関西電力発注の原発関連建設工事と独占禁止法

関西電力役員の金品受領問題への追及の声が止まない。事態の収束を図って行った先週の同社会長、社長による記者会見も、収拾がつくどころか逆に炎上させてしまった感さえある。どこか他人事のような、開き直りの態度に多くの視聴者、読者は呆気にとられたに違いない。

原子力発電所が存在する地元高浜町の元助役と、関係する工事の発注元である関西電力幹部との金品のやり取りは、元助役が顧問を務めていたとされる地元建設会社の存在が指摘されることで、工事費用の私的な循環として語られるようになった。

独占禁止法研究者である筆者は、元助役が関係するこの建設会社への関西電力による発注が、「仕組まれた競争制限」の結果であるかどうかに関心がある。情報が限られた中ではあるが、独占禁止法違反の成否に関する論点を提示しておこう。

民間発注における競争制限行為と発注者の責任

民間企業であれば、、調達の相手方を競争的に探すかそうでないかは、本来は、その自由の範疇である。会計法や地方自治法が公的発注機関に競争入札の採用を「法的に」要請しているが、民間企業の場合、(WTO政府調達協定の対象企業のような例外的なケースを除き)そういった法的要請はない。しかし、電力の卸売、小売が自由化されたとはいえ、地域の電力供給において、独占的な地位を有し、電気利用者が負担する電気料金によって事業が成り立っている電力会社に対しては、公正な競争による調達が強く求められてきた。

このような要請を受け、会社として、公正な競争による調達にコミットしている場合には、会社が、公共調達に準じた競争的発注を行うことを自ら義務付けているとみることができよう。実際、電力会社の多くは、行動規範などで「公正な競争による調達」の方針を掲げている。

そのような電力会社の調達に関して、受注希望者間で競争制限の合意が認められれば、独占禁止法違反として業者は処罰、処分の対象となる。さらに、電力会社側が発注者として競争制限に関与していた場合にはどうなるか。

関西電力発注工事での談合事件での発注者への「申し入れ」

関西電力の調達に関しては、5年前、架空送電工事の工事業者及び地中送電工事の工事業者が、関西電力発注のこれら工事の発注案件について、価格の低落防止及び機会の均等化を図るために受注調整を行なっていたとして、公正取引委員会が排除措置命令、課徴金納付命令を行なっている(「関西電力株式会社が発注する架空送電工事の工事業者及び地中送電工事の工事業者に対する排除措置命令、課徴金納付命令等について」(平成26年1月31日)(公正取引委員会ウェッブサイトより)。

これだけであれば(民間企業発注工事の)ただの談合事件であるが、注目すべきは発注者である関西電力側が受注業者側の受注調整に関与していた、という事実が公正取引委員会によって認められていたという点である。

(1) 関西電力は、架空送電工事及び地中送電工事を発注するに当たり、指名競争見積等の参加者を一堂に集めて現場説明会を行っていたところ、指名競争見積等に参加した工事業者の営業担当者は、現場説明会終了後に引き続いて、指名競争見積等の参加者間において受注予定者を決定する話合いや当該話合いの開催に当たっての日程調整等の話合いをしていた。

(2) 関西電力の設計担当者のうち、当該現場説明会の場等において、前記(1)の営業担当者の求めに応じ、契約締結の目安となる価格を算出する基となる「予算価格」と称する設計金額又はそのおおむねの金額(以下「予算価格等」という。)を、非公表情報であるにもかかわらず教示していた者が多数みられた。

(3) 関西電力の設計担当者の中には、前記(1)の営業担当者に対し、予算価格が記載された発注予定工事件名の一覧表を、非公表情報であるにもかかわらず提供していた者がいた。

(4) 関西電力の購買担当者の中には、地中送電工事の発注に係る指名競争見積等の参加者の選定に当たり、各工事件名における参加者の組合せについて事前に特定の工事業者に相談していた者がいた。

(5) 指名競争見積等の参加者は、関西電力の設計担当者から教示された予算価格等を、受注予定者が提示する見積価格を定める際の参考にするなどしていた。

(6) 受注予定者を決定する話合いを行っていた者の中には関西電力の退職者が29名おり、このうち少なくとも14名は、関西電力の設計担当者から予算価格等の教示を受けていた。

これが公共工事であれば明らかな官製談合防止法違反である。公正取引委員会はこうした事実を問題視し、関西電力に再発防止策を講じ、発注制度の競争性を改善してその効果を検証することを求める異例の「申し入れ」を行なっている(以上、上記公正取引委員会ウェブサイトより)。関西電力は、その申し入れの翌月にプレスリリースしその検証結果と再発防止策を公表している(「架空送電工事および地中送電工事の設計・発注業務における調査結果および再発防止対策について」(平成26年2月4日、関西電力)。

