政府によるマスクの調達について:公共契約としての論点整理

政府によるマスク調達が連日テレビや新聞で報じられている。安倍晋三首相が4月1日に全世帯向けに布マスクを配布することを表明し、自ら布マスクを付け始めたことから、「アベノマスク」などと呼ばれるようになったこのマスク、予算規模の大きさや要不要について様々な議論を呼び起こし、ここ数日は(既に発注されていた)妊婦向けマスクについて不良品が多数見つかったことなどが報道され、その品質管理の杜撰さが批判されるようになった。どの対象の調達についてどの業者がいくらの量をいくらで受注したか、という情報公開の声が強まり、その対応が遅いとさらに批判されることとなった。

数百億円にものぼる政府によるマスク調達は公共の契約であり、公共の契約は国であれば会計法(地方自治体であれば地方自治法)という法律によって、そして関連する規則、指針等によって、その公的支出が厳格に規律される。各種報道を見ていて、この「公共契約の適正化」からの議論が極めて少ないことに気付く。そこで、以下、公共の契約という観点からの論点整理をしておきたい。報道によれば不良品が多数見つかった妊婦向けの配布マスクは緊急随意契約とのことであり、全世帯向けのそれも同様であろうから、ここでは随意契約を前提に話を進めることとする。

第一に、随意契約の適用場面である。これは会計法、地方自治法(その施行令)に厳格に定められている。一般には特定の業者しか提供できないという供給源の唯一性のケースだが、マスクの場合は緊急性の高さがその理由になっているといってよい。緊急随意契約の典型は災害等における緊急復旧工事である。競争入札には(公告等)手続に係る一定の時間を要することとなり、それが待てない場合には随意契約が採用される。マスク配布の必要性が真にあるという前提で、そのための時間的制約が厳しい以上、そこに競争を求めることはできないということになる。しかしマスク配布の必要性を見出さない人にとっては(緊急だと思っていないので)議論の前提自体が欠如してしまい、適用場面に係る会話が成り立たない。今さまざまに展開している議論は、もしかしたらそういう段階の違いを無視したレベルの応酬になっているのかもしれないが、そこは論点を分けて冷静に論じるべきである。

第二に、価格面の問題である。緊急随意契約だからといって「どんぶり勘定」でよい訳がなく、できる限りリーズナブルな価格に収めることが必要である。緊急性と唯一性が混在する場合には「説得する」しかないが、複数の業者が選択し得る場合には価格に関する精査をし、より低廉な方(そしてより品質上の問題のない方)を選ぶことが求められる。本件において政府はどのような状況に置かれ、どこまで選択可能な業者を射程に入れていたのであろうか(必要枚数入手の見込みが立たず焦っていたのかもしれない)。

ここで、会計法上のルールとして「予定価格」という概念が出てくることに注意したい。一般的には獲得した予算を反映するもので随意契約の場合、実際の契約額に合わせて予定価格を組むことが多いので、落札率が100%となることが多いのだが、随意契約の正当化のために、予定価格を高めに設定して実際の契約額をそれなりに低くすることで「安くなった」(だからこの業者にした)という印象を作るというやり方もしばしば見かける。最初に高めの見積りを出しておいて、競争がない状態では、後から安い額を提示し契約を獲得する(実際には「言い値」なのだが)というやり方をする業者もいる。「見込み額より安い」といってもそれだけでは何も判断できない。競争という要素がない随意契約において価格の妥当性の評価は最も悩ましい問題の一つである。

第三に、業者選択である。業者選択の問題は品質の問題と言い換えてよい。公共契約の契約相手はリスクの低い業者に任せなければならず、安ければ誰でもよいという訳にはいかない。緊急随意契約の場合は「失敗は許されない」調達なのであるから、特にそうである。実はそこが難しく、緊急復旧工事の場合には、信頼できる地元業者が存在しているのが前提になっている(だからこそ、公共工事、建設業における担い手育成・確保が国土交通省の最大の政策課題になっている)が、そもそも経験のない(乏しい)物品調達、製造委託の場合、時間との戦いの中、品質を見極めなければならないという困難に直面することになる。政府のマスク輸入業者の選定については厚生労働省以外の省庁も関わったとの報道もあり、それが本当だとするならば、その辺りの経緯も重要な検討対象となる。

第四に、そして最も重要なものとして、透明性である。なぜ随意契約にしたのか、なぜその価格なのか、そしてなぜその業者なのか。これらの疑問に対しては、透明性の徹底によって応えていくしかない。競争入札であれば、その公告された内容から手続としての適正さが評価でき、競争の結果が公正な結果であると評価することが制度上可能となっているが、随意契約(特に競争性のないそれ)の場合はそのようなフィルターがない。それだけに「説明責任を尽くすこと」でしかその適正さを担保することができないのである。価格面でいえば、当初の見込額の妥当性と実際の契約額の妥当性である。見込みよりも下がったという事実は、その見込みが高過ぎれば意味のない事実である。価格の精査方法、実際のやりとり、交渉の有無等、価格決定に至るまでのプロセスはどうだったのか。業者選択については、どのような経緯でその業者になったのか。過去の実績がない、乏しいところと契約をしたのであれば、説明責任の度合いはさらに高まる。品質管理体制も不明な点が多い。どこの業者がどうして大量に不良品を出したのか。なぜそれを防げず、見抜けなかったのか。

