どうなる、コンビニの深夜営業・元旦営業?

深夜営業に続き、元旦営業の是非(可否)をめぐって揺れているセブンイレブンに新たな動きがあった。12月29日の産経新聞ウェブ記事(「時短セブンの契約解除 オーナー反発、訴訟検討 31日付、クレーム理由に」)より。

セブン-イレブン・ジャパンは29日、自主的に時短営業をしていた大阪府東大阪市の加盟店オーナーに対し、31日付でフランチャイズ契約を解除すると最終通告した。オーナーが明らかにした。セブン本部は店へのクレームが多いことを理由にしているが、オーナーは反発しており地位確認などを求める訴訟を検討。店の明け渡しを拒否するとともに独自に営業を続けるという。

司法判断に委ねるということなので、その推移を見守るしかないが、一点確認したいことは、「契約の自由」の観点からは、フランチャイザーであるセブン-イレブン・ジャパンの方に軍配が上がるべき事案だということである。フランチャイザー側からすれば、「深夜営業も元旦営業も勝手に止めることはできないって契約したでしょう。」ということだ。「いつでもあいている」という「ビジネスモデル」なのだからそういう契約なのであって、自分の都合であけたりあけなかったりするのなら、「セブンの看板を降ろして」ということになる(今回のケースはそれ以外の理由での解除通告であることに注意)。

しかし、フランチャイジーであるコンビニ側がここまで粘れるのは何故か。もちろん、「ブラック企業という風評」をフランチャイザー側が恐れて妥協するのではないか、という(マスコミによる影響の)期待がその背景にあるが、もう一つさらに独占禁止法という「守護神」が後ろに控えていることを忘れてはならない。

過去の記事でも引用したが、2019年4月24日付の朝日新聞記事は、次の通り報じている(「コンビニ24時間、見直し拒否で独禁法適用検討:公取委」)。

公取委の複数の幹部によると、バイトらの人件費の上昇で店が赤字になる場合などに店主が営業時間の見直しを求め、本部が一方的に拒んだ場合には、独禁法が禁じている「優越的地位の乱用」にあたり得る、との文書をまとめた。

フランチャイザーもフランチャイジーもどちらも事業者であり、プロ対プロの対等な取引だというのが契約上の建前であるが、明らかにその置かれた立場は違う。他のフランチャイザーに容易に乗り換えることもできなければ他の業種にも転換できない多くのコンビニは、強大なフランチャイザーとの関係で圧倒的な劣位に晒されている。優位に立つ事業者は、自らに不利益になることは一切受け入れず、自らに有利に働けば相手方に不利益になることでも容易に選択する。契約の段階では「win-win」の構造にあるように見える契約も、よく見ればどちらかに一方的に有利な内容になっているかもしれない。

このコンビニをめぐる独占禁止法の問題は、フリーランス人材をめぐる同法の問題と類似する点がある。フリーランス人材に係る最近の問題は、フリーランス=プロという構図が成り立たなくなっている点に特徴がある。ギグエコノミー、シェアリングエコノミーと呼ばれる経済のあり方が浸透する中、フリーランサーは人々の「働き方」として容易に選ばれ得る選択肢である時代となった。しかしこうした人々は労働法制の盾を用いることができない。そこで注目されたのが独占禁止法である(NHKの「視点・論点」に最近筆者が出演し、このテーマ(「フリーランス人材と独占禁止法」)で話したので参照いただきたい)。

我が国で半世紀近い歴史を持つコンビニは、「脱サラ」手法の古典のような選択肢として知られている。アマチュアが「一国一城の主」になる、そういう生き方である。「働き方の多様化」の先駆のような存在だ。確立したビジネスモデルをそのまま利用できるので、営業ノウハウに乏しいサラリーマンには飛びつき易く、それがリスク分散を重視するフランチャイザーの思惑と合致した。もちろん営業指導に係る「面倒は見る」が、最後は「自己責任」という世界である。あらゆるビジネスと同じように、「成功する者もあれば失敗する者もある」のは当然である。どちらが正しくて、どちらが正しくないと割り切れる問題では本来にはない。ただ一ついえることは独占禁止法(公正取引委員会)がどう出るかで、問題のあり方が大きく変化するということだ。