高浜原発関連工事発注と独占禁止法の適用

今問題になっている高浜原発関連工事についてはどうだろうか。情報があまりにも断片的で、限定的であるので、推測の域を超えないが、考える道筋はいくつか提示できる。

建設会社が関西電力から工事を受注するルート(契約手続)にはいくつかある。大きく分けて、特命発注(公共契約でいえば特命随意契約)によって直接受注するルート、そして何らかの形で他社との競争を通じて受注に至るルート(公共契約でいえば競争入札や企画競争といわれるもの)がある。報道では「特命発注」の方が注目を浴びているが、最初から発注者自身が競争要素を排しているので「不適切」という批判はあっても独占禁止法違反の射程からは遠ざかるように思える。しかし、本来であれば競争的に契約者を選定すべきところ、あるいは従来競争的に契約者を選定していたところ、受注業者が発注業者に圧力をかけたり、虚偽の情報を吹き込んだり、あるいは癒着したりして、特定業者への特命発注を実現、継続させるようなことがあれば、それは私的独占規制や取引妨害規制の射程に入ってくるように見える(公共発注においては、前者として東京都の医療用ベッド発注に係る競争業者排除事件であるパラマウントベッド事件があり、後者としては農水省東北農政局発注の公共工事をめぐる発注者側からの不正な協力による受注が問題となったフジタ事件がある)。

競争入札のような競争的な手続が採用されていた中で特定業者への人為的、恣意的な受発注が仕組まれていたのであれば、それは談合行為として不当な取引制限規制の対象となる。仮にこれが刑事事件になり発注者側の関与があったというのであれば、関与した発注者側の人間も共犯として刑事罰の対象となり得る(過去に、発注者が不当な取引制限の共犯の刑事責任を問われた事例として、1995年の下水道事業団発注の電気設備工事をめぐる談合事件がある。)。

では発注の実態はどうなのだろうか。平成30年9月11日作成の「調査委員会報告書」によれば、平成26年9月1日から平成29年3月31日までの間、元助役が顧問を務めていた当該企業が関西電力から受注したのは原子力事業本部分については22件、うち12件が競争的手法によるもの、10件が特命発注となっており、京都支社分については8件ありいずれも特命発注となっている。この内、特命発注分についてはいずれも「工事遂行にあたっての地元精通度の高さ」「工事現場との関係での立地条件のよさ」などといった理由が挙げられている。競争入札が原則化されている公共工事の場合、それだけの理由で随意契約が正当化されることは滅多にない、ということはここで指摘しておくべきだろう。

競争的な手法についてはどうか。上記報告書によれば関西電力の契約発注に関しては指名競争を原則とし、原子力関連の発注では若狭地域における取引先選定(指名)にあたって、地域共生、地域振興の観点から地元企業を優先しているとされている。指名競争においては最低価格自動落札方式ではなく、最安値の見積金額を提出した業者との間で、関西電力側が算出した査定価格に近づけるように交渉し、合意に至った場合には契約となるとのことである。指名の段階で優先される地元業者の候補(高浜町内における関西電力の土木工事の登録取引先)は二者だが、そのうち一者は「浚渫等の海周りの工事を得意としており、受注できる工事が限定的である」とし対象外となっている。元助役が顧問をしていた企業は「土木工事全般に対応する能力があ」り、「多数の元請受注実績をもっている」ことを理由として取引先選定の対象となっている。

ここに競争入札のあり方としていくつかの疑問が生じる。指名にあたって地域共生、地域振興の観点から地元企業を優先する方針があり、その方針が他の応札業者にも知られているのであれば、それは唯一の地元指名業者である当該企業が競争入札における「本命」であるというメッセージとなり得、他の業者が「忖度した」応札行動をとりかねない。ここで暗黙の了解型の不当な取引制限のシナリオは否定できない。そもそも地元企業でない指名企業とはどのような企業なのか、その企業の応札行動はいかなるものだったか、辞退率はどのくらいか、そういった情報を、関西電力側が明らにしていない以上、この唯一の地元業者ありきの競争入札だったといわれても、致し方あるまい。

報告書によれば、関西電力側は「発電所情報や、実施の見通しを得た工事について、工事物量や工事概算額等を自部門で算出し、または元請会社から聞き取るなどして、工事概要を取り纏め」、元助役との面談に臨んだという。地元自治体の幹部であれば、何らかの面談の必要は当然あるが、確定ではない「概算額」であっても他の企業が知らない工事に係る内部情報である以上、案件によってはその後の競争状況に影響がないとはいえない。また、立場上内部情報にアクセスできるというメッセージ自体、暗黙のうちに受注予定者が誰であるかを認識させる機能を果たすといえなくもない。この場合も公共契約であれば、法令上アウトといわれても文句はいえないだろう。独占禁止法についていえば、それは競争制限行為を助長する行為といわれかねない。

 

関西電力の調達方針との関係

関西電力のホームページ(「関西電力 調達基本方針~CSRを踏まえた調達活動~」)には「調達活動の行動基準」が掲げられており、そこでは、「透明性の高い開かれた取引」「コンプライアンスの徹底」が謳われている。そして「取引先のみなさまへのお願い」として「透明性の高い開かれた取引」の項目中に「競争制限的行為の禁止」の記載があり、「コンプライアンスの徹底」の項目中に「全ての関係法令およびそれらの精神の遵守、教育の実施」「不正の防止、撤廃」の記載がある。これは「資材調達」に係る方針として掲げられたものだが、当然、工事一般についても当てはまるものである。5年前の公正取引委員会からの申し入れを考えたらなおさらである。

「資材調達情報」をさらに見ていくと、「2019年度主要調達計画」という項目で、次の記述が目に入った。

また、計画が未確定のものや用地事情等により掲載していないものがあります。

「用地事情」とはどういうことだろうか。これは原子力発電所の立地のことをいうのだろうか。確かにこの項目中、「原子力機材」の欄はない(参考までに中国電力の調達情報には「原子力機器」の項目が設けられており情報が公開されている)。そういった点から、関西電力は調達の行動基準を定めておきながら「用地事情」などといって原子力発電所関連工事を特別扱いしており、会社として、調達手続の例外を容認しているのではないか、という疑念がわく。この会社の対応は上記でみた独占禁止法上の諸々の疑問にリンクしてくる。こうした疑念を解くべく関西電力はどう答えるか。

