NTTグループによる共同調達と「公正な競争」

KDDI、ソフトバンクといった約20(趣旨に賛同する事業者を含めれば約30)の電気通信事業者が共同で「NTTグループによる共同調達に係る意見申出書」(以下、「意見申出書」)を総務大臣に提出した、と報じられた(ITMedia2020年1月27日記事「KDDI、ソフトバンクなど21社、総務省に「意見書」を提出 NTTグループの「共同調達」緩和を巡り」等)。これは昨年12月に総務省・情報通信審議会の「電気通信事業分野における競争ルール等の包括的検証」が、一定の条件下でNTTグループ企業の「共同調達」を容認する旨の「最終答申」(平成 30 年8月 23 日付け諮問第 25 号 )を出したことを受けてのものである。

東西のNTTが「ルーターやサーバーなどの通信機器をドコモやNTTコミュニケーションズ、NTTデータと共同調達できるようになれば、発注量が増え、発注先に対する価格交渉力が高ま」り、「グループで令和5年度に平成29年度比で8千億円のコスト削減を計画するが、さらに効果を上乗せできる公算が大きい」(産経新聞2019年10月18日「巨大NTT復活へ 総務省が共同調達を容認方針」)とされる。「NTT持ち株会社とNTT東西を合わせた調達額のグループ全体に占める割合も、かつての8割程度から2割程度に下がっており、共同調達しても以前のような巨大な影響力はな」(同)いことが、共同調達を容認する背景にあるという。

通信のメガ企業であるNTTグループ各社は民営化後の事業分割によって誕生したが、グループ全体での機器等の共同調達を認めるとその購買力が圧倒的なものとなり、他社は太刀打ちでできない、という理由でこれまで共同調達が認められてこなかった。

NTTは、日本電信電話株式会社法の一部を改正する法律附則第3条に基づき旧郵政大臣(現総務大臣)が定める基本方針に従い、実施計画を作成し、認可を受けなければならないとされ、当該承継計画に従い、各事業会社へ事業等を承継している。その際の公正競争条件として、NTT及びNTT東西は、NTTコミュニケーションズと共同して資材調達を行わないことを定めている(なお、その後の当該基本方針について旧郵政省が公表した考え方において、これら地域会社とNTT データ、NTT ドコモとの共同調達等に関しても同様の考え方が当てはまるとされている)(最終答申52頁注15参照)。

しかし今では多くの有力な通信事業者が育ち、それなりの競争環境が整ってきたことから(一定の条件下における)共同調達の緩和に踏み切るというのである。つまり、それは「公正競争条件の整備の観点」(同52頁)から許される、ということだ。

製品の差別化があまり進んでいない場合、ライバル企業の低コスト調達は脅威となる。価格の勝負となればコストがものをいうからだ。NTTグループが共同調達によってコスト低下を実現すれば、競合他社にとって面白い訳がない。

当然ながら、政策としてものを語るとき、「自分(たち)が困るから止めてくれ」という主張が通る訳がない。それはただの圧力団体のやることだし、あるいはただの陳情だ。上記20社の言い分の政策上の根拠は、最終答申でも強調された「公正競争」にある。

「最終答申」は、NTTグループの共同調達容認の正当化根拠を以下の通り記している(52頁)。

・・・NTT 再編時等と比較して禁止行為規制等の公正競争を確保するための一定の規律が整備されていることを踏まえれば、NTT グループの強い購買力を背景とした公正競争の阻害を防止するという NTT グループの共同調達に係るルールの趣旨は引き続き維持しつつも、公正競争を阻害しない範囲において例外的に共同調達を認めることは、調達コストの低減等の効果を通じて、利用者への利益の還元が期待されるとともに、グローバル展開や先端的な研究開発に対する投資の促進に資すると考えられる。また、上記のスキームを通じ、希望に応じて他の事業者も含めた共同調達が行われることにより市場の活性化が期待される。

意見申出書は、最終答申では「公正競争を阻害しない措置」について「具体的なデータや根拠が示されておらず、議論が十分でな」く、「公正な競争環境が後退し、来る5G時代において利用者料金の高止まりやイノベーションの停滞が起こる」との懸念を示しつつ、「公正競争の確保のために必要な議論の実施」「『公正競争を阻害しない範囲』での共同調達実施に係る審査・認可基準などの運用ガイドラインの策定」を総務大臣に求めている。

