「コロナ軽症者用に警察官宿舎改修 未使用で元に 総額40億円」という報道があって、コメントした。未使用で2度の改修をして40億円超の出費があったということだが、当時の状況では「どうなるかわからない中、保険をかける意味もあるので結果的に未使用になったこと自体は責められない部分もある」が、その手続きや各省庁、自治体との情報連携、コミュニケーションの問題があったのかもしれず今後の材料のためにも検証を、とコメントした。国民の税金の利用なので、当然、批判的に見ることは重要だ。
世間の反応は二つ。
1)40億?とんでもない!無駄だ。責任追及だ。以上。
2)有事のいま、国民の安全を考えてくれた国に感謝します。以上。
両方とも一面しか見ていない。1)は最初から無駄と決め付けている。検証なしに無駄と決めつけるのは思考停止だ。2)は自衛隊と同じような発想で、いざという時のための保険だ、といいたいのだろう(自衛隊の場合は抑止効果があるので話は別だが)。目的が正しければ手段が正しい保証はどこにもない。やり方次第では要らない出費だったかもしれない。機会費用を考えればより有効なお金の使い道もあったかもしれない。あるいは再改修など要らないのかもしれない。大変なときだから黙れというなら民主主義は要らない。事後の反省すら受け付けない政治は腐敗する。
レガシーだ、改革だ、有事だ・・・癒着だ、無駄だ、無責任だ・・・実証もなしに決めつける人々、学習しない人々。エリートたちには「民主主義はちょろい」と思われているだろう。「中庸が肝要」と決めつけるのも思考の停止かもしれないが、そこから出発するのは大抵の場合、問題に対して事実に整合的な理解となるというのが歴史的な経験則ではないだろうか。