取引先に透明性とコンプライアンスの徹底をお願いするならば、まず自らを律するべきだ。何よりも関連する情報の透明化を求めたい。第三者委員会が新規に立ち上げられ、さらなる検証が行われるというが、上記の問題にまで踏み込めるのだろうか。問題はもはや会社設置の機関の射程を超えたレベルにまで達しているのではなかろうか。

 

独占禁止法違反が成立する場合の「犯罪の実体」

不当な取引制限の疑いがあるという前提で話を進めると、独占禁止法違反としての制裁や処罰の必要性に関連して注目すべきは、関西電力のケースは「発注者側への多額の金品の還流」が問題になった事案だということである。その「還流」が、関西電力からの受注によって事業者側が得た超過利潤の一部であることは容易に想像できる。

カルテル、談合等の独占禁止法違反が事業者に、常に不当な利益をもたらしているかといえば、そうではない。実際に、多くの違反で、「原材料価格上昇を転嫁しただけ」とか「ダンピングによる共倒れ防止のため」などという正当化の主張が行われてきた。そうした中では、発注者側に還流するほどの超過利潤が生じている競争制限行為は極めて特異である。仮に、事業者側の独占禁止法違反や発注者側の共犯が成立する場合には、行政処分では対処しきれない、まさに「犯罪の実体」を備えた行為と評価される余地もある。

所管官庁、公正取引委員会、そして検察当局がどう動くか、注目である。

青梅談合事件無罪判決を読む

9月20日、東京地方裁判所立川支部で、談合罪事件に対する無罪判決が下された(「青梅市談合、元建設業協会長に無罪判決 東京地裁立川支部」毎日新聞2019年9月20日)。

公共調達法制の研究者である筆者は、この事件で専門的見地からの意見書を裁判所に提出し、裁判所の決定により証人として公判廷で証言をした。

意見書作成に当たって、弁護人から事案の概要を聞いた時点で率直に思ったのは「そもそも何で談合罪として事件にしたのか」ということだった。

そもそも業者が「談合」したというが、同会長は被指名業者の一部にしか連絡しておらず、それ以外の業者の出方が全くわからない状況にあった。この程度の行為で刑法犯たる「談合」になるのが不思議で仕方がない。

同会長が指名業者数社に連絡したことは事実のようだ。しかし、それは、入札参加者間の受注希望を調整するためではなかった。条件の悪い、割に合わない案件を、入札不調で発注者の青梅市に迷惑がかかることを懸念した建設業協会会長の被告人が、責任感から受注したものだった。

こんなケースでは、談合罪を定める刑法96条の6第2項にいう「公正な価格を害」する目的を認める余地がないのではないかと考えていた。無罪判決が当然の事件のように思えた。結果は、予想通り、無罪であった。

積極的な受注意思がある業者同士がぶつかれば、価格面においては安さの競争になる。競争が激しければ激しいほど割りが合わなくなり、受注調整をするインセンティブが高まる。受注調整は一般的に予定価格付近への価格吊り上げとなり、「公正な価格」すなわち競争価格より高くなる。そこに、談合罪という犯罪の財産犯的な処罰価値がある。そういう「価格引き上げ」の要素がないのであれば、談合罪が成立する余地はない。

驚いたことに、筆者が、専門家証人として証言を求められたのが、同種工事の落札率の平均と本件工事の落札率を比較することで、本件工事の受注価格が「公正な価格」よりも高いことを証明することが可能かということであった。工事にはそれぞれ条件も特性もあり、同種工事の落札率を平均して「公正な価格」を算定するなどということは凡そ不可能であることを証言したのは言うまでもない。

判決では、類似工事といっても「様々な工事があり、難易度や採算性、さらには競り合いの状況もそれぞれ異なるものであるから、同種工事の落札率と比較し、本件工事の落札率がそれに比して高いからという結果だけで、被告人に公正な価格を害する目的があったと推認されるとはいえない」と一蹴されている。そもそも検察官がこんなところに論点を見出そうとしたこと自体、理解に苦しむといわざるを得ない。

この事件は検察側の完敗である。ここまで検察の主張が判決で否定れるのも珍しかろう。それも滅多に無罪判決など出ない談合罪の事件で、である。

何故、このような結末に至ったのか。

そもそもこの事件、公共契約や公共工事についての相応の理解があれば事件そのものになっていなかっただろう、ともいえそうだ。裁判所は学んだが、検察は学ばなかった。そういう評価ができる事件ではなかろうか。

この事件では、談合の事実を全面否認していた被告人が、80日ももの期間勾留され、心身ともに疲弊して、初公判では全面的に事実を認め、その後、弁護人が交代して無罪主張をするに至ったとのことだ。まさに、「人質司法」によって、有罪側に「堕ちる」寸前だったという。想像するだけでも恐ろしい。検察には、このような過ちを二度と起こさないよう反省してもらいたい。

芸能界と独禁法:公取委が自民党に見解を提示

公正取引委員会は27日午前に開かれた自民党の競争政策調査会で、芸能事務所がタレントとの間で交わす契約や取引について、どういったケースが独占禁止法上問題となり得るかをまとめて提示した。今回示した見解は、実質的な指針として業界への周知にも活用するという(朝日新聞2019年8月27日記事「芸能事務所の問題行為、公取委が例示 TV出演妨害など」)。