最終答申では「調達コストの低減等の効果を通じて、利用者への利益の還元が期待されるとともに、グローバル展開や先端的な研究開発に対する投資の促進に資すると考えられる」という。KDDIやソフトバンク等によればNTTグループの共同調達を容認すれば「公正な競争環境が後退し、来る5G時代において利用者料金の高止まりやイノベーションの停滞が起こる」という。

一体どっちなのだろうか。

ユーザー目線で眺めると、上流段階でコストが安くなれば、その分、下流段階での価格低下を期待するだろう。そうでなければ「浮いた分」での研究開発投資を期待するのが自然である。それは当然ながら、一定の公正な競争環境が整っているという前提で、である。おそらく批判的なスタンスの企業は、NTTグループが上流段階で(コスト上の)競争優位を確立させてしまうと、整いかけた、維持してきた「一定の公正な競争環境」が破壊されてしまう、と考えているのだろう。そうすれば、NTTグループ以外の通信会社の競争力が低下してしまい、「一強」を招く。それは結果、高コスト体質による(あるいは独占的地位による)ユーザー負担の増大、イノベーションの停滞による我が国の通信産業の成長を結果として減速させることとなり、「来る5G時代」における我が国の「出遅れ」を招くと、いいたいのだろう。

NTTの共同調達は「一強」を促進するのか、しないのか。

支配的事業者側の理屈は大抵、イノベーションの進展が速い業界では支配的事業者といえども常日頃から研究開発への投資を怠たることはできない、という。「一強」は常に一時的なものだ、という。

一方、意見申出書では「NTT グループ内で設備・仕様の共通化が図られることにより、NTT グループ内では、早く、安価に設備利用が可能となる一方で、競争事業者では、仕様の違いによる新たな開発が伴い、期間や追加費用が必要になるなど、不公平な接続条件がもたらされることにな」ると指摘している。これは「一強」を構造的に安定化させる要因だ、ということなのだろう。

確かにNTTの構造上の優位性という観点を併せ考慮しなければならない。

だからこそ、次の最終答申の記述が重要になってくる(52〜53頁)。

・・・公正競争を確保する観点からは、NTT グループにおいて、公正競争を阻害しない範囲での共同調達の実施に関する方針の策定、共同調達の状況の公表等の自主的な取組を行うとともに、共同調達を求めるに当たり、総務省において公正競争への影響等を検証することとし、NTTに対して共同調達の運用状況等に関する定期的な報告を求める等の担保措置が必要である。

最終答申の公表からやや時間が経った今、KDDIやソフトバンク等が意見申出書を出したのは、総務省の動きが鈍く、NTT任せになっているのではないか等の疑念が高まり、相当のストレスを感じたからであろう。はっきりとした方針が見えないまま、なし崩し的にNTTグループの共同調達が認められるのではないか、そういう意識が強くなったのだろうか。

最終答申は「公正競争」を142回、「公正な競争」を38回使用している。もちろん、検証結果のすべてが批判されている訳ではないものの、その内容について鍵概念である「公正(な)競争」に疑念が抱かれてしまったのは、イノベーションの展開が速い分野に係る競争政策の難しさをよく物語っているのだといえよう。ただ競争政策という言葉は6回だけしか使用されていない。競争政策の中心的立法である「独占禁止法」という言葉は出てこない(プライバシー保護との係りで「競争法」という言葉が一度登場する)。

最終答申では、共同調達の容認の背景として、「NTT 再編時等と比較して禁止行為規制等の公正競争を確保するための一定の規律が整備されていること」を挙げている。規制云々については専ら電気通信事業法(及びNTT法)がその対象として検討されている。