ただ迅速であっても不正確であればそれは拙速であり、多少時間がかかっても正確な情報の方がよい。だからこそ随意契約の情報公開は「一定の期間内」になされるというのが実務なのである。しかし批判が強いケースの場合、正確性と迅速性が同時に求められることになる。発注機関は大変だろう。だからこそ準備段階で、契約段階で適正化への意識を先鋭化させておくことが重要なのである。急にどこからか降って湧いた緊急随意契約で、現場はパニック状態だったのかもしれない。現場の苦労は察するに余りある。

行政は「無謬性」の体裁に拘る傾向が強い。情報を出さないという形でそれを維持しようとしているのかもしれないが、それがますます疑問を深める結果になっているとはいえないだろうか。

筆者は、政策として政府が必要なマスクを調達し、必要な人に配布することそれ自体を批判するつもりはない。不良品がなく、支出も低廉に抑えられて、目的に対して一定の成果が期待できるならば、批判されるべきものではない。そして場合によって随意契約が必要だという考えは当然だ。公共工事における緊急随意契約は人々の命を守るために必要なものだから競争入札のメリットを捨てて、「時間を買う」のである。それを否定する人はいない。誰もを説得できる自信があるから、発注機関はその調達の必要性も含めて徹底した情報公開に努めるのである。

随意契約にとっては透明性がその生命線である。随意契約への国民の不信感が高まり、今後必要な場面において発注機関が躊躇して随意契約を利用できないような事態になれば、それは政府にとって不幸な話であるし、それは延いては国民にとって不幸な話だ。あれこれと批判される中、政府にとって必要なのは先手先手の透明化なのではないだろうか。

セブン、消費期限が近い弁当の実質値引きへ

4月26日付の読売新聞記事より。

セブン―イレブン・ジャパンは消費期限が迫った弁当などの実質値引きを、5月11日から全国約2万1000の全店舗で始める。おにぎりや弁当、サンドイッチなどの対象商品を買うと、税抜き価格の5%分のポイントがもらえる。

具体的には、販売期限の5時間前から該当商品をセブンの電子マネー「ナナコ」で買うと、次回以降使用可能なポイントがもらえる(同記事)、とのことである(丼物はその時間が長くなるという)。

セブンというと、最近は24時間営業、深夜営業を中止したいコンビニ店舗との対立で話題となり、公正取引委員会の事務総長が独占禁止法上の問題点を指摘したことが報道されたが、10年ほど前のセブンの独占禁止法に係る話題といえばこの「値引き問題」だった。

コンビニ店舗のオーナーが消費期限の近い弁当類等の値引きをしようとした際に、本部が禁止しそれを阻止したとされる事案について、公正取引委員会は2009年、優越的地位濫用規制に抵触するとして排除措置命令を出した。これを受けて複数のオーナーが損害賠償訴訟を提起した(原告勝訴と敗訴のケースが混在している)。同時に「もったない」運動に連動してしまったので、本部のイメージダウンとなってしまった。

この値引き販売禁止のカラクリは、「加盟店は商標の使用や経営指導の見返りに、一定の利益を本部にロイヤルティーとして支払うが、商品を廃棄処分した損失は加盟店が全額負担するため、売れ残りが多くなれば、それだけ利益の取り分が減る仕組みとなっている」(日本経済新聞2009年6月24日付記事)ことにあった。

コンビニ戦略の狙いの一つはその画一性にある。「どのコンビニに行っても24時間やっている」「どのコンビニに行ってもサービスは同じである」「どのコンビニに行っても同じ品揃えで同じ値段である」というのが、消費者に一定の安心感を与え、スーパーやディスカウントショップに比べ多少割高でも、「一番近くにある便利な店」への集客を可能にしてきた。一回で買う金額もそれほど高くないので、割高感を覚えることはほとんどないだろう。

オーナーはできる限り売上げを大きくしたい。コミッションの負担を小さくするためには売り上げ増とコスト減が効果的であるのでいろいろ策を打ちたいが、本部は認めてくれない。そこに対立の源泉がある。本部側は値引きをしないことがむしろ売り上げ増につながるとのロジックを展開したが、公正取引委員会には通用しなかったようだ。これは楽天が送料無料を強行しようとした際に、店舗側を説得しようとしたものとほぼ同じである。公正取引委員会の緊急停止命令申立てを止められなかった(後に楽天側は予定されたプランを一旦撤回したので、公正取引委員会も上記申立てを取り下げた)のは、「店舗の利益のためにやっている」といいつつも、結局は本部(プラットフォーマー)の都合でそういっているだけだと、当局に信じてもらえなかったということなのだろう。