筆者は、まだその見解それ自体を詳細に見ていないが、上記の朝日新聞の記事によれば、以下の4つの「問題となり得る」例(芸能事務所の行為)が示されたという。

(1)移籍、独立をあきらめさせる

(2)契約を一方的に更新する

(3)正当な報酬を支払わない

(4)出演先や移籍先に圧力をかけて芸能活動を妨害する

「実際に独禁法に違反するかどうかは個別に判断されるが、(1)~(3)は独禁法の「優越的地位の乱用」、(4)は「取引妨害」などにあたるおそれがある。」とのことである。

独占禁止法という呼び名は、その正式名称である「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」からきているが、ここで列挙された、違反が疑われるケースはいずれも私的独占規制ではなく、不公正な取引方法規制の中にある違反類型である。そしてそこでいう公正競争阻害性といわれる効果要件(弊害要件)、すなわち競争秩序、取引秩序に与える悪影響の要件は、独占の弊害をもたらすとか、競争それ自体に対する悪影響を生じさせるとかいったものだけではなく、競争手段として不公正であったり、取引主体の独立性を否定するような意味での悪影響を問題にする、独占禁止法の中ではどちらかというと「裏街道」のような類型であることには多少の注意を払ってもよいだろう。

ジャニーズ事務所が「注意」を受けたのは、このうち(4)の例示に該当するものについてである。競争それ自体への悪影響ではなく、手段として不公正だというタイプの公正競争阻害性を問題にするとき、何を以て「手段が不公正」というかが問われることとなる。事務所から独立したタレントを使わないようにテレビ局などに圧力をかける行為を対象にしているとのことであるが、辞めたタレントではなく自分の事務所の現在の所属タレントを積極的に採用してもらうよう働きかけることは、通常の「営業活動」と説明することもできる。

公正取引委員会が平成30年度に不公正な取引方法規制違反として正式な処分を下したのは、実はたった一件であり、それは取引妨害規制違反であった(「平成30年度における独占禁止法違反事件の処理状況について」(公正取引委員会)参照)。農林水産省の東北農政局が発注した公共工事に係る入札不正事案であるが、ある業者が競争入札で勝てるよう、提出すべき技術提案について発注者から助言を受け、その内容について添削を受け、あるいは他の業者の技術評価点及び順位について情報の教示を受けた行為が、他の業者の取引を妨害したとされたケースである。これは明らかに刑法上の公契約関係競売入札妨害罪に該当する行為といえ、発注者側職員には官製談合防止法違反が成り立つような事案であった。問題となるやりとり自体が法に抵触する(犯罪にならなくとも競争入札のルールには違反する)ものであるということが、不公正手段であることの明白な説明になる。

では、芸能事務所の場合は、何が手段の不公正を基礎付けるのだろうか。芸能事務所が独占的な、支配的な地位を利用して競争全体を歪めるような行為をする場合は十分に不公正といえるだろうが、そうでない場合はどうなのだろうか。

随分と古いが、取引妨害のケースで「熊本魚市場事件」というものがある。これは生鮮食品の卸売市場において、競争業者のせり場の周囲に障壁を設置したという物理的妨害のケースであり、露骨な営業妨害のケースであった。仮に競争全体には影響を与えないとしても、確かに許しがたい妨害行為である。

さて、事務所を辞めたタレントを使わないように取引相手に要求する行為は、果たして許容範囲を超える妨害行為なのだろうか。自社のタレントを使うように要求しただけならばどうだろうか。これは企業にとっては自衛行為ともいえる。報道によれば、独占禁止法上違反疑いを生じさせる行為とは、「圧力をかけ」る行為である。要求と圧力はどう違うのか。結局、違反かどうかの線引きが「圧力」という言葉の意味をどう捉えるかによるのであれば、「圧力はダメだ」といったところで、それは大した指針にはならないだろう。移籍先が仮に大手事務所だったら結論は変わるだろうか。「見せしめ」的な妨害行為が念頭に置かれているのかもしれないが、どのような場合に「見せしめ」といえるのか。個別の番組での要求か、全般的な出禁の要求かでも評価は変わってくるだろうか。

いずれにせよ強者と弱者という対立の「一歩先」を見据えた議論が必要だろう。

テレビ局が芸能事務所に忖度する事情:独占禁止法違反の境界線

ジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の「注意」に続き、吉本興業の「契約書の不存在」疑惑に関して同委員会幹部が問題視するなど、最近、芸能事務所に対する独占禁止法の適用が注目を浴びている。直近ではマツコ・デラックスさんの事務所がジャニーズ事務所の意向を忖度するかのような姿勢をとっていたとして週刊誌で報じられ(「ジャニーズ幹部の稲垣「舞台潰し」とマツコ「共演拒否」」)、同時に本人の反論が掲載されている。