複数事業者による共同調達は、それが競争制限的な性格を有すれば、独占禁止法上の不当な取引制限規制違反の疑いが生じる。場合によっては他の違反類型の問題にもなり得るだろう。独占禁止法の問題にならないとしても競争政策上の懸念は存在する。得られるメリットと競争制限のリスクの比較考量に依ることになろう。公正取引委員会は何もしないのだろうか。通信分野を所管するのは総務省だが、独占禁止法と競争政策全般については公正取引委員会である。規制産業の「縄張り争い」はかつてから問題になっているが、このNTTグループの共同調達の問題について、公正取引委員会はどのように反応するのだろうか。なお、最終答申公表の3ヶ月前には、総務省と公正取引委員会とが共同で「電気通信事業分野における競争の促進に関する指針」の最新版を公表している。

付言すると、最終答申にある、共同調達の「スキームを通じ、希望に応じて他の事業者も含めた共同調達が行われることにより市場の活性化が期待される」という記述は、独占禁止法の観点からすれば、やや勇み足な記述ではないだろうか。共同調達については競争相手に与える影響のみならず、取引相手に与える影響もまた考慮しなければならないのだから。

ワークマンが撤退へ:楽天「送料無料」問題(Ⅱ)

1月25日のTBSニュース(「ワークマンが楽天撤退、「送料無料」など受け」)より。

作業服の販売大手の「ワークマン」が、ネット通販サイトの「楽天市場」から撤退することが分かりました。楽天が出店者に事実上、送料の負担を強いる「送料無料」を打ち出したこともあり、自社サイトの利用を促します。

これで一ついえることは、楽天はワークマンに対して「優越的地位」に立っていなかった、ということである。独占禁止法の優越的地位濫用規制が要件として求めている「優越的地位」は、劣位に立たされる取引の相手方が、「他に代替的な流通経路を(大きなコストをかけずに)見つけることができるか」ということが判断要素になっているが、ワークマンは自社サイトでそれが可能だと判断したということなのだろう。これは競い合いが機能しているという重要な証拠になる。

問題は、他の「動けない」店舗である。多くの店舗はワークマンと違い、自社サイトで十分に戦えるだけの規模もリソースもない。だから楽天に店舗を構えたまま動けないのだ。楽天からすれば「こちらのネットワークを利用しているのだから、こちら側主導で何が悪い」という思いがあるのだろう。優越的地位濫用規制に納得のいかない大手事業者の本音は、いつもそうだ。「苦労を重ねて構築したネットワークやブランドを利用しておいて、いざこちら側が何かを要求すると「暴挙だ」というのは違うのではないか」と。

コンビニの深夜営業問題も似たような性格の問題といえよう。

さて、楽天の「送料無料」問題について前回の記事(「送料無料」をめぐる攻防:楽天vs楽天ユニオン」)に補足しておこう。報道では、「店舗側に送料負担を強いるのはおかしい」という声が強調されていたが、店舗側負担の問題は、送料込みの価格を出すことで、店舗の売上げが表面上大きくなり、その分、楽天側に支払う手数料が大きくなるということなのではないか。このあたりの事実関係はどうなのだろうか。

コンビニのお弁当値引き禁止騒動も、破棄したお弁当は「売上げ」とみなすという条項があったので、フランチャイジー側が不利になるという問題があったのではなかったか。コミッション・ビジネスを見るポイントは「手数料支払いに係る契約内容の洞察」にある。

実質的に業者側が何を負担することになるのか。今後の詰めた報道が期待される。

「送料無料」をめぐる攻防:楽天vs楽天ユニオン

2020年1月22日の産経新聞の記事(「楽天送料で公取委に調査要請」)より。

通販サイト「楽天市場」を運営する楽天が3980円以上の購入で送料を出店者負担で無料にすることに対し、出店者が加入する任意団体「楽天ユニオン」は22日、独占禁止法違反に当たるとして公正取引委員会に署名を提出し、調査と排除措置を求めた。楽天側は「売り上げが伸びて店舗のメリットにつながる」と主張し意見が対立、公取委の判断が注目される。

ユニオン側の言い分では「出店者側の十分な同意を得ないまま送料無料の制度を導入するのは、独禁法で禁じる『優越的地位の乱用』に当たる」とのことだ(独占禁止法では「濫用」という漢字が用いられている)。

