持続化給付金業務委託について:法的視点からの論点整理

ついこの間、府中市における入札情報の漏洩事件についてのコラムを書いたばかりだが、世間の話題は持続化給付金に係る業務委託に集まっている。このケースも受発注者間で不適切な情報のやりとりがあったのではないかとの疑惑であるが、契約額も大きく、新型肺炎絡みの事業なので、各紙大きく取り上げている。

筆者のところにもメディア各社からの取材がきて、その都度、関連する法令や制度について紹介、解説しているのだが、それならば文章の形で残し、「まずそれを見てください」といった方が効率的だし、読者一般の便宜にもなると思い、筆をとることにした。

確かに、今与えられている情報は「断片的」である。十分な材料のない中での「考える筋道」の提示なので、推測的なことに止まらざるを得ない部分が多くなることを予め断っておく。

まずよく聞かれるのが、「発注機関の対応は不正といえますか」というものだが、結論からいえば、「ケース・バイ・ケース」としかいいようがない。事前のヒアリングは不公正だ、というが、何をどうヒアリングしたかによる。そもそも事前のヒアリングもしないで仕様書を書く方が無責任だともいえるのであって、問題はその仕方である。

 

このケースは大きな額だが、緊急性が高いということで仕様にかかわる事前の意見招請の手続などはしていないのだろう。ヒアリングを通じて使用を決定し、公告し、説明会、そして応募、入札という手続を矢継ぎ早に進めている。公告から、あるいは説明会から応募まで数日しかないとするならば(それ自体は法令上認められている手続である)、規模が規模だけに業者は書類の作成に困難をきたすかもしれない。本当に業務遂行体制が整えられるのか、積算は正確か、価格はどこまで下げられるのか、赤字になるリスクはないのか等々、業者選定のスキームに合わせる形で、考えなければならないことは多い。

今回の競争入札は総合評価方式だという。提案書の作成を伴う総合評価方式の場合、ますます時間的制約がネックになる。仮に公告段階で初めて公になった仕様書(案)の具体的内容、提案すべき内容、総合評価のルール等について、公告前に知らされていたならば、当該業者はその分、時間的な猶予が与えられることになり有利となる。裏を返せば、そのような有利になる情報が提供されていないならば、入札の公正を害するとまではいえないことになる。だから、「ケース・バイ・ケース」としかいいようがないのである。

事前のヒアリングで何がやりとりされていたのか、がポイントになる。本来であれば、公告前の特定業者との事前のやりとりがあっても、仕様書等公告段階で明らかにされる内容について意見招請の手続を踏まえてオープンに批判させる機会を設けることで、入札の公正を担保する手続もあるのだが、非常に短い期間での手続が要請される中、入札の公正を担保する仕組み作りは、もはや条件の平等化しかない。競争入札という手続を採用した以上、特定の業者が他の業者にオープンにされていない内部情報を発注機関と共有することは「入札の公正」を疑わせるものになる。裏を返せばオープンになっている情報を提供したところで、問題にはならない。ポイントは結局、何がやりとりされたのか、である。

関連する法令は、官製談合防止法(正式名称は「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」)と刑法典上の公契約関係競売入札妨害罪だ。両方とも、「入札の公正を害すべき」行為が犯罪となっている。そのうち情報漏洩行為が多くを占め、前回のコラムで触れた予定価格や最低制限価格の漏洩がその典型である。ここでいう「公正を害すべき」とは「公の競売又は入札が公正に行われていること、すなわち入札等の参加者が平等な取扱いの下でその意思に基づいて自由に競争しているということに対し客観的に疑問を懐かせることないしそのような意味における公正さに正当でない影響を与える」ものとして理解されており、少なくとも特定の業者が、入札における平等を害する形で有利になる状況が想定される以上、それが便宜だったとの抗弁は通用しない(発注機関の悩みは十分理解できるが)。なお、各省庁が策定する発注者綱紀保持規程でも、秘密にすべき入札情報の保持、特定の業者を有利にするような接触の禁止について定められている。

繰り返すと、この要件の該当性を論じるためには、そのやりとりの具体的な中身が明らかにされなければならない。

一連の報道を見て驚いたのは、これだけ大きな事業をこれだけ短時間で、それも総合評価方式で実施するという点である。総合評価はどのようなスキームものであり、何をどう評価したのだろうか。業者は応札にあたってどのような作業を求められたのであろうか。それも気になるところである。

