*未完成資料(引用は厳禁でお願いします)
*更新日等は省略します
[1]総論:公共契約制度
日本年金機構は現在では非公務員型の特殊法人なので、会計法の直接適用がない。それに代えて日本年金機構会計規程のもとで会計法に準じた公共契約の規律を行なっている。その契約は官製談合防止法の射程にも入ることから、その調達活動は国や地方公共団体の公共調達と同類のものといえる。
民間企業でも同じだが、当該組織にとって取引の相手方における競争制限行為は、一般に不利益をもたらすこととなる。競争があれば価格がより安くなり、品質はより向上する。その積み重ねの上に、資本主義社会の繁栄がある、と理解されている。経済社会における重要なメカニズムが競争にあると考えられているから、そこに価値が見出され、これに反する行為を不法として扱うことが正当化される。米国反トラスト法は歴史的には自由市場を人為的に歪める独占に反対して成り立ち、発展したものであり、それを継受したのが日本の独占禁止法である。
入札(及びそれに類似する手続き)は民間でも存在し、独占禁止法は官民問わず適用される。最近のリニア談合事件は民間発注だが独占禁止法違反として摘発された。しかし、高家役関係競売入札妨害罪や官製談合防止法違反の射程にはならない。公共契約の場合、公務に係るものであるし公金の支出がなされるものであるから、その分特殊な要素が絡んでくるので、特別な法律が用意されているのである。その辺りの整理は、本当は必要なのだが、現時点では、独占禁止法と公共契約関連の犯罪が整理されないまま併存している。
日本年金機構の調達活動は公共調達なので、これら全ての法分野が射程になる。以下、これまで問題になったケースを紹介、整理し、簡単な解説を施すこととしよう。
[2]シール談合事件(東京高判平成5年12月14日高刑集46巻3号322頁)
【事件の概要】*高裁判決(要旨)を一部加工
トッパン・ムーア、大日本印刷、小林記録紙及び日立情報は、いずれも本件シールの印刷・販売等に関する事業を行う事業者であり、これら事業者の幹部従業員らは、社会保険庁発注にかかる本件シールの受注・販売等について、いずれも被告会社の業務を担当していたものであるが、同人らは、その所属する被告会社の業務に関し、平成4年4月下旬頃、小林記録紙東京支店会議室に集まるなどして、社会保険庁発注にかかる本件シールの入札について、今後落札業者をトッパン・ムーア、大日本印刷及び小林記録紙の3社のいずれかとし、その仕事は全て落札業者から日立情報に発注するとともに、その間の発・受注価格を調整することなどにより4社間の利益を均等にすることを合意し、もって、被告会社4社は、共同して、社会保険庁が発注する平成4年度以降の本件シールの受注・販売に関し、被告会社らの事業活動を相互に拘束することにより、公共の利益に反して、社会保険庁が発注する本件シールの受注・販売にかかる取引分野における競争を実質的に制限し、不当な取引制限をした。
【争点と判旨】*判決要旨そのまま転記(一部省略)
「日立情報の弁護人の主張は、(1)本件において、独禁法3条にいう「一定の取引分野」は、社会保険庁から本件シールを落札・受注する取引分野と解すべきであり、(2)本件シールの入札に関し、社会保険庁から指名業者に選定されていない日立情報は、右取引分野の「事業者」に該当しない・・・というものである。
・・・
1 右(1)についてみると、公正で自由な競争を促進するなどして、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進するために、一定の行為を規制し処罰の対象としている独禁法の趣旨、及び社会`経済的取引が複雑化し、その流通過程も多様化している現状を考えると、「一定の取引分野」を判断するに当たっては、弁護人主張のように「取引段階」等既定の概念によって固定的にこれを理解するのは適当でなく、取引の対象・地域・態様等に応じて、違反者のした共同行為が対象としている取引及びそれにより影響を受ける範囲を検討し、その競争が実質的に制限される範囲を画定して「一定の取引分野」を決定するのが相当である。
本件において、被告会社4社の従業者がした談合・合意の内容は、社会保険庁の発注にかかる本件シールが落札業者、仕事業者、原反業者等を経て製造され、社会保険庁に納入される間の一連の取引のうち、社会保険庁から仕事業者に至るまでの間の受注・販売に関する取引であって、これを本件における「一定の取引分野」として把握すべきものであり、現に本件談合・合意によってその取引分野の競争が実質的に制限されたのである。
