競争政策の行方

競争政策の行方

 独占禁止法は競争制限行為を禁止するものなので(とはいえ、優越的地位濫用規制のようなやや説明に窮するものもあるが)、独占禁止政策をその典型とする競争政策は「競争を可能な限り促進する政策」であるものとして論じられてきた。独占禁止法の目的規定にもあるように、(公正で自由な)競争は国民経済の一般消費者の利益や民主的で健全な発達に資するものである。これまでなされてきたさまざまな規制緩和、規制撤廃は、競争原理こそが効率性、生産性を向上させる原動力であるという一般論がその基礎にあった。

 一般論としては、それは正しい。ただ一方で闇雲に競争させればそれでよいかといえばそういう訳でもない。競争は制御するものであって放置するものではない。競争政策も同様であり、競争がよい成果を導けるように、その暴走を抑え、正しい方向へと導く政策が競争政策であって、その逆ではない。独占禁止法学者は正しい方向へと導かれた競争を競争と呼び、資本主義を批判する論者が批判する暴走する競争を競争と呼ぶものだから、議論が噛み合わない。かつては独占禁止法学者の中にも資本主義に批判的な論者が多かったので、話がややこしかった。「公正(フェア)な競争」などといわれるが、一定のルールの下で自由に競争することが公正なのだから、問題はそのルールが何かがポイントなのに、それが十分に議論されてこなかった。かつては競争を平等と読み換える研究者とそのシューレが大きな影響力を持っていた。そこでは独占禁止法は消費者保護立法や中小企業保護立法とほぼ同じようなものとして理解された。

 「失われた30年」などとよくいわれる。要するに日本の国際競争力がこの30年間停滞しているとか、生活水準が向上しないとか、賃金が上がらないとか、幸せになった実感がないとか、そういった話だ。幸福度などははっきりいって主観なので、「失われた」云々の議論とは違うように思えるし、「失われたっていいじゃないか」という結論になりそうでもある。

 国の競争力を問題にするならば、その国の競争政策が重要な鍵を握る。かつては競争させない(独占禁止法を骨抜きにする)ことで戦後復興と高度成長を果たしてきたという経験からか、四半世紀前までは政治も経済も競争政策に警戒的であった。今でも企業の大小を問わずカルテル体質、談合体質が抜け切れないのは、そうした時代の名残であろうか。平成期に競争政策が強化されるようになったのは米国からの圧力の影響力が大きく、この国が自発的に選択したものとは言い難いものであった。その後、目まぐるしく展開し、急速に発展した情報産業において日本企業は世界のリーダーにはなれなかった。

 その情報産業をリードする世界的企業は、米欧(特に欧州)で独占禁止法(競争法、反トラスト法)違反の事件をよく起こしている。それだけ支配的であるということなのだが、皮肉な話、国際的に独占禁止法の問題を起こすぐらいの支配体制をわずか10年、20年の間に創り上げたということがその革新性を物語っている(こうした企業の定番の反論は、支配と非難されるものは実に脆弱なものであって、イノベーションの速さを考えれば独占禁止法を持ち出すべきものではない、というものだ)。競争政策がブレーキをかけるほどの反競争性を生み出す競争優位をそのイノベーションによって実現したというのが、成長のリアルであって、市場の様相を一変させるだけのその革新性がここ四半世紀の日本(の企業)になかった、ということなのだろうか。

政府主導の競争政策は果たして有効な処方箋なのだろうか。むしろ企業の体質(組織の体質)こそに問題があるように思えてならない。相変わらず曖昧な責任と権限、前例踏襲の気質、無謬の体裁に拘るマインド、減点主義。その中でも年功序列の仕組みの中で形成されがちな「過去を批判できない」構造は大いに問題だと思う。革新的な人材をどうしても遠ざけてしまうし、環境の変化への適応にどうしても鈍感になる。もちろん、そういう保守的な企業があってもいい。重要なのは、環境の変化に十分に適応できない企業は市場から退出させられるということだ。その「新陳代謝」こそが、成長の源泉ではなかろうか。