ここで比較の対象になるのが、10年ほど前に問題になった年金機構発注の「紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務の入札」に係る不正事件である。この事件では、紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務を発注する年金機構のある職員が、これまでに経験したことない業務委託がうまくいくかを懸念して、ある業者に再就職した旧社会保険庁OBに対して当時未開示だった仕様書案等を提供し、アドバイスをもらっていたところ、その業者が入札に参加し落札したのである。本人は、最初は発注機関によかれと思って情報交換をしていたが、結果的に業者側を競争上不当に利する結果となってしまった。その他にも、総合評価方式における競争相手の技術点を漏洩するなど、さらに悪質な逸脱があったことから立件され、官製談合防止法等で有罪となってしまった。

筆者も参加したこの事件に係る検証委員会の報告書(「紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務の入札に関する第三者検証会議報告書」)を参照いただきたい。

本件において、発注機関はコンプライアンスを意識して情報交換、意見交換に臨んでいたと思いたいところであるが、公告期間の短さを勘案するならば事前のヒアリングによって得た情報次第では、随分と有利に手続を進めることができたのではないか、との疑念が自然に生じるのもまた否めない。その点について発注機関は十分なディフェンスを行うことが求められるだろう。

随意契約の生命線は透明性であり、競争入札の生命線は競争の公正さにある。それが担保されている限り、競争の結果を受け入れなければならないが、そこに疑義が生じてしまえば、やはり透明性の問題に行き着くことになるのである。

問題が沈静化するか、さらに炎上に向かうか、次にくる情報次第だろう。

入札不正の現在位置:護送船団型から抜け駆け型へ

こんなニュースを昨日目にした。最近では見飽きたニュースである(NHKニュース「市の発注工事で官製談合か 市幹部や市議ら6人逮捕 東京 府中」)。

東京 府中市が発注した公園や道路の工事をめぐって、市の幹部が工事の最低制限価格を市議会議員を通じて業者に漏らしたとして、警視庁は府中市の幹部や市議会議員、それに業者ら合わせて6人を官製談合防止法違反や入札妨害の疑いで逮捕しました。

地方公共団体発注の公共工事の入札においては、多くの場合、上限である予定価格の他に下限である最低制限価格が付けられる。これは、予定価格を上回った入札を失格にするのと同様に、この水準未満の価格での入札を失格にする効果があるラインを設定するものである。国の公共契約を規律する会計法、予算決算及び会計令にはそのような規定はなく、地方自治法及びその施行令において認められている地方公共団体の公共契約に独特の制度である(あまりにも安い札入れに対して、契約履行が確実にできるのかについて調査を行うという制度は国、地方公共団体共に存在する)。

最低制限価格の存在はすなわち落札率の高止まりを意味するので、少しでも支出を抑えたい首長の多くは最低制限価格の存在をよく思っていないが、工事や契約の実務に携わっている現場の職員の多くは、品質維持のために必要だと思っている。

この最低制限価格の漏洩事件が近年あまりにも目立つ。最近の入札不正事件の半分以上、いや3分の2以上を占めるのではないだろうか。

最低制限価格の漏洩はある特定の業者に対してのみなされるのが一般である。それは何故か。それは最低制限価格をピンポイントで知った業者は、この価格で入札すれば相当高い確率で受注者になれるからだ。数千万円、数億円に上る公共工事の下限価格をぴったり当てるのは困難である。1円でも下回れば失格になる。積算能力の高い業者であればそれなりに近い額は導き出せるが、ピンポイントとなるとそうはいかない。予定価格から一定の計算式を通じて最低制限価格を出すのが一般的なので、予定価格が分かればよいが、それが非公表だとやはり難しい。

この最低制限価格の漏洩は、本来であれば競争によって決まるはずの価格が、特定の業者にのみ特定の情報が不正に与えられたことで歪められてしまうので、それは「入札の公正を害する」と評価され、刑法典上の公契約関係競売入札妨害罪や官製談合防止法違反罪に問われることとなるのである。

かつては公共契約に係る不正といえば、競争入札における入札談合と随意契約における癒着が定番だった。入札談合は、指名競争という、閉じられた(いつも同じようなメンバーという意味で)空間で業者間の協調関係によって生み出されるもので、かつては「談合天国」などと揶揄されるくらいに日本社会に蔓延していたものである(根絶された訳ではなく、今でもしばしば見かける)。会計法や地方自治法上、指名競争は例外的な位置付けなのにも拘らず、かつてはほぼ原則化されていた。随意契約も今では考えられないくらいに大甘に利用されてきた。