2 右(2)についてみると、本件における「一の取引分野」を右1の範囲のものと理解すれば、日立情報は、仕事業者として「事業者」の立場にあることが明らかであるうえ、ビーエフに代わって他の指名業者3社との談合に参加し、落札業者、落札価格の決定等に関与しているのであるから、この点においても「事業者」に当たるものと解される。
弁護人は、東京高裁昭和28年3月9日判決(いわゆる新聞販路協定事件)を援用し、ここに「事業者」とは競争関係にある事業者であることが必要であるところ、日立情報は、指名業者ではないから、他の指名業者と競争関係にはなく、結局、ここにいう「事業者」に当たらないという。しかしながら、右判例は、独禁法改正以前の同法4条に関するものであり、現行法のもとで、はたして右判例のように「事業者」を競争関係にある事業者に限定して解釈すべきか疑問があり、少なくとも、ここにいう「事業者」を弁護人の主張するような意味における競争関係に限定して解釈するのは適当ではない。
独禁法2条1項は、「事業者」の定義として「商業、工業、金融業その他の事業を行う者をいう。」と規定するのみであるが、事業者の行う共同行為は「一定の取引分野における競争を実質的に制限する」内容のものであることが必要であるから、共同行為の主体となる者がそのような行為をなし得る立場にある者に限られることは理の当然であり、その限りでここにいう「事業者」は無限定ではないことになる。しかし、日立情報は、自社が指名業者に選定されなかったため、指名業者であるビーエフに代わって談合に参加し、指名業者3社もそれを認め共同して談合を繰り返していたもので、日立情報の同意なくしては本件入札の談合が成立しない関係にあったのであるから、日立情報もその限りでは他の指名業者3社と実質的には競争関係にあったのであり、立場の相違があったとしてもここにいう「事業者」というに差し支えがない。」
【解説】
シール談合事件はどの教科書にもある有名な判決である。実務上はラップカルテル事件に続く、90年代における積極的な(といっても数えるほどだが)公取委による刑事告発の対象となったケースとして知られ、紹介されることは少ないが、独禁法の刑事事件の中で珍しく法人のみが起訴されたケースとして興味深い。法人、個人、どの対象を告発するかは裁量の範囲ではあり、実際にリニア談合事件では早々と違反を認めた2社については個人に対する告発を見送っている。ただ、シール談合事件は個人については偽計入札妨害罪(刑法旧96条の3第1項)で起訴されていたので、独禁法上は告発されなかったという経緯があった。
解釈上の論点としては、「3条後段、2条6項の「事業者」の範囲」であり、具体的には、競争関係にある事業者に限定するのか、そうでないか、ということである。これはどこの教科書にも解説が掲載されているのでそれらに譲る(旧4条に係る新聞販路協定事件や公取委のガイドライン云々・・・)。
譲ってしまうと、何も書くことがないようにも思われるが、ここで注目したいのが、「量刑」に係る高裁の判断である。以下、長文だがそのまま引用する。
*量刑に関する高裁判決の判断(下線部、太字は筆者による)
「(量刑の理由)
一 本件は、被告会社4社の従業者らが、その業務に関し、社会保険庁の発注した支払通知書等貼付用シールの納入を巡り入札談合をするなどして、不当な取引制限をしたという独禁法違反の事案である。
独禁法は、我が国の事業活動について、「公正かつ自由な競争を促進し」「国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的」として、国内における自由経済秩序を維持・促進するために制定された経済活動に関する基本法である。国内外において右理念の遵守が強く叫ばれている現下の社会・経済情勢下において、同法は経済活動に携わる事業関係者に等しく守られなければならないものであるが、とりわけ我が国印刷業界最大手の大日本印刷を始め、ビジネスフォーム業界において主導的立場にあるその余の被告会社3社においては、右の理念を尊重し、自由競争経済秩序の維持・発展を率先して遂行しなければならない一層の責務を有していたというべきである。
しかるに、印刷業界においては従来から談合体質が顕著で、業者間における協調の名の下に自由競争を回避する談合が広く行われていたところ、今回社会保険庁において本件シールが導入された際、その入札参加業者に指名された被告会社3社と指名業者ビーエフに代わる日立情報の各従業者が、右のような社会的責務を放棄し、専ら被告各社の売上高の確保と利益追求のため、種々の巧妙な工作を巡らせて本件犯行を行うに至ったことは、まことに遺憾というほかなく、本件犯行はそれ自体において悪質かつ重大である。
