随意契約と一者応札

随意契約と一者応札どちらがマシかというと、実は随意契約の方だという意見もあり得る。何故ならば、随意契約の場合は特別の理由が必要で、その理由の明示が求められているからだ。競争入札をして一者になった場合、競争入札をしたこと自体で言い訳になるので「最初から一者になることがわかっているケース」では、競争が機能しないのにも拘らず、説明責任を回避することができるので、より悪質だということになる。

今日の東京新聞の記事「「競争意識は強く」との回答とはかけ離れた実態…マイナンバー事業の閉鎖性」で、新聞社のインタビューに「公共契約において業者の選択の余地が小さい状態は効率的な支出の観点から望ましくなく、改善の努力は常に必要である」答えた。元々の回答は、「デジタル関連の調達で、すでに特定の業者が深く関わっているケースでの保守、 改修、修理といった業務については、他の業者を見出すのは確かに困難だ。しかし、公 共契約において業者の選択の余地が小さい状態は効率的な支出の観点から望ましくなく 、改善の努力は常に必要である。ただ、一者応札になることがわかっていながら形だけ の競 争入札を実施するのはより問題だ。何故ならば随意契約の場合は、より大きな説明 責任を発注機関が負い、納税者の目に晒され易いからだ。今後、同機構の改善計画が注 目される。」というものだった。紙幅の関係で短縮されたが、アリバイ的な競争入札はやめろ、という強いメッセージだったが、マイルドなそれが採用された形となった。もちろん、採用されたコメントも言いたいことなのでよいのだが、新聞のインタビューは難しい。