「改革派」の後遺症

「改革派」と呼ばれる首長がいる。地方自治にはさまざまな「改革」があり得るので、確かに「改革派」というだけでは何のことか分からない。ただ一ついえるのは、今から20年ほど前によく見かけた「改革派」首長には、ある共通点があった。それは、挙って公共事業批判を展開していたということだ。「脱〇〇宣言」で有名になった元知事もいたことは読者の多くが記憶するところであろう。若い人はほとんど知らない話ではあるが。

公共事業には無駄が多い。不当に金額が高い。談合が蔓延している。そういって改革派は有権者を煽った。これは部分的には正しい。例えば一部業界で談合が蔓延していたのは事実だ。15年前の大手ゼネコン各社による、いわゆる「談合決別宣言」は、そうであったことを如実に物語っている(談合がない業界も確かにあった。しかしそれは激しく競争していたのではなく、そもそも随意契約が通常運転だったという理由が大きい)。

しかし公共事業の多くは無駄ではなく、有益だ。合理性の乏しい事業はあるかも知れないが、それが説得力のある客観的な証拠を伴って説明されることは少ない。

契約金額の高低は需給バランス次第で変わり得るものであって、供給過多になれば極端なダンピングに陥り、需要過多になれば不成立が続出し、一者応札の頻発、予定価格付近での落札が当たり前になるという経験をこの四半世紀の日本は嫌というほど経験してきた。落札率90%以上は談合の証左だ、一般競争入札を実施すればすべてが解決する、落札率は3割、4割簡単に落ちるといった言説が、公共工事品質確保法が制定される前後、改革派首長とそれを支持する知識人によって「実しやか」に流布されてきた。

  実際、日米構造協議を通じて90年代に内需拡大政策で膨張した公共事業は、その後の極端な公共事業費の削減によって極端な供給過多の状況に陥った。そういった状況の下、一般競争入札に振り切った地方自治体では極端な価格低下が見られたことは事実である。不幸だったのはそれが「改革の成果」として「絶賛されてしまった」ことだ。一般競争入札を実施しても不成立、一者応札が続出している現在から振り返って見れば、改革派が跋扈した時代は「特殊な時代」だったのにもかかわらず、「競争の激化→価格の低下→無駄の排除」という「単純な構図」で世論を操作することに改革派は成功した。それに拍車をかけたのが、日米構造協議を受けて強化された独禁法が90年代から摘発を積極化した談合に対する世論の憎悪の感情である。

 改革派知事が「高い=無駄」という問題の単純化によって有権者を誘惑していたちょうどその頃、この国の首相が「改革」をひたすら連呼し、その「特殊な改革」に危惧を表明する人々を「抵抗勢力」と呼び、「鬼退治の演出」をしていたのを思い出す。国民は劇場型選挙に酔い、結果は首相側の圧勝だった。民主主義とは実に脆いものである。少なくない有権者が、ワンフレーズに酔って白黒をつけてしまい、ワンイシューで数年分の政治を賭けてしまった。

 公共工事品質確保法が制定されたのは、上記の単純な構図によって激化した価格競争の品質に与える悪影響が強く危惧されたからであり、いわば改革派によって決壊しそうになった堤防をギリギリで守り抜く切り札、あるいは「非常停止ボタン」のような存在だったといえよう。郵政民営化のような世論が煽られた国政の主要イシューでなかったことが幸いしたのかも知れない。与党のみならず最大野党も巻き込んでの議員立法だった。

同法の下、公共工事の多くは総合評価方式にシフトされるに至り、その結果、改革派の声がトーンダウンするようになった。理由は二つある。一つが価格よりも品質を重視する法律が「民主主義の手続」を経て制定されたことで「安さ」を「民意」として持ち出せなくなったからであり、もう一つが、単純化された構図でしか理解しない人々は複雑な総合評価の仕組みについていけなくなったからである。

 しかし上記の単純な構図はある種の「成功体験」として残り、あるいは一連の改革によって一般競争入札が既定路線となってしまったので、公共契約は何から何まで「競争」至上主義になってしまった。首長は改革の「踏み絵」として一般競争入札にコミットしようとし、行政職員は説明責任が伴う随意契約に躊躇する。価格崩壊が起きたとき品質を危惧するのが通常の態度のはずであり、実際、公共工事品質確保法はそのような声を受けてものだったが、こうした立法が及ばない分野では、底無しの出血競争へと向かうことになった。「無駄の排除」を自分の実績にしたい首長には、品質への危惧の声は届かない。かつての改革派の成功体験を真似しようとしている。

かつての改革派首長を思い出して欲しい。元官僚もいれば、元作家もいたし、某塾出身の人もいた。「自分をよく見せる」ことしか考えていない人々には市民の本当の声は届かないが、そういった人々は市民にアピールするのはうまかった。しかしいつかその本性がバレるものである。1期目は「過去の精算」として喝采を浴びるが、2期目になると政策の失敗を他人のせいにすることはできない。その段階で市民は気付くことになる。

公共工事を目の敵にして対立の構図を煽り、廉価をひたすら追求した結果、さまざまなものが機能不全になった。一時期持て囃された改革派首長はその後持ち上げたその有権者によって退場させられたのではなかったか。相次ぐ自然災害によってここ10年ほど国土強靭化が叫ばれるようになった。公共工事の擁護者を抵抗勢力として敵認定する「手口」は通用しなくなった。必要な工事に必要な金銭を投入する。当たり前の話が、一昔前当たり前ではなかったことに改めて恐怖を覚える。それだけ公共の分野のダーティーなイメージが人々に刷り込まれていたのであろう。

 コストカットは大事だが、必要なコストまでカットするのはナンセンスだ。大人用プールで子供が溺れたら危険だからといって全部子供用プールにしてしまうのがナンセンスなことはすぐ気付くのに、印象操作された政治的イシューについて人々は急に盲目になる。ネットの時代においてはもしかしたら人々のリテラシーは改善されるのかもしれないが、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)もフェイク・ニュースの拡散のような多くの弊害があり、民主主義を歪める大きなリスクであるとの指摘もある。

 「改革派」という言葉はもはや死語かもしれないが、改革派の残した負の遺産は死んではいない。似たようなアピールをする政治家や知識人が現れたとき、それがシャルラタン(イカサマ師)なのかどうかを見極める力こそが、民主主義の本当の力なのだと思う。さて、令和の時代に続々誕生する「新・改革派」の真贋は如何に。