優越的地位濫用規制は、簡単にいえば、取引関係上優越的な立場にある業者が(劣位にある)その取引の相手方に対して、後者にとって不都合な契約変更を押し付けたり合理的根拠のない金銭の提供を求めたりするなど、相手にとって不利益になるようにその力を濫用する行為を禁じるものである。

楽天側が優越的地位に立っている(相手方が容易に他の取引先を見出せない状況ある)という前提で考えて、この送料無料の義務付け制度の導入が、果たして「濫用」といわれるようなものといい得るのだろうか。

ここで注意すべき点は二つある。

第一は、送料無料の義務付けの狙いが、楽天だけが唯得をするものではなく、楽天のユーザーである一般消費者にとって有益なものであると、楽天側が考えているということである。一般消費者に対する便宜を図ることを通じて、自社の競争優位を確立する(あるいは多数のプライム会員によって支えられているAmazon等他のプラットフォーマーに対抗する)という「健全な競争活動」として、楽天側は考えているということである。確かに、一律送料無料となればユーザーにとっては「比較が容易」になり、それは消費者フレンドリーなものとなる。

私は楽天ユーザーでもあるし、Amazonプライム会員でもある。業者が消費者フレンドリーになることは、一消費者として、もちろんウェルカムである。

いわゆるデジタル・プラットフォーマーである楽天は、売り手と買い手を結ぶマッチング・ビジネス(あるいはその場の提供)を主たる業務内容としており、常に「二面の市場」と向き合っている。両方の市場においても取引相手との関係で優越的な立場にあるのであれば、それはまさに支配的だといえる。楽天のケースについては、一方の市場では競争的な状況に直面していて、他方の市場では取引相手に対して優越的な地位を確立している場合、だといえようか(楽天側はそもそも優越的地位の存在それ自体を争うかもしれないが)。

楽天はこの点について強気に見えるのは、一般消費者獲得をめぐってAmazonなどと熾烈な競争をしており、「楽天には消費者が味方に付くはずだ」という「正当化」ができると考えているからだろう。

第二は、第一の点に関連するが、送料無料の義務付けが「売り手に負担を増やす」というが、果たしてそうなのか、という点である。買い手側から見れば、ものを買うとき、自分がトータルでいくら払うかが重要である。その比較において「どこが一番得なのか」を考えているはずだ。送料無料の義務付けとなれば、それまで送料を含まなかった商品の値段が「実質、送料込み」の値段となる訳だから、表面上、高くなるのは自然な帰結である。

「送料無料にするという前提での値段を示せ」というのでも、「(無料の場合も含めて)送料込みの値段を示せ」というのでも、結果、同じことだろう。そうではダメなのか?

売り手側からすれば「高く見られるのは嫌だ」という抵抗感があるのだろう。どっちにしても嫌がるかもしれない。

プラットフォーマーからすれば「送料無料」というイメージが欲しいのかもしれない。そうであれば後者ではダメなのだろう。「売り上げが伸びて店舗のメリットにつながる」との楽天の主張はこのイメージを意識してのものなのだろうか。

問題の本質は、実は、値段が安くなる、値段が高くなるということではなく、「見せ方が変わる」ということについての鬩ぎ合いだ、ということなのではないか。そうだとすると、どっちもどっちという気もする。

もちろん、実質的に値段が上がる、あるいは下がるというのではあれば話は別だ。このケースの帰結を詰めて吟味する必要がある。

何れにせよ、今後の公正取引委員会の反応が注目される。

快記録を連発する厚底シューズ:公正な競争を実現するルールは何か?

厚底シューズを履いたマラソン選手が快記録を連発している。ついこのあいだの箱根駅伝でも話題になった。とりわけ、それまで圧倒的だったラドグリフの女子マラソン世界記録がコスゲイによって約15年ぶりに塗り替えられたのは衝撃だった。

その厚底シューズを認めないという動きが世界陸連(World Athletics)であるそうだ。The Times紙(「Nike’s record-breaking running shoe to be banned」(1月15日))などが報じている。似たような事例として水泳の水着問題があった。スピード社製の高速水着「レーザー・レーサー」が新記録を連発し問題となり、その後禁止された(これらの問題は、田村崇仁氏のコラム「箱根駅伝で「厚底シューズ」旋風、新記録連発で規制の動きも?」の解説参照)。