時代は変遷し、一般競争入札の徹底が図られ(とはいっても骨抜きにしている発注機関は少なからず存在するが)、随意契約は批判の目に晒され利用機会が極端に制限されるようになった。透明性を徹底できない随意契約には「不正の疑義」が生じる、といっても過言ではない状況となった。企画競争等、競争的な随意契約(この表現方法が適切かは疑問であるが)も多く登場するようになった。

公共契約をめぐる不正の性格も変遷した。護送船団的な入札談合ではなく、特定の業者が発注機関職員と通じて、あるいは議員を介在して、他の業者が知り得ない情報を入手し不正に受注を獲得するというタイプの不正が目立つようになったのである。冒頭に紹介した事件がまさにその典型だ。その他にも、総合評価方式型の競争入札において発注機関職員から提案書記載の指南を受けて競争を有利に進めたとして独占禁止法違反(不公正な取引方法)に問われた事件もある。

競争入札の公告前に公告される内容を不正に入手することも同じ問題である。その業者のみ、実質的に公告期間が延長されているようなものであり、競争入札において不当に有利な立場にするからである。その他、競争入札の参加資格や総合評価方式における点数の付け方についての恣意的な操作がよく問題になる。

この特定の業者のみが不当に有利になる(「抜け駆け」的といってもよいかもしれない)タイプの入札不正の重要な特徴は、発注機関職員の協力が必要であるということだ。つまり、本来的に官製談合的な要素を有するということだ(ここで「官製談合」というのは「官民間の癒着」というやや広い意味を持つことに注意されたい)。だから、刑法典上の公契約関係競売入札妨害罪と官製談合防止法違反罪がセットで出てくるのである。そして「口利き」をした議員が出てくると贈収賄事件へと発展する。冒頭のケースは、そのまま公契約関係競売入札妨害罪が問われているが、当局は「その次」を睨んでいるのかもしれない。

最低制限価格の漏洩という違反の存在は、競争入札の結果、各業者の応札が下限価格に張り付いていることを物語っている。かつての入札談合の時代においては、予定価格はほぼ受注価格だったが、今では競争的になっていることを(それだけみるならば)意味している。「みんなで安定受注を目指す」時代から、「自分だけが生き残ろうとする」時代になったということだろう。

入札不正には色々なバリエーションがある。最低制限価格の漏洩は価格が下限に張り付いているので不正は不正だとしてもまだ「競争的」な方だが、競争入札参加資格や評価点数の恣意的操作などは、競争それ自体を排除するものでありより深刻である。公告期間を極端に短くしておきながら、特定の業者には相当前から公告内容を漏洩しているようなケース、それも提案書の提出を要求するような総合評価方式や企画競争のケースは、競争の体裁を繕いつつ意中の業者との契約を不当に目指す、悪質性の高い不正類型だ。もちろん、ルールに則って必要性に基づいて対応したものならば難じることはできないが、その辺りの「見極め」が、公共契約の不正をウオッチする側に求められるスキルである。

公共契約を眺めるポイントは「表面」に惑わされてはならないということだ。競争入札だから安心とか、落札率が低いから安心とか、応札者(応募者)が複数いるから安心、という訳にはいかないのである。競争入札も骨抜きにできるし、予定価格を高く設定すれば安くなった体裁を作れるし、発注機関が特定の業者に肩入れしているケースでは競い合いの体裁は意味をなさない。

随意契約、それも特命随意契約の場合は、業者選択と契約価格の適正さが問われるのが不可避である。特命随意契約の場合、競争の体裁が作れないので、正当化の逃げ場が少なく、透明性の徹底が要求されるので、発注機関による合理的な説明が生命線となる。

「当初の見込みより安くなった」という政府の説明には警戒した方がよい。公共工事のような材料費や労務費、工数の積み上げによってターゲットとなる価格が決まる分野はまだしも、これまでに経験のないような発注だったり、業者からの見積もりやヒアリングに依存するタイプの発注だったりする場合には、そもそも当初の見込み自体があやふやだし、不確かなものが多いだろう。緊急性を理由にした随意契約の場合には、特にそうである。とってきた予算が適正である保証はどこにもない。予算額と予定価格が大きく乖離している場合は、獲得した予算の妥当性の再検討が必要になる。

「安くなったから契約しました」は、特命随意契約を正当化しようとする発注機関が利用するかつての「常套句」だった。実際は、元々の提示価格が高い場合だったりするのである。そこから3割引、5割引します、という理由で価格の合理性を説明していた発注機関の話をよく聞く。スペックダウンして安くする体裁を作るやり方もあるだろう。そのようなやり方は「過去のもの」だと思っていたが、実はそうでもないのかもしれない。