公正取引委員会の対応に、「それ見たことか」「けしからん」という声が強いが、「だから何だ」「なにが問題なのか」という声も一方である。気になるのが、後者の理由である。ジャニーズについては、公正取引委員会の対応が「注意」にとどまったことが大きい。公正取引委員会は「違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られないが、違反につながるおそれがある行為がみられたときには、未然防止を図る観点から「注意」を行ってい」(公取委のウェブ・サイト「よくある質問コーナー(独占禁止法)」Q27)る。「違反行為の存在を疑うに足る証拠」がないということは、違反摘発という意味ではそのスタートラインにすらつけなかったということを意味する(「公取委がジャニーズ事務所を注意〜「圧力」とは何か?」参照)。未然防止の必要性についてはジャニーズ側にどれだけ非がある話なのかは、「注意」という事実だけから何ともいえないのが実情である。

吉本の場合、「コンプライアンス」に拘泥することへの警戒の声が少なくない。例えば、古舘伊知郎さんは「四角四面の道徳警察にならない方がいい、つまらなくなる」と述べている(「古舘伊知郎、吉本騒動に対する世間の目に「四角四面の道徳警察にならない方がいい、つまらなくなる」)。どんぶり勘定的な契約スタイルも、それはこの業界にとって不可欠な要素であるかのような物言いをするベテラン芸人も見かける。どちらにしても独占禁止法や下請法に本当に違反するのであれば、無視すべきコンプライアンス問題であるとは到底思えない。特に吉本擁護に関しては、「四の五の言うな」という開き直りの風潮が強いようにも思える。

さて、話をジャニーズに絞ってその競争の構造を考えてみよう。テレビ局に対してあからさまな圧力をかけて競合するタレントを排除しようとしたという独占禁止法の格好のターゲットとなるような話から、マツコ・デラックスさんのように「テレビ局は使いたくない」といった、そもそものニーズの有無のレベルの問題だ、という見方もあるだろう。

使いたくないタレントは使わない話なのか、使いたいタレントも使えない話なのか、独占禁止法違反の有無を考える上では非常に重要な違いだ。前者ならば、契約相手の「自由な選択」の問題であり、これを独占禁止法上問題視することはナンセンスである。いい商品を売って競合他社が排除されたのであれば、それは競争原理そのものだ。後者の場合、状況を二つに分けて考えるべきだろう。

第一は、競合するタレントを排除するようにテレビ局に働きかけて意図的に仕組んだ場合。この場合、独占禁止法の門を完全にくぐっている。第二は、「忖度」の言葉にあらわれるように、事務所からの明確な働きかけはないがテレビ局が事務所の顔色を伺うような場合。多くの人は、第一の状況が「空気」の中で行われている場合を想起するだろう。その空気の醸成にどれだけ事務所が加担したかが問われることになろうが、しかし違反の証明には苦労するだろう。

それだけではない。忖度の言葉の裏には、テレビ局が事務所に対して「何かを期待する」思惑も見え隠れする。例えば、ある事務所のタレントばかりを出演させることで「信頼関係」を構築し、将来的にも安定的にその事務所の有望株や次世代のスターたちを出演させ続けることができる期待にテレビ局が「投資している」といえるケースである。いわば「お得意さん」になる、ということだ。そういった関係を構築するためには、事務所は次世代の売れっ子を養成するために弛まぬ努力をし続けなければならない。それが長期に渡れば渡るほど、この関係は強固になる。この場合、それ自体が競争だという見方ができる。あるメーカーにとって自社のプロモーションを必死でやってくれる小売店は「お得意さん」である。そういったお得意さんには常に最新のモデルや各種情報を積極的に提供するようにインセンティブをつけることもあるだろう。これは通常の流通戦略である。こういった行為がどこまで行けば競争に適う行為として説明できなくなるか、見極めは簡単ではない。そのメーカーが支配的であればあるほど独占禁止法の射程として「魅力的」なものになっていく。しかし、そういった行為は出発点としては真っ当な競争活動なのである。

公正取引委員会の「注意」という対応を読み解くためには、「(健全な)競争と(そうでない)独占の境界線」を見極めることが重要である。

独占禁止法を考えるにあたり、「「注意」されたのだからやましいことをやっているのだろう」などという解説では物足りなさ過ぎる。

公共発注と競争入札:改めて基礎から考える

公共発注において競争入札が原則とされているのは、その手続が競争させる側(ここでは発注機関)にとって最も望ましい条件での契約を可能にしてくれる、という期待があるからだ。競争のメリットは公共発注にのみ存在するのではなく、取引一般についてもいえる。売り手側にも買い手側にも競争環境を整えることにより、経済社会において最も望ましい結果が生み出される、という信頼が存在する。会計法や地方自治法は競争入札(一般競争入札)を原則とし、随意契約を例外としているのはそのためだし、独占禁止法が競争制限行為を禁止するのもそうだ。ただ、高度成長期の成功体験があるので、当時ほとんど機能していなかった独占禁止法へのアレルギーが昭和の世代を中心に少なからず存在する。競争は日本社会に馴染まない、と。

かつては随意契約や指名競争入札が当たり前のように用いられていた。指名「競争」といっても名ばかりで、実質は業者間の協調によって結果(落札)が決められ、競争は骨抜きにされていた。落札価格は予定価格とほぼ一致していたが、それが「競争価格」だ、と発注機関は強弁してきた。法令が追求する競争価格と予定価格の根拠となる発注機関の積算とを一致させることで、「予定価格=適正価格」という「神話」を作り出し、事前に計画した予算を過不足なく消化できるという「官の無謬性」の体裁を作り上げてきた。落札率100%なのだから余ることもないがそこに抵抗感はなかった。仮に足りなかったら安い値段でどこかの業者に強引に引き受けさせることができた。このことを「請負」の文字を使って「請け負け」などと表現してきた(それができたのは随意契約や指名の裁量権を発注機関が持っていたからだ)。単年度予算という制約の中で、競争によるメリットを捨て去ってまで、言い換えれば談合という犠牲を払ってまで、(表面的な)「予定調和」のメカニズムを維持しようとしてきたのである。それが昭和の時代だった。

