民主主義の勝利?

警戒すべき表現の一つに「民主主義の勝利」というものを挙げておきたい。自分にとって都合のよい、支持する法案が通ったり、支援する政党、候補者が選挙に勝ったりすると、「民主主義の勝利」と宣言する政治家や知識人がいる。しかし、他の法案、候補を支持する人々は民主主義の敵対者なのだろうか。民主主義とはそもそも仲間と敵を分断するためにあるのではない。民主主義の手続きにおいて仲間と敵に分断して考えようとする人々は民主主義の友人ではなく、実は民主主義が最も警戒しなければならない侵略者なのではないだろうか。

「民主主義の勝利」という言葉を使用する人物には要注意だ。大抵、こういう人物は都合が悪くなると「数の横暴」という言葉を使いたがるものだ。

民主的な手続きを踏まずに過激化したデモ活動で政府、行政に要求を飲ませた際に、「民主主義の勝利」を謳う場合にはさらに警戒した方がよい。示威活動としてのデモは表現の自由の一貫として民主主義を支えるものではあるが、民主主義を破壊する危険を孕むものでもある。民主主義は人民を意味するdemoから始まるが、示威活動としてのデモはpublic performanceをはっきりと(de-)行うことを意味するようだ。無条件で民主主義と整合する訳ではない。

自分に都合のよいものを選んで民主的と呼ぶ連中は、民主主義の友人ではない。