もう一度繰り返すが、公共契約を眺めるポイントは「表面」に惑わされてはならないということである。

 

(紹介)  *併せて読んでいただけると幸いです。

楠茂樹『公共調達と競争政策の法的構造〔第2版〕』上智大学出版(2017)

 

消毒液も高値転売禁止へ

マスクに続き、消毒液なども国民生活安定緊急措置法に基づく高値転売禁止の対象になるそうだ。18日の時事通信は以下の通り報じている(「消毒液も転売禁止へ 新型コロナで品薄―政府」)。

政府は18日、新型コロナウイルスの影響で品薄が続く消毒液について、インターネットなどを通じた転売を禁止する方針を固めた。転売目的の買い占めを防ぎ、医療施設などに優先的に供給できる態勢を整えるのが狙い。22日にも関連する政令を閣議決定する。

同記事によれば「アルコールを含んだ医薬品や、消毒液の代用となるアルコール濃度が高い酒も対象とする」とのことである。マスクが国民生活安定緊急措置法で高値転売禁止されたのは約2ヶ月前だった(筆者のコラム「マスクの利益上乗せ転売禁止:古典的措置法をネット時代に適用」参照)。そのころにはアルコール消毒液、除菌ジェルや除菌シートの類も品薄で、高値販売されていたので、マスクと同時に対象にしてもよかった気もする。今では除菌ジェルなどはスーパーやコンビニの店頭でそれ相応の価格で販売されるようになってきた。ただ、消毒液が医療機関等必要なところに必要な分量が行き渡らないという状況が今でもあるのであれば、遅きに失した訳でもない。この政府の判断は、確かに一歩前進である。

注意しなければならないのは、国民生活安定緊急措置法で高値転売が禁止されたといっても、当該商品の価格が前の水準に戻るかというとそういう保証はない、ということだ。この法律の対象となるのは、小売店(一般消費者に対して直接販売する製造事業者、卸売事業者や個人も含む)から買ってきたものを高値転売することであって、生産者から購入した小売店舗が仕入れ値よりも高く売ることが禁止されている訳ではない。それを禁止してしまったらビジネスが成り立たなくなってしまう。そこまで「価格統制を徹底する措置」ではないのだ。だから生産の段階で、卸売の段階で高騰してしまった場合には当然、消費者価格が下がる訳ではないし、アンテナを張っていち早く生産者から一定の在庫を確保した小売店が大きな利益を出したとしても、規制の射程には入らないということになる。マスクの高値転売を禁止してもしばらくは価格が高止まりしていたのは、取締まりが甘かったというよりは、射程外の問題の影響が大きかった、ということなのだろう。だからといって今回の一連の措置の存在意義を否定するつもりはない。

物価統制のような直接的な市場介入は批判が強い。政府としてはコンセンサスが得られる範囲で、法適用の射程を考えたのだろう。私の専門である「経済法」の中心は競争制限的行為を類型化して禁止する独占禁止法であるが、石油ショックの際に制定された国民生活安定緊急措置法は、その介入の仕方として「標準価格」「特定標準価格」を設定してこれを小売業者に遵守させることができ、後者では違反者に課徴金を課すことができる規定が存在するなど、市場介入色が強く「経済統制法」ともいえる立法として知られていた(独占禁止法の課徴金制度はこの立法を参考にしたともいわれている)。今回の高値転売禁止は経済法と経済統制法のちょうど中間的な性格を持つものだ(問題となる商品の、適切な価格を設定するのはそもそも難しいだろう)。今回の一連の対応は、市場への直接的介入は可能な限り避け、譲渡に際して特に問題となる行為を絞り込んで、これを明確化し禁止する、そういうものだった。

国民生活安定緊急措置法はなかなか考えられた法律である。

マラソン、次世代のスターは?