今回の本部主導の値引きがどのような意味を持つのかは断片的な情報では即断できないが、表示価格を下げるのではなくポイントを付与するという形での実質的な値引き(それも5%であるが)といったあたりは、やはりコンビニとしての「画一性」へのこだわりがあるということなのだろう。ナナコポイントの付与なのでそれはセブン本部側の負担でなされるものだろうから、それ自体店舗と本部との対立を引き起こすものではないだろう(コミッションの取り方もポイントになるかもしれないが、この辺りは詳しい人物に委ねたい)。また、ナナコカードの利用が前提なのでビジネス上の合理性ありということなのだろう(他社の動向も当然重要な前提となる)。ただ弁当等の売れ行きのよくない店舗は、ポイント5%付与対象のものを多く提供することになり、セブン本部への負担を増やすことになる訳(それを抑止する策はあるのだろうか)だが、そのような統計情報を前に本部はどう店舗にアプローチするのだろうか。そこに新たな火種は生じないか。あるいはポイント5%付与をする代わりに表示価格の値引きは認めないなどの条件が付くようなことはないのか。何れにしても追加情報を待ちたい。

競輪事業の民間委託公募をめぐる不正疑惑:徳島・小松島市

16日付の毎日新聞記事より(「徳島・小松島市長 幹部に点数「足せれんの」 業者の評価水増し要求」)。

徳島県小松島市の浜田保徳市長が2019年11月、競輪事業の民間委託を巡り、選定会議による応募業者の判定点数が合格点を下回っていたのに、市幹部らに「(点数を)足せれんの(足せないのか)」などと点数改ざんの指示ともとれる発言を繰り返していたことが15日、関係者への取材で分かった。浜田市長も発言を認めた。

この民間委託公募の具体的なスキームを筆者は詳細に知らないが、報道によれば、市長が一者応募となった業者が「競輪事業の開催業務」「老朽化した施設(競輪場)整備業務」の各々について求められる合格最低点のうち、後者について点数が足りなかったので失格との評価が外部委員を含む選定会議でなされ、それに対して市長がこの点数の不足について懸念を示した、とのことである。これが「改ざん要求」の疑惑と表現された。

この問題は市の最高幹部同士のパワハラ問題が絡んでいるが、それを切り離して純粋な入札不正の問題と考えよう。法的には、刑法典における公契約関係競売入札妨害罪、あるいは官製談合防止法違反罪の問題である(公募型の公共契約がこれら法律にいう「公の入札」の射程に入るかどうかは論点であるが、ここでは該当するという前提で話を進めることにする)。

市長の懸念を踏まえて(市長に忖度して)選定会議の委員が再考し、合格点に達するように点数を付け直したらどうなるだろうか。それが集計ミスの修正のような実態に即した変更であれば、不正(妨害)ではない。むしろそれが判っていたのに放置する方が問題である。一方実態としては合格点数に達していないのに、「下駄を履かせる」ようなことをした場合は、それは不正(妨害)としかいいようがない。公共契約に係る入札・公募においては、基準を満たさない業者と契約を結ぶ行為に他ならない。それは公金支出のためのハードルを厳格に定める入札・公募のルールの趣旨に反するものであり、入札の公正は害される。

こんなことを許してしまえば、意中の業者を不当に優遇することが何でも可能になってしまう。毎日新聞の上記記事によれば、市長は合格者が出なければ競輪事業からの撤退を議会から要求されることを危惧したとのことであるが、評価の公正性を担保するために外部委員を含めた選定会議を設けたことも含め、公募の手続、ルールを決定した最終責任者が市長にあることを考えれば、到底そのような発言は許されないはずである。合格点に達しない業者に委託をすることになれば、それこそ市民への裏切りではないか。

仮にこの入札・公募において業者選定が最優先課題であり、そのために質の面で多少の妥協をするというのであればそのようなルールを作るべきであり、あるいは第一選定候補として当該業者を選出しておいて、その後の交渉によって上記の点数不足を補う何らかのコミットメントをさせるように手続を定めるべきだった。そうしないのに、後から「困る」からといって自ら定めたルールに反する行為を促す、というのであればそれは不正と捉えられても仕方があるまい。「困る」云々の話は情状の一要素に過ぎない。

その他の情報を筆者は知らないので、市長が「改ざんを指示したという認識はない。市民のため、どうしても民間委託をしたいという思いが高じての発言だった」(上記毎日新聞の記事より)との発言がどの程度信用できるかは断定できないが、入札の公正という観点からは大いに問題のある発言であることは少なくともいえる。「改ざんは指示していないが、修正は指示した」というのだろうか。手続的公正を満たさない評価の修正は、入札・公募に対する立派な妨害である。市長の発言(そしてその発言を受けた関係者の行動)が手続上、正当化できるものかどうか、それが論点だ。

このような事案に出会うと、筆者は次のように思わざるを得ない。公共契約をめぐるこの種の不正は相当程度、特に地方において存在するのではないか、と。入札・公募の手続やルールについて外部には不明な部分が多いケース、内部的にも曖昧にされているケース、外部委員が選定会議にいないケース、首長自らが選定委員になっているケースの場合は特に怪しい。