「マーケティング」とは?

「市場」と「取引」。「取引市場」という言葉がある通り、この二つは必ずしも分断して比較するべきものではないかもしれないが、独占禁止法では優越的地位濫用規制における「力」の源泉をどこにみるかという論点に直結する、結構悩ましい問題だ。

「取引」とは「与えるもの」「求めるもの」の合致によって生み出される「交換」であり、一般的には一方が「モノ」を、一方が「カネ」を提供する。まさに「取って引く」というワケだ。両者はそこから、取引がない場合よりも「改善」される。それは経済学でいう「厚生(welfare)」を生み出す。

「市場」とは「いちば」と書いて「しじょう」と読ませる通り「場」のことを指し、競争というメカニズムによって効率化作用が生み出される個々の取引の集積の場所、あるいはその集積それ自体を指すと考えてよいだろう。

では市場にingをつけた「マーケティング」とは一体何なのだろうか。私自身、大学時代にはマーケティングのゼミ生として広告論とか流通論とかCSRとか熱心に勉強したのだが、「市場に対してなされる諸々の(企業の)行為」ぐらいの漠然とした認識でしかなかった。どちらかというと現場志向の強いケース分析重視のゼミだったので、この学問の方法論を深く考察する機会はなかった(とはいえ「科学哲学」はゼミのプログラムに入っていた)。

アメリカ・マーケティング協会(AMA)の2017年の定義はこうだ。

Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large.

マーケティングでは「厚生」というのっぺらぼうな言い方はせず、「価値(value)」という言葉を用いる。「幸福(=満足)」という意味では似たようなものだが、マーケティングのいう価値創出は、「自分がドライバーになって運転する」ように企業経営者としての視点からアプローチするものである、という意味で経済学のいう厚生とは見え方が違う。その結末としてマーケットがどうなったという話は射程外というか、関心外のことが多い。

「競争優位」という言葉を聞いて、マーケティング学者はおそらく「いい響き」のものと思うだろうが、経済学者は「支配、独占」にリンクするものと考えるかもしれない。独占禁止法学者はネガティブなものとして眺める論者が多数だろう。

私の独占禁止法への入り口はここにあった。「違和感」が先にあった分、随分と遠回りしたが、学問は遠回りした方が大きな成果につながるものだ、と信じたい。