「なぜケニア人は世界記録を連発するのか? マラソン最強国を知る専門家が語る速さの秘密」というインタビュー記事(REAL SPORTS編集部)を興味深く読んだ。最後の「厚底シューズ」に関する評価については若干の違和感があったが、標高の高さ、身体的特徴など、概ね説得的で示唆的な内容だった。

確かに、中長距離におけるケニア勢の強さは別格だ。しかし、トラック競技の10000m走では世界記録は相変わらずエチオピアのケネニサ・ベケレであり、もう15年も破られていない。その前の記録は同じエチオピアのハイレ・ゲブレセラシェだった。この二人の記録を20年以上、ケニア勢は破れていない。

ベケレの走りは圧倒的だった。最後の一周は、信じ難い走り方をする。まるで800mのような走り方だ。ちなみにマラソンの現世界記録保持者で、参考記録ながら2時間切りを達成したエリウド・キプチョゲの10000mの記録はベケレよりも30秒以上遅い(それでもその記録、26分40秒台は日本人選手と比較したら圧倒的である)。その後、キプチョゲはマラソンに転向して、トップに立った。遅れてマラソンに参入したベケレは惜しいところに止まっている。

ケニアは圧倒的だが、エチオピアとの比較をしたらどうだろうか。何か面白い分析はできないか。そんな興味を抱く。今一番の期待の星は、ケニアのジョフリー・カムウォロルだ。ハーフマラソンを、ほぼ58分ジャストで走っている。

ゲブレセラシェもそうだったが、アフリカのトップアスリートの多くはトラックからの転向組だ。日本でも学生時代は5000mや10000mのトラック選手であり、その後トラック選手と駅伝選手を兼ねて、マラソンに参入する。マラソンへの新規参入の仕方は似ているようだが、何かが違うのだろうか。実業団チームという独特のキャリア・パスは、そういう発想のない(日本にいる選手は別にして)アフリカ選手との比較でどうなのか。そしてプロランナー・大迫傑の強さは、どこからくるのか。

そういえば、80年代は日本男子マラソン界の黄金期だった。往年の瀬古利彦のトラック勝負は、「ベケレの最後の1周」を彷彿させるものだったし、宗兄弟も中山竹通も強かった。瀬古はロンドンもシカゴもボストンも制している(最近では、悪天候の中の川内優輝のボストン優勝は衝撃的だった)。2000年前後は女子マラソンの日本勢が活躍した。2003年のポーラ・ラドグリフの当時の世界記録は異常だったが、日本人選手(野口みずき、渋井陽子、高橋尚子)も20分を切り、世界に食い込んでいた。

ここ2、30年間の世界(特にケニア、エチオピア勢)と日本との開きはどこから生じ、そして「マラソン大国、日本」の復活のためには何が必要なのだろうか。

アフリカ・マラソン界のトップアスリートに共通すること、それはクロス・カントリーにおいても世界を代表する選手だということである。ベケレは世界大会優勝の常連だったし、カムウォロルは2015、2017年と2連覇している。クロス・カントリーがマラソンの次世代のスター選手を生み出すとするならば、注目は2019年優勝のジョシュア・チェプテゲイだ。ウガンダの23歳の選手である。そして10代のジュニア界にも続々とダイヤの原石が控えている。

次世代のスター選手に早くから注目するのも、スポーツの楽しみ方の一つである。

政府によるマスクの調達について:公共契約としての論点整理

政府によるマスク調達が連日テレビや新聞で報じられている。安倍晋三首相が4月1日に全世帯向けに布マスクを配布することを表明し、自ら布マスクを付け始めたことから、「アベノマスク」などと呼ばれるようになったこのマスク、予算規模の大きさや要不要について様々な議論を呼び起こし、ここ数日は(既に発注されていた)妊婦向けマスクについて不良品が多数見つかったことなどが報道され、その品質管理の杜撰さが批判されるようになった。どの対象の調達についてどの業者がいくらの量をいくらで受注したか、という情報公開の声が強まり、その対応が遅いとさらに批判されることとなった。

数百億円にものぼる政府によるマスク調達は公共の契約であり、公共の契約は国であれば会計法(地方自治体であれば地方自治法)という法律によって、そして関連する規則、指針等によって、その公的支出が厳格に規律される。各種報道を見ていて、この「公共契約の適正化」からの議論が極めて少ないことに気付く。そこで、以下、公共の契約という観点からの論点整理をしておきたい。報道によれば不良品が多数見つかった妊婦向けの配布マスクは緊急随意契約とのことであり、全世帯向けのそれも同様であろうから、ここでは随意契約を前提に話を進めることとする。