かつての常識は平成の時代に通用しなくなった。一般競争は当然の前提となり、法令の要請と実態とが一致するようになった。随意契約や指名競争入札は、専ら批判の対象となり、そのメリットが指摘されることはほとんどなくなった。各発注機関は「随意契約」といわれる手続に拒否反応を示すようになった。より正確にいうと、拒否反応を示す世論に敏感になった。形だけでもいいから一般競争入札を徹底している「体裁」を重視し、それが一者応札であろうが、予定価格ぴったりであろうが、あるいは不調や不成立であっても、一般競争入札を用いたのだから、そこで得られた結果が正しいのだ、と強弁する(せざるを得ない)発注機関も多々ある。時代は変わっても行政が「体裁」に拘るのは変わらないようだ。

随意契約のメリットは、手続にかける時間的短縮が可能であること、事前の交渉が柔軟に進められること、総合評価方式のような契約手法との比較では煩雑さを回避できること、さまざまである。そのデメリットは、競争が欠如していること、競争という手続によって満たされただろう透明性に欠けることである、といわれている。ただ、競争入札であっても競争を骨抜きにすることは可能であるし、不透明な形で実施することも可能だ、ということには注意しておきたい。要は仕組み次第ということだ。裏を返せば、随意契約であっても、競争的要素を組み込むことができる(事前確認公募型の随意契約、企画競争等がその例だし、見積り合わせもそうだ。公開型の見積り合わせの方式もあると聞く)し、情報公開を徹底することで透明性を確保することもできる。競争入札か随意契約か、という二元論ではなく、各方式のメリットを最大限にし、デメリットを最小限にするような「最適な組合わせ」を模索すべきだ。

しばしば競争入札のメリットを説く論者が強調するのが価格低下であるが、そもそも競争においては価格だけではなく、品質も重要だ。競争入札の組み方次第では価格よりも品質重視の契約者選定が可能となる方法もあるし、分野によっては多用されている。

特定の業者(あるいは事業者団体)が他の追随を許さない、あるいは存在する唯一の適正な契約相手であるというならば、その説明責任を果たした上で、法令の枠内で堂々と随意契約すればよい。しばしば随意契約をめぐる住民訴訟を見聞きする。地方自治体の場合、司法の判断が一つの方向性を見出す。それが適正化の担保となっている。国の場合はやや状況が異なる。会計検査院の対応の鍵となるが、議員による問題喚起も重要である。

音喜多駿氏がブログ記事(「時間がないから、競争入札は無し?!」)で、参議院議員会館の改築工事が随意契約で行われたことを問題視している。このような意識を個々の議員が先鋭化させることは大歓迎である。どんどん問題提起したらよい。それによって透明性も高まるだろう。

競争入札の場合、競争の結果が契約の合理性を自ずと説明する(但し競争のルールが適正な場合に限る)。随意契約の場合そうはいかない。発注機関が自ら積極的にその説明を行わなければならない。それは一定の知識を有する外部の人間が、その適正さをチェックできるくらいに透明である必要がある。情報公開は公共発注の適正化のための生命線だ。欧州では、公共発注の適正化に向けて、Digital Whistleblowerという発想が広く共有されている。公共発注に係るデジタル情報へのアクセシビリティーを高めることで、誰もがその不正、不効率を指摘することができるような環境整備を行うことが重要であるという考え方がその背景にある。実際、欧州における公共発注のデジタル・データベース化とその徹底した公開性の推進には目を見張るものがある。日本・EUのEPA(Economic Partnership Agreement)で公共発注が大きなイシューとなったが、透明性の問題について「欧州並み」を日本が実現するのはいつのことになるのだろうか。

競争入札はやり方次第でいくらでも骨抜きにできる。競争入札が実施されているからといって無批判に評価するのは危険である。同時に随意契約も必要な場合は必要であることをより正面から認めるべきだ。それを闇雲に批判するのはナンセンスである。随意契約にも競争的なそれもある。特命随意契約の候補を立てつつ公募をかけ、応募する業者が現れたら競争入札を行うという事前確認公募型の随意契約はその一例である。議員会館のケースはそれに馴染むものなのかもしれない。

時代は令和である。昭和の時代の反動から公共発注方式に対する闇雲な批判や思考停止の礼賛が平成の時代まかり通ってきたが、この新しい時代、真に納税者の利益になるものは何か、という「実質」をより深く考えて行かなければならない。

独占禁止法はビジネスモデルを変える

コンビニの24時間営業の見直しが進んでいる。東大阪市のケースを発端にこれまでセブンイレブンばかりが目立ってきたが、7月26日の記事で各社がファミリーマートについて報じている(以下の引用は同日付の産経新聞記事「時短営業拡大へ 希望店舗は全体の半数 ファミマ調査」より)。

ファミリーマートは26日、時短営業に関する全国加盟店へのアンケートで、1万4572店舗の約半数が「検討したい」と回答したことを明らかにした。これを受け、6月から行っている時短営業実験を現在の24店舗から、10月中旬より全国の最大700店舗に拡大する。実験では、収益などの変化は、地域や周辺環境で店舗ごとにばらつきが出た。大規模検証を進め、12月以降に時短営業のあり方の方向性を示す。

