独禁法昭和52年改正:課徴金導入

政府の第一次法案が審議された1975年の通常国会で参考人として呼ばれた竹内昭夫東大教授は以下のように発言した( 75 – 衆 – 商工委員会 – 25号。昭和50年06月18日)。


 次に、課徴金に関する規定について一言申しますと、以上のような考え方からいたしますと、私はこの課徴金という制度そのものが何とも中途半端なものであるというふうに考えております。私は、公取試案が出たときから、この制度は成績をつければ良ではあっても優の点はつけられないということを申してまいりました。それは石油パニックのときに便乗値上げに対しましてきわめて厳しい批判が加えられましたが、便乗値上げはけしからぬというのならば、やみカルテルをこれ幸いと国が課徴金を取ってもうけるというのは何事かという感じがするからでございます。もちろんこの制度のねらいは、国がもうけようというものではございません。そのことは私もよくわかっております。不当な利得の確保を許さないというのがこの制度のねらいであるということは私もよくわかっておりますし、その範囲内ではこれは行った方がいいという積極的な面を持つわけでございますけれども、しかし被害を受けた消費者や事業者としましては、少なくとも違法に取られたものはきちんと自分のところへ取り戻して初めて損得なしの状態になるのでありまして、国がもうけたからといっておもしろくもおかしくもない感じがいたします。その意味で、国が不当な利得を課徴金の形で取るというのならば、それを被害者に返すべきであろうと思います。このことは国が賠償請求をかわって行うということですけれども、こういうことはアメリカでは別に珍しいことではないのでありまして、それが筋として本筋ではないかというふうに考えるわけでありますが、それだけでなしに違法に取った分をすべて取るという発想がなくなっておりますために、できるだけ簡単な算式で課徴金の額を決めようという考え方が出てまいります。予算も人手も知識も権限もある、十分ではないかもしれませんけれどもそういうものを全部持っている公取委が課徴金を取るにも簡単な計算式が要るというならば、それらを何一つ持たない消費者に対して自己の損害額を立証して賠償を取れというのは、赤ん坊に象と素手でけんかしてみろと言うようなものではないかという感じがいたします。課徴金制度の導入に当たってその簡単な計算方法が問題になったということは、これまた被害者の賠償請求がいかに軽視されてきたかということを端的に示すものではあるまいかというふうに感ずるわけでございます。

その後、民事訴訟法の改正で、「損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる。」(248条)との条文が設けられた。独禁法のエンフォースメントにおいて「消費者(団体)」を意識した議論は平成に入ってからであり、そのずっと前にこのような指摘をしていた竹内教授、恐るべし。消費者よりのはずの経済法学者は何をやっていたのか。