第一に、随意契約の適用場面である。これは会計法、地方自治法(その施行令)に厳格に定められている。一般には特定の業者しか提供できないという供給源の唯一性のケースだが、マスクの場合は緊急性の高さがその理由になっているといってよい。緊急随意契約の典型は災害等における緊急復旧工事である。競争入札には(公告等)手続に係る一定の時間を要することとなり、それが待てない場合には随意契約が採用される。マスク配布の必要性が真にあるという前提で、そのための時間的制約が厳しい以上、そこに競争を求めることはできないということになる。しかしマスク配布の必要性を見出さない人にとっては(緊急だと思っていないので)議論の前提自体が欠如してしまい、適用場面に係る会話が成り立たない。今さまざまに展開している議論は、もしかしたらそういう段階の違いを無視したレベルの応酬になっているのかもしれないが、そこは論点を分けて冷静に論じるべきである。

第二に、価格面の問題である。緊急随意契約だからといって「どんぶり勘定」でよい訳がなく、できる限りリーズナブルな価格に収めることが必要である。緊急性と唯一性が混在する場合には「説得する」しかないが、複数の業者が選択し得る場合には価格に関する精査をし、より低廉な方(そしてより品質上の問題のない方)を選ぶことが求められる。本件において政府はどのような状況に置かれ、どこまで選択可能な業者を射程に入れていたのであろうか(必要枚数入手の見込みが立たず焦っていたのかもしれない)。

ここで、会計法上のルールとして「予定価格」という概念が出てくることに注意したい。一般的には獲得した予算を反映するもので随意契約の場合、実際の契約額に合わせて予定価格を組むことが多いので、落札率が100%となることが多いのだが、随意契約の正当化のために、予定価格を高めに設定して実際の契約額をそれなりに低くすることで「安くなった」(だからこの業者にした)という印象を作るというやり方もしばしば見かける。最初に高めの見積りを出しておいて、競争がない状態では、後から安い額を提示し契約を獲得する(実際には「言い値」なのだが)というやり方をする業者もいる。「見込み額より安い」といってもそれだけでは何も判断できない。競争という要素がない随意契約において価格の妥当性の評価は最も悩ましい問題の一つである。

第三に、業者選択である。業者選択の問題は品質の問題と言い換えてよい。公共契約の契約相手はリスクの低い業者に任せなければならず、安ければ誰でもよいという訳にはいかない。緊急随意契約の場合は「失敗は許されない」調達なのであるから、特にそうである。実はそこが難しく、緊急復旧工事の場合には、信頼できる地元業者が存在しているのが前提になっている(だからこそ、公共工事、建設業における担い手育成・確保が国土交通省の最大の政策課題になっている)が、そもそも経験のない(乏しい)物品調達、製造委託の場合、時間との戦いの中、品質を見極めなければならないという困難に直面することになる。政府のマスク輸入業者の選定については厚生労働省以外の省庁も関わったとの報道もあり、それが本当だとするならば、その辺りの経緯も重要な検討対象となる。

第四に、そして最も重要なものとして、透明性である。なぜ随意契約にしたのか、なぜその価格なのか、そしてなぜその業者なのか。これらの疑問に対しては、透明性の徹底によって応えていくしかない。競争入札であれば、その公告された内容から手続としての適正さが評価でき、競争の結果が公正な結果であると評価することが制度上可能となっているが、随意契約(特に競争性のないそれ)の場合はそのようなフィルターがない。それだけに「説明責任を尽くすこと」でしかその適正さを担保することができないのである。価格面でいえば、当初の見込額の妥当性と実際の契約額の妥当性である。見込みよりも下がったという事実は、その見込みが高過ぎれば意味のない事実である。価格の精査方法、実際のやりとり、交渉の有無等、価格決定に至るまでのプロセスはどうだったのか。業者選択については、どのような経緯でその業者になったのか。過去の実績がない、乏しいところと契約をしたのであれば、説明責任の度合いはさらに高まる。品質管理体制も不明な点が多い。どこの業者がどうして大量に不良品を出したのか。なぜそれを防げず、見抜けなかったのか。

ただ迅速であっても不正確であればそれは拙速であり、多少時間がかかっても正確な情報の方がよい。だからこそ随意契約の情報公開は「一定の期間内」になされるというのが実務なのである。しかし批判が強いケースの場合、正確性と迅速性が同時に求められることになる。発注機関は大変だろう。だからこそ準備段階で、契約段階で適正化への意識を先鋭化させておくことが重要なのである。急にどこからか降って湧いた緊急随意契約で、現場はパニック状態だったのかもしれない。現場の苦労は察するに余りある。

行政は「無謬性」の体裁に拘る傾向が強い。情報を出さないという形でそれを維持しようとしているのかもしれないが、それがますます疑問を深める結果になっているとはいえないだろうか。