各コンビニチェーンが見直しの動きを活性化させた背景には、いうまでもなく、公正取引委員会の対応がある。

2019年4月24日付の朝日新聞記事は、次の通り報じている(「コンビニ24時間、見直し拒否で独禁法適用検討:公取委」)。

公取委の複数の幹部によると、バイトらの人件費の上昇で店が赤字になる場合などに店主が営業時間の見直しを求め、本部が一方的に拒んだ場合には、独禁法が禁じている「優越的地位の乱用」にあたり得る、との文書をまとめた。

この辺りは既に、過去の筆者のブログ、「コンビニの深夜営業と独占禁止法」で触れたところである。他のコンビニ本部の対応の早さに多少の驚きはあるが、コンビニは「イメージ商売」の性格が多分にあり、労働者を酷使しているなどという「ブラック企業」認定はどうしても避けたいのであろう。近年の「働き方改革」の潮流もあり、各社競うように「見直し」を加速化させている。

今後のコンビニ経営のあり方はどうなるかはわからない。同ブログで指摘したように、24時間組のメインブランドと深夜営業のないサブ・ブランドの使い分けがなされるかもしれない。24時間営業を続けるコンビニが作り上げるコンビニのプラスのイメージ(それがあるかどうかが一つの争点ではあるが)にそうでない組のコンビニがフリーライドする状況は避けたいと思うだろう。24時間営業は主として直営店の形でなされる(独占禁止法上の優越的地位濫用規制違反の問題になりようがない)ことになるかもしれない。

見逃してはならないのは、各コンビニ本部の動きを決定付けたのが公正取引委員会の示唆だった、ということである。「公正取引委員会が注目してますよ」というメッセージは、「放っておいたら処分されるかもしれませんよ」というメッセージでもある。優越的地位濫用規制はいわば「弱い者いじめ」規制であるから、ブラック企業認定に十分なインパクトだ。上記の公正取引委員会の示唆は、コンビニ経営のあり方を大きく変えるきっかけになるかもしれない。事実、これまでの動きはそれを推測するに十分なものになっている。

同じことは吉本興業のケースについても当てはまる。先日(7月24日)、公正取引委員会の山田昭典事務総長が定例記者会見で、所属芸人との契約書の不存在に関し、「契約書面が存在しないことは問題がある」と発言した(【吉本興業“契約書なし”を問題視 公取委事務総長が指摘】)。その翌日の共同通信では次の通り報じられている(「吉本興業、芸人と契約書締結へ 第三者交え委員会設置」)。

「闇営業」問題に端を発する騒動に揺れる吉本興業が、所属タレントと原則として契約書を交わす方針を決めたことが、25日分かった。同社はこれまで多くのケースで口頭での契約しか交わしてこなかった。第三者を交えた「経営アドバイザリー委員会」を設置し、来週にも会合を開いて内容などを検討する。

メディアで少々報じられた程度では動じないだろう企業も、公正取引委員会の「ひとこと」には随分と反応がよいようだ(違反の自発的解消は処分を回避する一つの手段だ。回避できれば「違反の認定を受けておりません」というエクスキューズが可能になる)。それだけ独占禁止法は脅威なのだろう。独占禁止法とそれを執行する公正取引委員会が市場の番人として、企業行動を規律するに十分な存在感があるということを意味する。

独占禁止法は企業のビジネスモデルに大きな影響を与える。マネジメントを学ぶ者は必須の知識だ。

筆者は大学生の頃、所属したゼミで熱心にマーケティングを学んでいた。その時に二つの疑問があった。一つは「企業の社会的責任(CSR)」は、マーケティング活動としては実際のところ「広告・宣伝」以上の意味を持たないのではないか、という疑問。そしてもう一つが企業行動を考える上では法的環境の存在が重要なのではないか、という疑問である。前者についてはCSRをコンプライアンスの問題として再構成することで一つの落とし所を見付けるに至った(拙著『ハイエク主義の企業の社会的責任論』)。後者については、当時のマーケティングの教科書では「経営における外部環境」として議論の対象にはほとんどされていなかったことを思い出す。理論上整理された形で「法と経済学」が扱うテーマであるが、マーケティング、経営戦略のような現在進行形の「生きた素材」を用いた議論は(少なくとも我が国では)未開拓なのではないだろうか。

下請法と独占禁止法:芸能事務所と芸能人の関係で考える

芸能事務所(マネジメント会社)と芸能人の仕事のやりとりとお金の払い方にはいくつものバリエーションがあるだろう。個々の仕事を切り取ってみると、ある仕事(イベント、テレビ出演等)をとってきた芸能事務所が個々のタレントにその仕事をふり、それに対して報酬を支払うということになるが、その報酬は固定型のもの、歩合型のものさまざまだろう。固定であっても歩合であっても、事務所側が強ければ固定報酬は抑えられ、歩合といってもほとんどを事務所側が持っていってしまう。事務所所属のための登録料だけとって、オーディション等の情報提供はするが後は個々のタレントに自由に任せるという形態もあるかもしれない。タレントと出演先とを「つなぐ」、仲介者のようなビジネスもあるだろう。お金のやりとりも様々だろう。極端な話、芸能事務所の数だけ契約のバリエーションがあるといってもよい。個々の事務所の芸能マネジメント契約が具体的にどのようになっているのか、筆者にはわかりかねる。