スポーツ科学が導き出した技術を靴や水着に実装した結果、記録が向上した。その何が問題なのだろうか。それはスポーツにおける「公正な競争とは何か」という問題と言い換えることができる。

例えばF1などの高速自動車レースでは、選手の力量だけでなく、エンジンや車体の性能やメカニックのスキル、スタッフのチームワークなど、総合的能力によって勝敗が決まる。「あの選手はエンジンのおかげで上位に食い込んでいる」などという指摘はあるかもしれないが、だからといってレース自体の有効性を問う声は出てこないだろう。表彰が個人単位でなされるのに加え、チームとしての順位も付けられ、それがファンの強い関心事になっており、このスポーツの魅力を高めている。誰々のファンというよりもどこどこ(例えばフェラーリ)のファンという人も多かろう。

もちろん、F1にはF1のレギュレーション(技術規則)が存在する。それも詳細に、厳格に存在する。その範囲でギリギリの勝負をする。イノベーションが起これば、それがまた将来のレギュレーションに反映される。その繰り返しである。

「マラソンはシューズ製造会社の技術の勝負であって選手の力量は無関係である」という前提を置くことも理念的には可能ではある。ある同一の選手がシューズ以外は全く同じ条件(これは実際上不可能である)で走ったときの時間で競い合い、タイムの短い順で表彰する。そういう競争も競争である。しかし陸上競技は「選手の競技」である。そこにツールの技術が絡んでくる。F1のように「選手とチーム」の「組み合わせ」で勝負しているのであれば、厚底シューズは大した問題にはならないのかもしれない。

問題は、レースをする側(見る側も含まれよう)に、「何の勝負をしているのか」ということについて「どのようなコンセンサス、共有化されたルールがあるか」ということに帰着する。競争の公正さにおいて重要なのは、合意された統一のルールの下にあるかどうか、である。スポーツにおける競争(勝負)とは共通のルールがあって初めて成り立つものであり、その解釈も共通のものでなければならない。そうしなければ比較可能にはならないし、勝敗を付ける根拠を失ってしまう。

悩むのは革新が起きたときだ。ルール上は禁止されていないが、誰も気づかなかった技法を始めた、あるいはある誰も使ったことのないツールを使った選手が新しい記録を出したとき、どう対処するか。

一つがその創意工夫を受容することである。それが有効な手法なら他の選手は真似をするだろう。その後、競技のスタイルがガラッと変わるかもしれない。走高跳や走幅跳における「跳び方」の技法はそのカテゴリーに入るだろう。そこで共有されている競い合い方のルールは、自力で走り、道具を使わずに高く、遠く跳ぶことにあるのであって、跳ぶ技法の変化はそのルールに形式的にも実質的にも反しないからだ。

もう一つが許されざる「想定外」としてその後ルールで禁止することである。禁止対象には指定されていなかったし、知られていなかった薬物であるが、禁止されているものと同様の効果と同様の危険を生じさせるものを使用した場合、がそれに当たるだろう。あるいはその結果をキャンセルすることである。この場合、そもそも「ルールに違反した」という扱いをすることになるが、それは「暗黙のうちに合意があったものに違反した」と理解をすることを意味する。

厚底シューズの問題は結局、何なのだろうか。陸上競技において暗黙のコンセンサスがあるとすると、それは一体どのようなものなのだろうか。ここで重要なことは、陸上競技の他のスポーツとの違いの一つは、レース自体の勝敗(競い合い)のみならず、過去の記録との比較という、もう一つの競い合いを展開しているということだ。

過去の記録を更新したとしても、技術的革新の前後で比較したところで果たしてどれだけ意味を有するのだろうか。野球の通算(あるいは年間)ホームラン記録も似たような 問題を抱えている。