筆者は、政策として政府が必要なマスクを調達し、必要な人に配布することそれ自体を批判するつもりはない。不良品がなく、支出も低廉に抑えられて、目的に対して一定の成果が期待できるならば、批判されるべきものではない。そして場合によって随意契約が必要だという考えは当然だ。公共工事における緊急随意契約は人々の命を守るために必要なものだから競争入札のメリットを捨てて、「時間を買う」のである。それを否定する人はいない。誰もを説得できる自信があるから、発注機関はその調達の必要性も含めて徹底した情報公開に努めるのである。

随意契約にとっては透明性がその生命線である。随意契約への国民の不信感が高まり、今後必要な場面において発注機関が躊躇して随意契約を利用できないような事態になれば、それは政府にとって不幸な話であるし、それは延いては国民にとって不幸な話だ。あれこれと批判される中、政府にとって必要なのは先手先手の透明化なのではないだろうか。

セブン、消費期限が近い弁当の実質値引きへ

4月26日付の読売新聞記事より。

セブン―イレブン・ジャパンは消費期限が迫った弁当などの実質値引きを、5月11日から全国約2万1000の全店舗で始める。おにぎりや弁当、サンドイッチなどの対象商品を買うと、税抜き価格の5%分のポイントがもらえる。

具体的には、販売期限の5時間前から該当商品をセブンの電子マネー「ナナコ」で買うと、次回以降使用可能なポイントがもらえる(同記事)、とのことである(丼物はその時間が長くなるという)。

セブンというと、最近は24時間営業、深夜営業を中止したいコンビニ店舗との対立で話題となり、公正取引委員会の事務総長が独占禁止法上の問題点を指摘したことが報道されたが、10年ほど前のセブンの独占禁止法に係る話題といえばこの「値引き問題」だった。

コンビニ店舗のオーナーが消費期限の近い弁当類等の値引きをしようとした際に、本部が禁止しそれを阻止したとされる事案について、公正取引委員会は2009年、優越的地位濫用規制に抵触するとして排除措置命令を出した。これを受けて複数のオーナーが損害賠償訴訟を提起した(原告勝訴と敗訴のケースが混在している)。同時に「もったない」運動に連動してしまったので、本部のイメージダウンとなってしまった。

この値引き販売禁止のカラクリは、「加盟店は商標の使用や経営指導の見返りに、一定の利益を本部にロイヤルティーとして支払うが、商品を廃棄処分した損失は加盟店が全額負担するため、売れ残りが多くなれば、それだけ利益の取り分が減る仕組みとなっている」(日本経済新聞2009年6月24日付記事)ことにあった。

コンビニ戦略の狙いの一つはその画一性にある。「どのコンビニに行っても24時間やっている」「どのコンビニに行ってもサービスは同じである」「どのコンビニに行っても同じ品揃えで同じ値段である」というのが、消費者に一定の安心感を与え、スーパーやディスカウントショップに比べ多少割高でも、「一番近くにある便利な店」への集客を可能にしてきた。一回で買う金額もそれほど高くないので、割高感を覚えることはほとんどないだろう。

オーナーはできる限り売上げを大きくしたい。コミッションの負担を小さくするためには売り上げ増とコスト減が効果的であるのでいろいろ策を打ちたいが、本部は認めてくれない。そこに対立の源泉がある。本部側は値引きをしないことがむしろ売り上げ増につながるとのロジックを展開したが、公正取引委員会には通用しなかったようだ。これは楽天が送料無料を強行しようとした際に、店舗側を説得しようとしたものとほぼ同じである。公正取引委員会の緊急停止命令申立てを止められなかった(後に楽天側は予定されたプランを一旦撤回したので、公正取引委員会も上記申立てを取り下げた)のは、「店舗の利益のためにやっている」といいつつも、結局は本部(プラットフォーマー)の都合でそういっているだけだと、当局に信じてもらえなかったということなのだろう。

今回の本部主導の値引きがどのような意味を持つのかは断片的な情報では即断できないが、表示価格を下げるのではなくポイントを付与するという形での実質的な値引き(それも5%であるが)といったあたりは、やはりコンビニとしての「画一性」へのこだわりがあるということなのだろう。ナナコポイントの付与なのでそれはセブン本部側の負担でなされるものだろうから、それ自体店舗と本部との対立を引き起こすものではないだろう(コミッションの取り方もポイントになるかもしれないが、この辺りは詳しい人物に委ねたい)。また、ナナコカードの利用が前提なのでビジネス上の合理性ありということなのだろう(他社の動向も当然重要な前提となる)。ただ弁当等の売れ行きのよくない店舗は、ポイント5%付与対象のものを多く提供することになり、セブン本部への負担を増やすことになる訳(それを抑止する策はあるのだろうか)だが、そのような統計情報を前に本部はどう店舗にアプローチするのだろうか。そこに新たな火種は生じないか。あるいはポイント5%付与をする代わりに表示価格の値引きは認めないなどの条件が付くようなことはないのか。何れにしても追加情報を待ちたい。