コンビニと独占禁止法の問題は、フリーランス人材と独占禁止法の問題を考える上で重要な試金石となるだろう。

数日前、こんな記事を見かけた(「コンビニ「柔軟経営を」=24時間営業は需要次第—経産省報告原案」)。

コンビニエンスストアの在り方を検討する経済産業省の有識者検討会(座長・伊藤元重学習院大教授)は23日、24時間営業など長時間労働の改善に向け、コンビニ大手に「店舗の置かれた環境に応じて柔軟な経営を認める」ことを促す報告書原案を公表した。来年1月に報告を正式にまとめる。報告書に法的な拘束力はないが、政府の要請を受け、大手各社は業務改革の徹底を求められそうだ。

セブン-イレブン・ジャパンは一連の問題を踏まえて、時短営業の試行範囲を拡大し検証を本格化させるとも聞く。今後、コンビニのビジネスモデルは本質的な変化を遂げるのか。人々の生活において切っても切れない存在であるコンビニの、今後の動向が注目される。

フリーランス人材と移籍金、契約解除金

少し前のFNNのニュース(「芸能契約書が変わる 業界団体が契約書を見直し」)。芸能人の移籍制限に対して独占禁止法の適用の見解を公正取引委員会がまとめたというニュース(「芸能人の移籍制限は「独禁法違反」―公取委」)にリンクして、業界側の動きを報じたものだ。

関係者によると、国内最大の芸能業界団体「日本音楽事業者協会」は、契約書のひな形を見直し、芸能人との契約更新の際、独立や移籍を事務所側の判断で先延ばしできるとしてきた規定を削除するほか、「移籍金制度」を導入する方針で、関係者向けの説明会を開いている。

サッカー選手の移籍金制度のようなものを考えているのであろうか。Wikipediaによれば、「移籍金」とは「プロスポーツ選手が所属する団体(クラブ)との契約期間中に所属団体(クラブ)を変更(移籍)するにあたり、新しい移籍先から元の所属団体に対して支払う金額のことである。」とのことである(「移籍金」の項)。すなわち選手の保有権を譲渡することの代償としての金銭のことである。移籍先のチームと選手との間で予め合意がなされている移籍金は、チームと選手の間で定めた金銭を新しいチームに支払えば自由に移籍が認められる(バイアウト条項)という趣旨のもので、「契約解除(違約)金」と呼ばれるようだ(元の所属先に支払う場合とそうでない場合とがあるようだ。詳しくは、サッカー・ダイジェストWeb版の記事、「『契約解除違約金』ってなに? ネイマール電撃移籍で再注目」を参照)。

欧州サッカー界における現行の移籍金制度、契約解除金の運用は、チームとの契約が完全に終了した選手の保有権をチームは主張できないとした「ボスマン判決」を受けて、現在のような形で定着している。

芸能事務所が「移籍金」「契約解除金」のようなものを定めたとしよう。デビューしたてのタレントの場合、いくらが妥当なのだろうか。将来化けるかもしれないし、それだけの投資に見合うタレントと思えば「●億円」と定めておいて、あとは(事務所間の同意を求めて)「応交渉」としておくのが事務所にとっては都合がよいか。あるいは単に「応交渉」とだけ出しておくか。何れにしても「移籍金」や「契約解除金」という概念を出してきただけで「自由な移動」が保証された訳ではない。

タレントはどこからか購入して誰かに売り渡す「再販売」の商品ではない。だから値段を予め付けるのは難しい。「契約解除金」を定めるとすると高額になるのは必定である。低額で設定されるとするならば、事務所自体「評価していない」ことを自ら吐露するようなものだから、ハッタリでも高めに設定するかもしれない。

さらにいえば、今日本で問題になっているのはフリーランス人材の契約をめぐる独占禁止法上の問題である。想定されるのは、クラブや事務所との関係で劣位に立たされる選手やタレントであり、選手やタレントとの関係で優位に立つクラブや事務所である。バイアウト条項を定めるにしても、金額設定に関するそもそもの交渉力が選手やタレントにはないのが一般だ。選手の報酬がもともと高い場合には、バイアウト条項は選手にとってそれほど大きなハードルにはならないが、報酬が低い場合には「解除金の高額設定」は「一方的に不利な移籍制限」でしかない。