二 さらに、その犯情を具体的にみると、判示のとおり、被告各社の従業者らは、社会保険庁から入札予定価格の参考とするため原反シールの印刷・加工費等について、参考見積書の提出を求められるや、きたるべき入札の際に高額で落札し、多額の利益を得るため、小林記録紙の星野の主導の下に市場価格を大幅に上回る見積書を提出して、社会保険庁における入札予定価格を過大に積算させるよう工作したうえ、入札に際しては、できるだけ入札予定価格に近い価格で落札して、最大限の利益を獲得すべく、最初は予想される入札予定価格を大幅に上回る価格で入札し、以後少しずつこれを下げたり、談合の発覚を防ぐため、入札予定価格に近くなるまでは落札予定業者以外の会社が最低価格を入札するなど、星野の指示の下に各回毎の入札価格や1回毎の下げ幅などを細かく打ち合わせていたものである。
そして、平成2年6月、公正取引委員会から独禁法違反の事実に対しては積極的に刑事罰を求めて告発する旨の公表がなされ、平成3年7月及び11月に、大日本印刷等が公正取引委員会の立入検査を受け、さらに、同月上旬頃には業務用ストレッチフィルムの価格協定事件で、公正取引委員会が刑事告発をした旨の新聞報道があり、また、平成4年4月21日、判示第三、二記載の高速道路磁気力ード通行券等の印刷物発注にかかる入札に関して、公正取引委員会から独禁法48条2項の勧告があり、翌日にはその旨の新聞報道もなされたことなどから、談合行為に対する違法性の再認識と、これを中止するための機会を十分に与えられていながら、何ら反省自戒することなく、単に利益分配のためにそれまで行っていた「中通し」についてだけ、これを発覚の手掛かりになるとしてやめたに止まり、依然として談合行為を継続して本件犯行に及んだものである。
このような談合により、本件シールの入札における落札業者は、入札担当者の手違いによる1回(平成4年5月1日施行のA、Cタイプ分)を除き、いずれも入札予定価格の99パーセント以上の高額で落札・受注することになり、これによって得た不当な利益を関係会社間で分配していたのであって、本件談合の態様はまことに巧妙かつ悪質といわざるを得ない。
以上のような談合入札の結果、本来の適正な入札予定価格に基づき、自由な競争入札が行われたと想定した場合と比較すると、被告会社4社は、平成4年度分だけで約4億2000万円(本件シール1枚当たりの適正価格については争いのあるところではあるが、関係証拠によれば、平成元年8月1日入札分に関し、狭山化工に対し現に1枚6円50銭で発注し、平成4年度分に関しても6円60銭で発注しており、また、指名業者3社の担当者は、談合をせず自由競争になったときは、7円前後での入札もあり得たし、それでも利益をあげることができたと述べているのであって、これらの点からみれば、本件シール1枚当たりの適正価格は7円程度が相当と認められるので、損害額は右価格に従って算定した。)、それまでにもこれを大幅に上回る多額の損害を社会保険庁ひいては国民に与えているのであって、このような観点からみても、本件犯行は強い社会的非難に値するものといえる。
さらに、被告会社のこれまでの同種違反歴をみると、トッパン・ムーア(商号変更以前のものを含む。以下、各社とも同じ。)は、独禁法違反歴が1回、同社が構成事業者となっている事業者団体としての違反歴が2回、大日本印刷は、独禁法違反歴が3回、同社が構成事業者となっている事業者団体としての違反歴が2回、小林記録紙は、独禁法違反歴が1回、同社が構成事業者となっている事業者団体としての違反歴が2回、日立情報は、同社が構成事業者となっている事業者団体としての違反歴が2回あることがそれぞれ認められる。
三 しかしながら、他方、本件シールに関する談合が行われるに至った背景には、本件入札を実施した社会保険庁の側にも問題がなかったとはいえない。すなわち、本件シールがこれを採用した平成元年当時においては特殊な製品で、社会保険庁の担当者において、十分な商品知識を有していなかったことは否めないとしても、本件シールの入札予定価格の積算に当たり、その根拠となる見積もりを入札指名業者やその関連の原反業者に求めれば、将来の落札価格を高くして多額の利益を上げようとする思惑から、過大な見積額が提出されることは容易に予測できるところであるのに、当時既にシールを導入していた民間企業の取引価格等の実情を全く調査することなく、本件指名業者等の提出した見積額に依拠し、これを基準として安易に入札予定価格を決定したことがまず指摘されなければならない。さらに、社会保険庁においては、指名業者の選定に当たり、従来の実績を重視して指名業者数を僅か4社に絞り、かつ、1回の入札による発注量を大量なものとしたことにも、問題かあったといわざるを得ない。このように、本件シールの入札に関しては、社会保険庁の側にも、本件談合を誘発・助長したとみられる点において、反省が求められるべきところである。
