう。知名度の高い芸能人やスポーツ選手、CMでの展開される面白いシナリオ、コピーや映像等々、関係者は知恵を絞るが、そうそうヒット作品は出てこない。そもそも広告の対象になる製品やサービスをヒットさせること自体が大変だ。

だからどうしても、実際のものよりも優良、有利であるかのような表示を伴う広告に手を出してしまう。意図的に虚偽の表示をするつもりがなくても、「このくらいなら大丈夫」という弱さがそこに出てしまう。テレビ宣伝など製品やサービスとは無関係なコピーや映像も多く駆使されているではないか。宣伝される製品やサービスとは直接何の関わりのないタレントが起用されているではないか。そういった「印象」勝負のマーケティングばかりに接していれば、どこまでが許される広告なのか、担当者のコンプライアンス意識は麻痺してしまう。しかし、事実(根拠)に基づかないままなされる製品やサービスの優良さ、有利さを示す表示は、一線を超えている。起用されたタレントや面白いコピーに接して消費者は、それらだけで「ある事実の存在」を「ミスリード」される訳ではない。景品表示法における表示規制は、ここに規範の線引きをするのである。もちろん、どのような事実があればどのような表示が許されるのか、詳細は個別のケースにおいて詰めて考えるしかない。最後は司法の手に委ねられる問題である。

「マーケティングは相手へのレスペクトから始まる。」これは私が学部時代にゼミの教授から学んだマーケティング論の第一歩である。その基本さえ踏まえていれば、事実に基づかない表示などほとんどのケースで避けられるだろう。嘘をついてでも、歪んだ情報を提供してでも「相手が喜べばそれでいい」という歪んだ経営理念の持ち主でない限り、であるが。