競輪事業の民間委託公募をめぐる不正疑惑:徳島・小松島市

16日付の毎日新聞記事より(「徳島・小松島市長 幹部に点数「足せれんの」 業者の評価水増し要求」)。

徳島県小松島市の浜田保徳市長が2019年11月、競輪事業の民間委託を巡り、選定会議による応募業者の判定点数が合格点を下回っていたのに、市幹部らに「(点数を)足せれんの(足せないのか)」などと点数改ざんの指示ともとれる発言を繰り返していたことが15日、関係者への取材で分かった。浜田市長も発言を認めた。

この民間委託公募の具体的なスキームを筆者は詳細に知らないが、報道によれば、市長が一者応募となった業者が「競輪事業の開催業務」「老朽化した施設(競輪場)整備業務」の各々について求められる合格最低点のうち、後者について点数が足りなかったので失格との評価が外部委員を含む選定会議でなされ、それに対して市長がこの点数の不足について懸念を示した、とのことである。これが「改ざん要求」の疑惑と表現された。

この問題は市の最高幹部同士のパワハラ問題が絡んでいるが、それを切り離して純粋な入札不正の問題と考えよう。法的には、刑法典における公契約関係競売入札妨害罪、あるいは官製談合防止法違反罪の問題である(公募型の公共契約がこれら法律にいう「公の入札」の射程に入るかどうかは論点であるが、ここでは該当するという前提で話を進めることにする)。

市長の懸念を踏まえて(市長に忖度して)選定会議の委員が再考し、合格点に達するように点数を付け直したらどうなるだろうか。それが集計ミスの修正のような実態に即した変更であれば、不正(妨害)ではない。むしろそれが判っていたのに放置する方が問題である。一方実態としては合格点数に達していないのに、「下駄を履かせる」ようなことをした場合は、それは不正(妨害)としかいいようがない。公共契約に係る入札・公募においては、基準を満たさない業者と契約を結ぶ行為に他ならない。それは公金支出のためのハードルを厳格に定める入札・公募のルールの趣旨に反するものであり、入札の公正は害される。

こんなことを許してしまえば、意中の業者を不当に優遇することが何でも可能になってしまう。毎日新聞の上記記事によれば、市長は合格者が出なければ競輪事業からの撤退を議会から要求されることを危惧したとのことであるが、評価の公正性を担保するために外部委員を含めた選定会議を設けたことも含め、公募の手続、ルールを決定した最終責任者が市長にあることを考えれば、到底そのような発言は許されないはずである。合格点に達しない業者に委託をすることになれば、それこそ市民への裏切りではないか。

仮にこの入札・公募において業者選定が最優先課題であり、そのために質の面で多少の妥協をするというのであればそのようなルールを作るべきであり、あるいは第一選定候補として当該業者を選出しておいて、その後の交渉によって上記の点数不足を補う何らかのコミットメントをさせるように手続を定めるべきだった。そうしないのに、後から「困る」からといって自ら定めたルールに反する行為を促す、というのであればそれは不正と捉えられても仕方があるまい。「困る」云々の話は情状の一要素に過ぎない。

その他の情報を筆者は知らないので、市長が「改ざんを指示したという認識はない。市民のため、どうしても民間委託をしたいという思いが高じての発言だった」(上記毎日新聞の記事より)との発言がどの程度信用できるかは断定できないが、入札の公正という観点からは大いに問題のある発言であることは少なくともいえる。「改ざんは指示していないが、修正は指示した」というのだろうか。手続的公正を満たさない評価の修正は、入札・公募に対する立派な妨害である。市長の発言(そしてその発言を受けた関係者の行動)が手続上、正当化できるものかどうか、それが論点だ。

このような事案に出会うと、筆者は次のように思わざるを得ない。公共契約をめぐるこの種の不正は相当程度、特に地方において存在するのではないか、と。入札・公募の手続やルールについて外部には不明な部分が多いケース、内部的にも曖昧にされているケース、外部委員が選定会議にいないケース、首長自らが選定委員になっているケースの場合は特に怪しい。