そして、本件談合の発覚後、被告各社においては、ことの重大性を改めて認識するともに、その真摯な反省の上に立ち、再発防止のため大規模な組織改革をはじめとして、各種委員会等の設置、倫理綱領の策定及び独禁法遵守マニュアルによる社員教育や啓蒙活動、売上高実績を重視した人事考課の方法の改善等、種々の企業努力を試みていること、及び本件談合が摘発されたことによる被告各社の社会的信頼の失墜及び社会保険庁その他の官公庁等からの指名停止処分等、被告各社とも相応の社会的制裁を受けていることなど、被告各社のために考慮できる諸事情も存在する。
四 したがって、以上のような諸般の事情を総合勘案し、被告各社に対して、それぞれ主文の量刑をした次第である。」
・・・しかし結論は、各社に罰金400万円。それは当時の罰金の上限が500万円だったからである。さすがにこれは法人犯罪としては低すぎるという批判があり、1億円、さらには5億円と引き上げられた。もちろん、課徴金との比較でまだ低すぎるという意見もある。一方では、刑事罰は刑事罰を科したというだけで意味があるので額はそれほど大きくはない、との見解もある。
ここで注目したいのは、当時から印刷業界では談合体質があったということ、これら印刷業者は(場面は違えど)違反を「繰り返し」ていたということ、である。では、なぜこの業界はそうなりやすいのか。そういったあたりの問題を解明すること、その対応策を考えることが実務上重要ではないか。
さらには旧社会保険庁側の問題である。大事なことなので、再度引用しよう。
「社会保険庁の側にも問題がなかったとはいえない。すなわち、本件シールがこれを採用した平成元年当時においては特殊な製品で、社会保険庁の担当者において、十分な商品知識を有していなかったことは否めないとしても、本件シールの入札予定価格の積算に当たり、その根拠となる見積もりを入札指名業者やその関連の原反業者に求めれば、将来の落札価格を高くして多額の利益を上げようとする思惑から、過大な見積額が提出されることは容易に予測できるところであるのに、当時既にシールを導入していた民間企業の取引価格等の実情を全く調査することなく、本件指名業者等の提出した見積額に依拠し、これを基準として安易に入札予定価格を決定したことがまず指摘されなければならない。さらに、社会保険庁においては、指名業者の選定に当たり、従来の実績を重視して指名業者数を僅か4社に絞り、かつ、1回の入札による発注量を大量なものとしたことにも、問題かあったといわざるを得ない。このように、本件シールの入札に関しては、社会保険庁の側にも、本件談合を誘発・助長したとみられる点において、反省が求められるべきところである。」
これに後に見る令和4年の公取委による「要請(の前提となる指摘)」を付け加えてみよう。
「(1) 日本年金機構は,平成28年1月末頃,特定データプリントサービスの入札において,いわゆる入札談合(以下「談合」という。)が行われている旨の情報(以下「本件談合情報」という。)について通報を受け,内部調査を行ったにもかかわらず,その結果を含む本件談合情報を公正取引委員会に通報しなかった。
(2) 日本年金機構は,特定データプリントサービスの入札について,入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができる方法により実施していた。」
30年近くの時間の経過があるにしても・・・これはどうなのだろうか。どこか独禁法に強い大手の、あるいは専門の法律事務所とコンサル契約をして、コンプラ体制のスキャンと刷新を目指すべきではないか、と思うのは私だけであろうか。
トッパン・ムーア(株)ほか3名に対する独占禁止法違反被告事件(シール談合事件)」(東京高裁平成5年12月14日判決)*公取委HP検索システムより
[3]紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務に係る官製談合防止法違反事件(平成22年)
【解説】
この事件は、いわゆる政権交代の原動力ともなった「消えた年金」問題に関連するもので、紙台帳等とコンピュータ記録との齟齬を正す作業を外部委託する発注業務に関し、総合評価で受注者を決定するところ、内部情報が年金機構職員から同機構OBで受注業者勤務の者に渡っていたという事実が、官製談合防止法違反に問われたものである。