だから急激な環境の変化は歓迎されない。特にアスリートの使う「ツール」の変化はそうである。

マラソン・シューズの技術は日々進歩している。アベベが裸足で走って、その後靴を履いた頃と比べれば、その性能は飛躍的に向上している。仮に2020年の技術が1960年代に突然導入されたらその当時の競技関係者はどう思うだろうか。メーカーの提供する技術が突出して目立つと、心理的に抵抗感を抱く。選手の弛まぬ努力で10秒、20秒、時間をかけてギリギリ詰めてきたのに、シューズの性能で突然1分、2分短縮されてしまうとは・・・そういう感情なのだろう。つまり、マラソンにおいては選手が主でシューズは従の役割が求められている、そういう「コンセンサス」がどこかにあって、メーカーの役割が急に目立つと、状況がそういうコンセンサスの射程外に置かれてしまう、そこに心理的な抵抗感(期待からの離脱)を覚えるのではないだろうか。

「新型シューズを皆、履けばよいではないか」という意見もある。無体財産権が絡むと独占という別の問題が出てきてしまうが、そうでなければ、そして安全性の問題がないのであれば、何が悪いのか、ということを説明するのは難しい。本人が走る以外の何かで勝負している、という批判をするならば、そもそも「靴を履くな」「同じ靴を履け」という極論に行き着いてしまう。

仮にメーカーが1年かけて実現した技術進歩が、練習方法の革新や肉体改造、走法や呼吸法の改善による1年分の記録の向上に匹敵するものだとするならば、それは受容されるべきものなのか。その技術進歩が10年分の記録向上を実現したらどうか。問題の本質は、技術開発のスピードが早過ぎた、あるいは唐突過ぎたが故に、記録更新の「度合い」がアスリートの努力、工夫を相対的にキャンセルしてしまうほど大きなもの感じられてしまう、その「無力感」にあるといえるのではないだろか。

ルールの問題としてこれをどう論じるか。陸上競技のあり方を考えるいいきっかけにはなるだろう。

「話し上手」ということと「雄弁である」ということ

大学教員に話し上手な人はあまりいない。もちろん、何割かは喋るのが仕事なので、経験が長い分、多くの学者はそういう仕事でない人と比べれば喋りはそれほど下手ではない。しかし、大学受験予備校の人気講師などと比べればその足元にも及ばない。予備校講師は「学生に如何に興味を惹かせ、効率よく教えていくか」が競争の要素だから、生き残るためには「話し上手」であることが最大の武器となる。FD(ファカリティー・デベロップメント)の取り組みは確かに最近盛んで、教員評価がうるさくなりつつあるが、予備校講師と比べれば、まだまだ厳しい競争に晒されているとは言い難い。

通常、大学生にとって大学教員との接点は「授業」「ゼミ」であって、「研究」ではない。研究の世界でよく知られた教員だからといって教え方が上手いとは限らない。ただ、研究の第一線で活躍している研究者の授業は大抵、情熱的ではあるが。

法科大学院では実務家教員として現役弁護士が講義を担当しているが、(私の知る限り)皆、話し上手である。一番大きな理由は「普段、お客さん(クライアント)を相手にしているから」であろう。お客さんに「わかりやすく丁寧に説明」しなければ仕事を失ってしまう。そして常に対峙する、あるいは説得する専門家(紛争の相手方弁護士、裁判官)に向き合っているからであろう。一定の知識を有する者に論理と証拠を用いて「上手く説得」しなければならない。

これは政治家の「雄弁さ」とは意味が違う。「雄弁さ」とは「人に感動を与えるような、巧みで、力強い」という意味での「有効な話し方」である。もちろん、それは「話し上手」ということではあるのであるが、その狙いが政治的なところにあることに注意しなければならない。つまり民主主義のプロセスにおいて自らの主張(や思想)を実現するための「説得術」ということである。説得された側は「投票」という行動で「いいね」を表明する。専門的知識を有している人々だけを説得しても、(議席獲得のための)ボリュームのある支持は獲得できない。相手から政治的な支持を受けるために話しているのだから、それはしばしば修辞にはしり、「扇動的に」なったり、「偽善的に」なったり、「盛って」いたりする。

リーダーには「雄弁さ」は不可欠の要素なのかもしれない。しかし、同時に警戒もしなければならない。筆者は、政治家や評論家を見て「ああ、この人は雄弁だなあ」と思ったら、「話し半分」で聞くようにしている。「半分」というのは「嘘が半分」という意味ではない。他の人が同じ内容のことを「雄弁でなく」話したら半分の説得力しか生み出さないということだ。