闇営業問題を発端にした「吉本」のケースでは、そもそも契約書のない、文書でのやりとりがないなどと批判されているが、それだけ事務所とタレントの関係が(とりあえずいろいろなものをごっちゃに押し込む、という意味で)「どんぶり」的だということなのだろう。さすがに事務所がテレビ局などから仕事を受けるときは、テレビ局側のコンプライアンスが厳しいのでどんぶりということはなかろうが、事務所内部では曖昧にされているところが多いのだろう。「真っ当な契約社会ではあり得ない」というコメントが多いが、この業界はもしかしたらこの令和の時代に昭和の感覚で居続けているのかもしれない(ただ、移籍制限や兼業禁止などの「制限的」な取り決めに関しては、文書(念書)の形で残すようなところもあるのだろう)。事務所とタレントの間には優越的地位に立つ側と立たれる側に分かれることが多いので、独占禁止法上の優越的地位濫用規制違反の温床になりやすい(売れっ子タレントは別だし、場合によっては逆の関係になる場合もあるかもしれない)。条件が揃えば下請法(下請代金支払遅延等防止法)の問題にもなるだろう。その点については、アゴラ・ブログにおいて、郷原信郎弁護士の論考、「『吉本興業と芸人の取引』は下請法違反」が鋭い問題意識を提示している。

下請法には親事業者性についての形式要件がある。下請する側が1000万円以下の資本金又は個人の場合は、親事業者が資本金1000万円超であることがその適用対象となっている。吉本興業ホールディングス株式会社のウェブサイトを見ると、ホールディングスの資本金は1億円、子会社の吉本興業株式会社は資本金1000万円となっている。吉本興業株式会社自体が親事業者の場合は形式上、下請法の適用対象外だが、仮に下請法2条9項のいわゆる「トンネル会社規制」の対象となれば、下請法は適用される。仮に直接の発注者が資本金の形式要件を満たさなくても、当該発注がその発注者を支配する事業者からの再委託なのであれば、「再委託をする事業者は親事業者と、再委託を受ける事業者は下請事業者とみなす」とされている。吉本興業株式会社が敢えて資本金を1000万円ぴったりにしていることを考えれば、その辺のコンプライアンスを意識してそうしたのであろうという推測はできるが、実態は不明である。

立法論的にはこのトンネル規制の仕組み作りは甘かった、という指摘はあり得よう。持ち株会社形態の会社の場合、子会社はその実態として企業内の一部門のようなもので、それを分社化したものが多い。子会社が仕事を取れるのは、統括である持ち株会社への信用があるからである。つまり、完全子会社のような場合には下請法上親会社と子会社とを同視する「みなし」規定を作っておくべきだったという意見はあるだろう。まさに、「トンネル規制のトンネル」のようなものだ。

より強調しておきたいのは、下請法は独占禁止法の優越的地位濫用規制の補完的立法である、ということである。下請法の各規制は、優越的地位濫用規制違反の予防規制という性格を有する。「優越的地位」の認定等で一定の時間を要するなど、下請事業者の利益を保護する観点に立てば機動力が欠ける等の問題があることから、独占禁止法の違反事件処理手続とは別の簡易な手続が必要であるとの要請の下、1956年に独占禁止法の補完法として下請法が制定されている。下請法違反該当行為がそもそもの優越的地位濫用規制に抵触するならば、後者の適用を否定するものではない。下請法8条では、親事業者が公正取引委員会の勧告に従わない場合の独占禁止法に基づく排除措置命令や課徴金納付命令について明記されている。

ましてや資本金等の要件から下請法が適用されないケースにおいては、独占禁止法がダイレクトに適用されることになる。資本金云々の関係は「優越的地位」等の認定をスキップする意味を持つが、「優越的地位」等の認定が容易なのであれば独占禁止法の適用に当たって当局側のハードルは高くない。筆者も過去のブログで引用した公正取引委員会の「人材と競争政策に関する検討会」報告書公表の前後から今に至るまで、様々な場面で芸能事務所と所属タレントの関係が取り沙汰されており、公正取引委員会側も着々と準備を進めていることだろう。資本金が小さいかどうかはもはや無関係だ。立場の優越性というのは相対的なものであって資本金で決まるものでは必ずしもない。そもそも業務委託契約かどうかなどという形式論も関係ない。独占禁止法2条9項5号は、「その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること」を射程としている。業界の慣行がそうなっているかは関係ない。それが公正な取引秩序に反するかが問題だ。

契約書も文書もない、そんなどんぶり感覚の中、タレントに不利な内容の契約を押し付けるようなことが仮にあるのであれば、それは下請法にとってもど真ん中の違反であると同時に、優越的地位濫用規制の格好のターゲットでもある。もし資本金1000万円だから大丈夫、という発想があったならば、そのコンプライアンス感覚は極めて危うい。親会社、子会社間で委託、再委託という関係があれば下請法の射程となる見込みが大きくなるが、そうでなかったからといって問題がないという訳には行かない。持ち株会社形態と少額資本金とをうまく組み合わせることで下請法の射程外としようという「意図」があるのであれば、公正な取引秩序に対するある種の挑戦といえ、その悪質性を独占禁止法は見逃さないだろう。資本金の形式を整えれば大丈夫という結論には決して至らないのである。下請法には確かに穴があるのかもしれないが、独占禁止法という「守護神」が後ろに控えていることを忘れてはならない。