両者に金銭等のやり取りの事実はなく、業務委託の仕様等に熟知しなかった機構職員が民間業者でノウハウのあるOBに指南されたことの見返りとして、内部情報(他の業者の非価格点等)をこのOBに提供した。この情報は応札価格の判断に重要な意味を持つので、入札の公正さを害するものであることから、官製談合防止法違反が問われたのである。
当時は、収賄の伴わない官製談合防止法違反は軽く扱われ、略式の罰金で終わっている。今では、いくつかの例外はあるが、官製談合防止法違反は懲役刑(執行猶予がつくが)が科されている。
この事件で当該機構職員は「よかれ」と思ってやった部分があるが、コンプライアンス的には完全にアウトである。およそ競争入札を実施している以上、競争を歪める行為は許されない。公告期間や審査期間を長く取り、提案型の総合評価方式にするとかも考えられるが、時間的な余裕がなく、かといって随意契約をする正当理由もないので、このような「裏取引」的な行為に及んだのだろう。
この職員はなぜ上司等に相談しなかったのか(そもそも本来の担当ではない)。もしかしたら「面倒な話は、自分がなんとかせよ」という、よく組織にありがちな、「上司が責任を取りたがらない」空気があったのだろうか。そしてこれはほとんど「政治案件」なのであり、国会議員らからの圧力が強く、迅速な対応を約束させられてしまったのかもしれない。行政は計画を守ることでその無謬性を維持しようとし、政治からの無茶なオーダーを行政のトップがコミットしてしまうと、現場に皺寄せが生じ、結果重大なコンプライアンス違反につながるということが多々ある。重要なのは「無理は無理」と堂々と突っぱねることだが、人事面での圧力もありそうはいかない(その背景として公務員としてのキャリアが米国のように回転ドアのようになっていない=永久就職を前提にしている、ことがあるだろう)ので、苦しくなる=どこかで踏み外すという構造があるようだ。
筆者も委員を務めた下記検証会議の報告書はその原因について以下の通り述べている(長文だが以下転載。セキュリティーの問題は除く)。
「2 調達業務における外部の事業者との接触についてのルールの不存在
○ 機構では、物品の入札に係る事業について外部の事業者の意見を聴く必要がある場合には、正式には意見招請の手続きを踏むこととしている。
○ しかしながら、本件のような役務の調達については意見招請の対象となっておらず、また、時間的に切迫している状況もあって、行為者は自身の判断 で外部の事業者の意見を聴取することになったものと思われる。この点、会 計規程等で想定していない事態に備え、かつ、現在の経済環境に応じて求められる調達方法を踏まえた時代環境に合わせたルールを定めることが求め られる。とくに、過去に経験のない複雑かつ高度な技術や仕様要件を必要と する調達業務については、外部から有用な意見や情報を集められるようにす る一方で、手続きの透明性を確保し、かつ厳格な手続きを踏むことで、国民 の信頼を損なわないよう、柔軟な仕組みを構築することが求められる。」
「3 リスク管理に係る関連部署の役割分担のあいまいさ
○ 機構のコンプライアンスの確保及びリスク管理はリスク・コンプライアン
ス部が担当することとしており、他方、情報セキュリティに関してはシステム統括部、調達に関する外部との接触については調達部の担当としている。
○ 本件において、関係者(職員全般)に情報管理の重要性の認識が欠如して いたこと、また、外部との接触についてのルールが存在しなかったことから すれば、機構全体として、現場の実態に応じたリスク管理が求められる。」
再発防止策について、一点、リスク管理について触れておこう。報告書は以下の通り述べている。
「リスク管理に当たっては、職員の意識も含め、現場の実態を直視し、それ らに応じた具体的なリスク要因を認識し、定量評価に基づき優先順位を明確 にして、より具体的かつ実践的なリスク管理を行うことが求められる。そのためにも、機構全体としての観点から、実情を踏まえたリスク管理体制を整 備することが必要となる。」
この後も発生する、機構のさまざまな問題に対して、このときの反省が生かされていたのであろうか。
「紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務の入札に関する第三者検証会議・報告書」
仲戸川武人「実例捜査セミナー 日本年金機構職員らによる官製談合防止法違反等事件の事件処理について」捜査研究60巻3号44~57頁(2011)
公正取引委員会資料「入札談合の防止に向けて」(令和3年)*毎年改訂されている
[4]日本年金機構が発注するデータプリントサービスに係る談合事件(令和4年)
(本ブログ掲載の過去の記事より1)