ある意見を形成したり、政治的な判断をしたりするとき、重要なのは「自分の頭をクールにして考えたときどうなのか」である。民主主義に求められるリテラシーとはそういうものではないだろうか。

「すしざんまい」の意地と戦略

5日の毎日新聞の記事(「大間産クロマグロに1億9320万円 「すしざんまい」会社が落札 豊洲初競り」)より。

豊洲市場(東京都江東区)で5日早朝、令和初となる新春恒例の「初競り」があった。毎年高値がついて話題となるクロマグロは、1本276キロの青森県大間産が最高値の1億9320万円(1キロあたり70万円)で競り落とされ、昨年に次ぐ史上2番目の高値となった。

記事によれば「大間産が最高値となるのは9年連続」で「最高値のマグロを落札したのは2年連続ですしチェーン「すしざんまい」を展開する「喜代村」(中央区)」だという。

一本「一億円超え」とはなんとも「豪快」だが、「初競り」は全国ニュースになるのだから、「豪快」であればあるほどバリューがある。「すしざんまい」は各メディアにとっては絶好のニュース源なのである。「今年もやってくれた」、そんなニュースが欲しいのだ。

「すしざんまい」も譲れない。「今年は違うのか」という(残念な)ニュースは、その「勢いを削ぐ」ことになり、これはどうしても避けたい。ここの社長さんは「マグロ大王」の異名を持つという。自分でも、自社のウェブサイトでそう公言している(「マグロ大王の部屋」)。

これはもう「風物詩」の領域だ。この光景を見ないと年が明けた気がしない。釣り上げた漁師の「一攫千金」のストーリーもまた、毎年話題になる。ここまでくると、ここで「競り落とす」ことは、この時期に「景気の良い話」を提供する、この企業ならではの「CSR(企業の社会的責任)」のようなものともいえる。

このような「一回の取引」による(ブランドとしての)全体のバリューの向上は、非常に効率の良いレバレッジ効果が働く有効な戦略だ。加えて「三方良し」を可能にする、効果的な社会貢献ともいえる。

重要なことは、この規模の企業でなければそれができないということだ。小さな企業がそんなことをやったら身が持たないし、それが寿司の価格に反映されれば結果として消費者にとってマイナスになってしまう。「広告宣伝費」と「割り切れる」ぐらいの規模がなければ、耐えられない。話題性の高さが売り上げを伸張させ、その分、余裕ができて消費者に還元できる。そのぐらいの「大展開」が前提になる。

「すしざんまい」の高価落札の報道を見て、少し前に筆者がアゴラに掲載した、五輪で使用する空手用マットの「一円入札」を思い出した(「東京五輪空手用マット「1円落札」は妥当か?」)。独占禁止法上、著しい原価割れの販売は、他の業者を排除して自らの支配的地位を形成する効果が伴えば、「不当廉売」として問題になるが、五輪で使用する器材の場合、市場全体での他業者の排除効果がない以上、問題にならないだろう。(積極的な宣伝はできないにしても)「口コミ」も期待でき、広告効果は少なくない(受注実績は業界では共有される知識になる)ので、そもそも競争制限を問えるのか疑問でもある。

高く買う行為も「不当高価購入」として独占禁止法上規制されているが、同様に他の業者の排除や市場全体への悪影響が問われるものであって、個別の取引ではなく市場全体において他の業者の排除効果がない以上、一回の高価落札だけを問題視することはできない。

筆者は今では独占禁止法の研究者であるが、学部時代はマーケティングのゼミで流通やブランディングを研究する学生だった。CSR論はその当時からのテーマで、法学研究者となってからも主たる関心の一つであり続け、2010年には『ハイエク主義の「企業の社会的責任」論』(勁草書房)という著作を刊行してもいる。冒頭の報道が興味を惹かない訳がない。

「すしざんまい」は近いうちにマーケティングの教科書に載るだろう。CSRとブランディング、そして広報の各ケースとしてで、である。横浜中華街に出店した立地戦略も興味深い。