交渉による金銭的補償の合意に基づく移籍という場合、元々の「引き抜き禁止」の慣行が定着している限り、移籍金制度といってもワークしない恐れがある。そもそもそのような慣行がなければ、契約期間満了前のタレントを引き抜くために移籍金のようなものが現れ、既に定着していたのではないだろうか。業界における「引き抜き禁止」慣行は事務所間の共同行為(カルテル)の問題である。事務所とタレントとの契約関係を問題にする優越的地位濫用規制や不当な拘束条件付取引規制とは別次元のものである。サッカーにおける選手市場との背景の違いをよく吟味すべきだろう。

「移籍金制度」は独占禁止法違反を回避するための有効な処方箋となるか。

 

一括発注の罠:医薬品談合事件

先月28日の産経新聞のニュース(「医薬卸、一括受注悪用か 談合疑い4社、シェア9割 公取委「生活影響も」)より。公正取引委員会は現在、独占禁止法違反の疑いで、医薬品卸4社を強制調査した。検察への刑事告発を視野に入れた調査とのことである。

全国57病院を運営する独立行政法人地域医療機能推進機構(東京)が発注する医薬品の入札をめぐる医薬品卸売大手4社による談合疑惑で、過去3回の入札で落札したのは、全てこの4社だったことが28日、分かった。再編が進んだ医薬品卸売業界で巨大化した“4強”が医療費抑制のための一括発注を逆に悪用し、数年前から利益確保を図っていた疑いが浮上している。

記事によれば、「同機構では、地方病院の経営効率化が課題とされ、複数病院で医薬品を発注する場合は「共同入札」として、同機構が2年に1回、一括発注する方式が採られた」が、その理由は「一括でやった方がコストカットできる」からだという。しかし、「全国規模の納入に対応できるのは実質的に4社に限られ」る。記事では「巨額に上る医薬品を一括受注できる上、同機構は公的機関のため民間と比べて卸値を買いたたかれる懸念もない」と指摘するが、これは競争入札になれば、予定価格は高めに設定されるということを意味するものといえる。こうした事情が受注調整を容易にしたとみられている。

筆者はいくつかの発注機関で入札監視委員会や契約監視委員会の委員(長)を務めており(務めてきた)、そこでこの一括発注、共同購入の入札状況を数多く見聞きしてきたし、そのメリット、デメリットについて何度も討議をしてきた。

従前バラバラに発注してきたものを一括で、あるいは共同で発注する。そうすれば単価あたりの費用が下がるはずだ。その直感は正しい。しかし、業者が取り扱える量に限界がある。それが数社に限定されるならば談合し易い環境となり、その誘引が強くなる。競争的であれば確かに「より安く」調達できるのかもしれないが、談合されれば「より高く」なってしまう。談合されてもより安くなるような「一括発注、共同購入の効率性」が存在しなければ事態はただの悪化となる。このケースは全国規模の納入に対応できる業者が絞り込まれてしまい、談合を誘発したという「裏目に出た」ものである。

共同発注、共同購入のタイプとして、複数の種類の物品を一括発注するというものもある。例えば、文房具などを種別ごとにバラバラに発注するのではなく、いくつかの種類のものを併せて購入しようとすれば、確かに運送費等の観点から直感的には安くなるような気がするが、必ずしもそうはいかないことがある。その結果、一者応札になることがあるからだ。とりわけ地方自治体の発注のように地元調達に拘れば競争業者の数が相当に絞られることになるので、その傾向はますます強まる。

「一括発注、共同購入」は独立行政法人の調達改善計画の定番だ。しかし、それによって競争状況がどうなるかといった考察も同時に必要になるものである。確かに入札談合は法令違反そのものであり、それを摘発するのは各発注機関の役割ではない。しかし、自らの調達改善への取り組みが違反を誘発するのであるならば、その責任の一端はやはり各発注機関にあるといわざるを得ない。

一方で、発注機関が「応札業者数」「応札可能業者数」といった表面的な競争性に拘り、却って効率的、合理的な調達を自ら妨げる結果となる場合もあり得る。競争入札において仕様や入札参加資格の設定を「最低限」にするべきだという主張は、ほぼ暴論である。正しくは「合理的な仕様や入札参加資格を設定すべき」か、あるいは「競争性低下のデメリットとの比較でその妥当性を考えるべき」、というべきである。

「競争性」は軽視してもいけないし、拘泥してもいけない。公共契約をめぐる競争論は、一般に思われているほど単純ではない。