令和4年3月3日、公正取引委員会は、日本年金機構が発注する特定データプリントサービスの入札等の参加業者に対し、独占禁止法違反を認定し、これに基づき排除措置命令及び課徴金納付命令を行ったことを発表した。独占禁止法学者としては、日本年金機構というと、今から30年前の旧社会保険庁時代のいわゆる「シール談合事件」(支払通知書等貼付用シールの入札談合事件)を思い出すが、現在に至る途中で、紙台帳等とコンピュータ記録との突き合わせ業務の入札に関連した官製談合防止法違反事件が発生したこともあって、日本年金機構は筆者にとって(ある意味)馴染みのある公共調達の発注者だ。官製談合防止法違反事件については、筆者は当時設置された「紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務の入札に関する第三者検証会議」のメンバーだったので、この組織には人一倍思い入れがある。
30年前の事件と現在の事件は、印刷業界が舞台となっている。差別化が難しく値崩れし易いのかもしれないし、あるいは業界の体質なのかもしれない。競争よりも協調の方に傾き易い傾向があるのだろうか。しかし受注者側の事情はどうであれ、他の公共調達の発注者同様、年金機構は入札不正の被害者の立場にあるのだから、不正の情報には常に敏感でなければならない。ところが、今問題になっている特定データプリントサービスの入札においては、公正取引委員会は被害者である年金機構に対して改善要請を行なっている。以下、公正取引委員会の報道発表資料を引用する(以下「26社」とは受注調整に参加した業者のことである)。
「第2 日本年金機構に対する要請について
1 本件審査の過程において認められた事実
(1) 日本年金機構は、平成28年1月末頃、特定データプリントサービスの入札において、いわゆる入札談合(以下「談合」という。)が行われている旨の情報(以下「本件談合情報」という。)について通報を受け、内部調査を行ったにもかかわらず、その結果を含む本件談合情報を公正取引委員会に通報しなかった。
(2) 日本年金機構は、特定データプリントサービスの入札について、入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができる方法により実施していた。
2 要請の概要
(1) 前記1⑴の対応は、その判断が適切なものとはいえないものであった。また、前記1⑵の方法による入札の実施は、26社以外の者が入札に参加した場合、26社は入札価格を下げるなどの対応を採るなどして談合を行いやすくさせていたものであり、入札における公正かつ自由な競争を確保する上で、適切なものとはいえないものであった。
(2) よって、公正取引委員会は、日本年金機構に対し、次のとおり要請を行った。
ア 今後、談合情報に接した場合には、日本年金機構の発注担当者が適切に公正取引委員会に対して通報し得るよう、所要の改善を図ること
イ 日本年金機構の入札方法について、入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができないよう、入札方法の見直しなど、適切な措置を講じること」
日本年金機構は談合情報が上がってきて調査対象となったものの公正取引委員会等への通報を行なっていなかった、という。当時の状況の詳細は分からないが、公正取引委員会が後に独自のルートで情報を収集し、違反の摘発に至ったのであるから、結果論でいえば、日本年金機構の対応が拙かったということになる。過去に大きな事件の被害者となり、あるいは内部職員が入札不正に関与した経験がある発注者としては、杜撰な対応だったといわれるのは避けられまい(上がってきた情報の内容やその後の手続き等について、今後、然るべき検証がなされるだろうから、最終的な評価はそれを待たなければならないが)。
組織のコンプライアンスのあり方は、自らが違反を犯す場面においてのみ問題になるものではなく、自らが被害者になる場合も問われるべきものである。いかに不正の発生を未然に予防するか、不正を疑った時にどう対処すべきかについて判断を誤れば、それは私企業であれば株主をはじめ、さまざまなステークホルダーの損害につながることになるし、公的組織であればそれは納税者の損害となる。不正による被害を発生させ、あるいは拡大させることは、それが避けられた発生や拡大なのであれば、自ら不正を犯したのとなかば同じようなものである。
なお、上記の改善要請には「入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができないよう、入札方法の見直しなど、適切な措置を講じること」という指摘もある。報道を見る限りでは、これは日本年金機構が受注希望者のために説明会を開いていたので、そこに集まった企業を確認することで談合の実行可能性を把握することができた、ということのようだ。受注希望者を同じ場所に集めないことは、談合防止の有効策の一つとしてかつてから指摘されていたことであり、これでは間接的に談合をサポートしていたといわれても仕方あるまい。
発注者の対応のミスが談合を招き、談合の摘発を遅らせてしまったという理解を前提にするならば、この事件は、組織のコンプライアンスを考える重要な材料を提供するものとなるに違いない。
(本ブログ掲載の過去の記事より2)
最近、日本年金機構(以下、「機構」)発注の特定データプリントサービスをめぐる談合事件で、機構が談合情報に接していながら公正取引委員会への通知を怠り、その後公正取引委員会は独自調査で談合の事実を把握し、違反の摘発に至ったという経緯が明らかになった。機構がどのような情報をどのように処理したかの詳細は不明だが、結果的に「杜撰な対応」と批判されることとなった(この点については、アゴラにおける筆者の論考参照)。
筆者の専門は独占禁止法で、入札談合が主たる研究テーマの一つであることもあり、国や地方公共団体、あるいは独立行政法人といった公的発注機関の入札監視、契約監視の第三者委員会の委員(長)を数多く務め、談合情報処理に関する説明を数多く受けてきた。そういった経験を踏まえ、談合情報の扱い方について多少のコメントをしておきたい。
談合情報はどこからくるか。これはさまざまである。問い合わせメールアドレスを通じてくるものもあれば、担当部署にFAXが送られてくる場合もあるし、手紙のような形態もある。また、メディアからもたらされる場合もある。ほとんどの場合が「匿名」のそれであり、「顕名」でくる場合はほとんどない。不正の告発であるから、漏洩、報復を恐れて匿名になるのは自然な話であるが、それが担当を悩ませる。
顕名であればその分、信憑性が高まるし、不正が事実であるならば情報提供者にアクセスし証拠に接する可能性を高めることができるのだが、匿名の場合は送られてきた断片的な情報しか材料がないまま不正の有無を判断しなければならない。国や地方公共団体が作成している、いわゆる「談合情報マニュアル」では、「内部情報を知っている人物でないと書けない内容かどうか」が重要な基準とされている。例えば、指名競争入札で非公表のはずの被指名業者が正確に記載されていたりすれば、談合に直接接した業者からの情報提供であることが推察される。しかしだからといって不正の内容が正確である保証はない。
いつも疑問に思うことがある。談合情報がもたらされ、それなりに疑いがあると判断されたとき、発注機関は応札業者に(通り一辺倒の)ヒアリングをして談合の有無を確認しようとする。しかし、この手続にどれほどの意味があるというのだろうか。ヒアリングを受けて不正を認めるケースはほとんどない。あっても手続上のミスを認めるぐらいで、業者が「談合という犯罪」をこの段階で認めることは、まず期待できない。むしろ「談合隠し」のきっかけを与えることにもなりかねない。
そこで担当が決まって口にするのが、「私たちは捜査機関ではないので、これが限界だ」ということだ。確かにその通りで、裏の取れない談合情報だけなのだからそうなるはずである。仮に確固たる証拠が得られたのならば、即刻手続を中止し、ヒアリングなどせずに公正取引委員会や警察にそのまま情報提供すればよい。ほとんどのケースで中途半端な対応となるが、それが現実である。不正が疑われていても手続をそのまま進め、情報を当局に提供し、違反が摘発された後に、契約金額の20%に及ぶ違約金を相手に請求する対応でよいようにも思えるが、ただ、違反が実際にありながらも摘発に至らない場合には、高値の契約を余儀なくされながらも違約金を取れないということになる。疑わしさの程度にもよるが、それが払拭できない場合には手続を中止し、再度、入札の手続きを行うという対応がなされることが多い。重要なのは、それが違反の摘発の重要なきっかけになるかもしれないのだから、明らかな誤情報を除いて、公正取引委員会や警察にその情報を適切に伝える必要がある、ということだ。冒頭の機構のケースでは、明らかな誤情報として処理した可能性があるが、それならば公正取引委員会が注文をつけるはずがなく、不可解である。
対応が難しいのが官製談合、官製不正の場合である。発注機関の職員が情報を漏洩している、談合に関与している、特定の業者を不正に優遇している、といった情報がもたらされたとき、担当部署は「身内を疑う」ことになる。不正を指摘するメールが自身のところにきた場合、責任者はどう対応するか。身内から不祥事が出ることを嫌がり、その提供された情報を過小評価することはないだろうか。その情報が首長に直接もたらされたとき、首長は存在すれば自身の責任が追求されることになるその情報をどう処理するか。その逆に、発注担当部署に首長の不正を指摘する情報がもたらされたときに、どうするか。その首長に「あなたは不正をしていますか」とヒアリングをかけるのだろうか。
不正に係る問題については、自身の問題を自身で処理させてはならないし、上司の疑惑を部下に処理させてはならない。ポイントは、第三者の手に委ねることだ。外部弁護士に対応を委ねているという話をよく聞くが、それは自らの不正を法の専門家である(公正、中立な)他者に委ねることで、適正な事案処理にコミットするとともに、不正の防止にも役立つという発想に基づいている。情報提供の窓口をそちらに設けることで、漏洩、報復のリスクを少なくすることもできる。ただ、その第三者が本人の利益を代弁するような立場になってしまう危険はなくはない(これは、しばしば企業不祥事対応として構成される第三者委員会に対してなされる批判である)。詰まるところ、この中立性、公正さを担保する仕組み作りが重要な課題ということになる。組織のコンプライアンスに係る問題の本質は、まさにこの点なのだと思う。
(令和4年3月3日)日本年金機構が発注するデータプリントサービスの入札等の参加業者に対する排除措置命令及び課徴金納付命令等について(公正取引委員会)
https://agora-web.jp/archives/2055420.html
https://agora-web.jp/archives/2055795.htm
[5]考察
以上、三つの事例を取り上げた。いずれも入札に係る不正である。最初の事例と最後の事例は年金機構(旧社会保険庁)が被害者のケースであり、2番目の事例は年金機構内部に不正に関与した従業員がいたケースである。共通点は、2番目のケースはもとより、残りのケースも年金機構(旧社会保険庁)側にも問題があったことが指摘されているところが特徴的だ。
最初の事例で裁判所は「印刷業界においては従来から談合体質が顕著で、業者間における協調の名の下に自由競争を回避する談合が広く行われていた」という認識を示している。その反省の上に機構がコンプライアンス強化を行なったというのであれば、なぜに最後のケースで公正取引委員会からあれほど強い調子で発注者側の問題点を指摘することもなかっただろう。この期間の機構におけるコンプライアンス対応(そのためのガバナンス強化)の過程は、「繰り返された談合事件」のケース考察とともに、経営管理(研究あるいは教育)の重要な材料になるだろう。
見逃せないのは、最初のケースで判決文で、「本件シールの入札予定価格の積算に当たり、その根拠となる見積もりを入札指名業者やその関連の原反業者に求めれば、将来の落札価格を高くして多額の利益を上げようとする思惑から、過大な見積額が提出されることは容易に予測できるところであるのに、当時既にシールを導入していた民間企業の取引価格等の実情を全く調査することなく、本件指名業者等の提出した見積額に依拠し、これを基準として安易に入札予定価格を決定したことがまず指摘されなければならない」とされ、そして「社会保険庁においては、指名業者の選定に当たり、従来の実績を重視して指名業者数を僅か4社に絞り、かつ、1回の入札による発注量を大量なものとしたことにも、問題かあったといわざるを得ない」とされたこと、である。「社会保険庁の側にも、本件談合を誘発・助長したとみられる点において、反省が求められるべきところ」と判決文で指摘されたのにもかかわらず、最後のケースで、公正取引委員会から再度談合を助長したとも受け取られかねない行為があったことが指摘されたのである。
中間のケース、すなわち官製談合防止法違反のケースは、残りの二つのケースとは異なり、印刷業界の問題ではないし、いわゆる談合ではなく抜け駆け型の不正であるが、第三者委員会報告書の次の指摘は残りのケースにも共有できる指摘であると言える。すなわち:
「リスク管理に当たっては、職員の意識も含め、現場の実態を直視し、それらに応じた具体的なリスク要因を認識し…より具体的かつ実践的なリスク管理を行うことが求められる。そのためにも、機構全体としての観点から、実情を踏まえたリスク管理体制を整備することが必要となる。」
自らが不正に関与した場合のみならず、自らが不正の被害者である場合にもリスク管理が必要なのはいうまでもない。談合のリスクは競争入札には不可避であり、被害者にならないための細心の注意が必要であるが、第三者委員会報告書の指摘が「被害の回避」の場面に応用されなかったのは残念である。